賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本列島岬めぐり:第42回 足摺岬(あしずりみさき・高知)

「カソリの岬めぐり」(42)

(共同通信配信 1990年)

 四国最南端の岬、足摺岬までは、カツオ漁の基地の土佐清水から向かった。

 海沿いの曲がりくねった狭路をスズキ・ハスラーTS50を走らせていく。途中の中浜、大浜、松尾は昔からカツオ漁の盛んな漁村だった。

 カツオ漁は文禄年間(1592年~96年)に紀州・印南の漁民たちがカツオ節の製法とともに、この地にもたらしたといわれている。

 足摺岬に到着すると、まずは四国霊場八十八ヵ所の第38番札所の金剛福寺を参拝。白装束のお遍路さんたちと一緒になってお参りした。岬は空海修行の地といい伝えられ、金剛福寺も弘仁14年(823年)、空海によって創建された。

 足摺岬はまた補陀落渡海の地でもあった。補陀落は天竺の観世音菩薩の住む極楽浄土で、岬はその入口だと考えられていた。観音浄土を求めて往生をとげようと、西の海へ、船出していった補陀落渡海の僧もいたという。

 岬の遊歩道入口には、ジョン万次郎の銅像が建っている。中浜の漁民の次男に生まれた万次郎は14歳の時、乗った漁船が難破した。漂流しているところをアメリカの捕鯨船に助けられた。

 船長は万次郎をアメリカに連れていき、学ばせた。24歳になって帰国した万次郎は幕府の直参になり、得意の英語で幕末の日本の外交に大きな貢献をした。

 万延元年(1860年)の咸臨丸での渡米にも同行した。

 遊歩道を歩いていく。覆いかぶさってくるヤブツバキのトンネルを抜け、岬の先端に出た。

 白亜の灯台がある。高さ80メートル余りの海食崖の先端に立つと、足がすくんでしまう。目の前は黒潮の海。太平洋の荒波は断崖絶壁にぶち当り、砕け散り、白い波しぶきを豪快に巻き上げていた。

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四国最南端の足摺岬