賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの島旅(40)淡路島2(兵庫)

(『ジパングツーリング』2002年2月号 所収)

 淡路島南端近くの灘城方の民宿「おれんじ荘」の朝食を食べ8時に出発。目の前の海には沼島が浮かんでいる。沼島への船の出る土生港に立ち寄る。沼島は磯釣りのメッカ。釣り道具を持った釣り人たちが船を待っていた。沼島への船は1日8便出ている。

 淡路島最南端の潮崎へ。岬近くには潮崎温泉の温泉スタンドがあった。人が誰もいないのをいいことに、すっ裸になって頭から湯を浴びる。湯とはいうが、ほとんど水とかわらない湯温。だが、不思議なことに、浴び終わると体がポカポカし、肌もツルツルしてくる。なかなかの泉質だ。100リッターで100円と料金も安い。

 絵に描いたような天然の良港の福良港からは鳴門海峡を目の前にする鳴門岬へ。道の駅「うずしお」の展望台から鳴門海峡にかかる大鳴門橋を見た。

 鳴門岬をあとにすると、西淡町に入り、淡路島西岸の県道25号を北上。その途中の丸山では、海釣り公園のある弁天島に立ち寄った。西淡町の中心、湊では、うずしお温泉「ゆとりっく」(入浴料600円)の湯に入った。そのあと淡路島南部を横断し、「湊-洲本」間を往復した。その距離は38キロだった。

 西淡町の湊に戻ると、県道31号でさらに淡路島の西海岸を北上していく。

「淡路島サンセットライン」で知られる県道31号は、その名のとおりの見事な夕日を見られるルート。2年前の「日本一周」では、夕暮れ時にこのルートを走ったが、播磨灘に落ちていくすばらしい夕日を見ることができた。

 西淡町から五色町に入ると、都志にある「高田屋嘉兵衛記念館」(入館料300円)を見学。ビデオで高田屋嘉兵衛の生涯を見た。江戸時代の後期にこの地で生まれた高田屋嘉兵衛は28歳のときに蝦夷地の箱館(今の函館)に渡り、そこを拠点に海運をはじめとして造船や北洋の海での漁場の経営などを幅広く手がけた。千島列島の島々への航路を開き、択捉島を開発した。思わず「北海道一周編」のときに知床半島の最高峰、羅臼岳の山頂から見たた択捉島が鮮やかに蘇ってくるのだった。そんな高田屋嘉兵衛の石像が記念館の前に建っていた。

「高田屋嘉兵衛記念館」の近くの高台にある「ウエルネスパーク五色」へ。そこの一角の「高田屋嘉兵衛公園」には、ロシアのゴローニン提督と嘉兵衛が並んだ「日露友好の像」が建っている。同じ「ウエルネスパーク五色」内にある五色温泉の「ゆ~ゆ~ファイブ」(入浴料600円)の湯に入り、五色町をあとにした。

 五色町の北隣りは一宮町。その町名のとおり、ここには淡路国の一の宮がある。海沿いの県道31号からわずかに内陸に入ったところにある伊弉諾神宮を参拝。祭神は伊弉諾大神とい伊弉ミ大神だ。イザナギといえば「記紀」(古事記と日本書紀)の国生み神話の男神、イザナミといえば国生み神話の女神である。

 淡路島は「国生み神話」発祥の地。「記紀」によると大八州国(日本のこと)のうち、一番最初にできたのが淡路島なのだ。つづいて四国→隠岐→九州→壱岐→対馬→佐渡→本州という順番で日本国ができあがっていった。大八州国のうち、淡路島、隠岐、壱岐、対馬、佐渡の5国が“島国”になる。

 このように1島で1国を成していた淡路島は古代より人が住みつき、文化も進んでいた。