賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの林道紀行(25)関東編(その3)

八王子30キロ圏ツーリング

(『バックオフ』1999年4月号 所収)

 今回の30キロ圏ツーリングの出発点は、中央高速の八王子ICだ。

 ここを拠点に“八王子30キロ圏”という限られたエリアをたんねんに見てまわろうという“30キロ圏ツーリング”なのである。XRバハのカソリとTW200に乗る「BO」若手編集部員荒木君との2人旅。それにカメラマン役として編集部の小金沢さんが同行する。

 まずは八王子からR16で南へ6キロ、御殿峠まで行く。近くには東京工科大学。ゆるやかな峠で国道を左折。峠を下ったところが鑓水(やりみず)の集落だ。

 ここは近代日本の黎明期には“鑓水商人”で知られた生糸商人の里。鑓水商人が町田経由で横浜港まで生糸を運んだ道が“日本のシルクロード”なのである。

 ここには入館無料の「絹の道資料館」がある。

 八王子に戻ると、今度はR20で西へ6キロの高尾へ。国道を右折し、小仏峠への道に入っていく。現在の甲州街道大垂水峠を越えているが、江戸の五街道時代の甲州街道小仏峠を越えていた。

 峠下の駒木野には、東海道の箱根関、中山道の碓氷関と並ぶ“関東三関”のひとつだった小仏関の関跡がある。これら“関東三関”江戸幕府警護の要。そんな小仏関跡を見て、小仏峠に向かった。

 峠下の集落、小仏を過ぎると、道はツルツルのアイスバーンに変わる。車高の高いXRバハにはちょっと辛い道だ。荒木君のTWはスイスイと走っていく。中央高速の仏トンネル入口近くを過ぎると、自動車道は行き止まりになる。そこから峠まで歩いた。30分ほどの登り。バイクを置いて歩くのにちょうどいい距離だ。

 昔の小仏峠はまさに甲州街道の要衝の地で、峠を越える旅人たちでおおいに賑わった。峠には「富士屋」、「甲州屋」、「相州屋」、「武蔵屋」、「弥勒屋」と、5軒もの茶屋があったという。それら茶屋は宿屋も兼ねていた。峠周辺の山肌は耕され、主にアワが栽培されていた。小仏峠の賑わいぶりは、夜になると、峠下の集落から若い人たちが遊びにくるほどだったという。

 小仏峠は東京と神奈川の境になっているが、出発点の八王子とは気温がまるで違う。

 1月下旬のことなので、ぼくも荒木君も強烈な寒さに見舞われた。また八王子にはまったく雪はなかったが、小仏峠の頂上周辺はかなりの雪だ。それを見て荒木君はなんと雪合戦を挑んできた。10発の雪の玉をつくり、何発、相手に当てられるかを競うのだ。結果は1対1の引き分けだったが、これがカソリVSアラキのバトル十番勝負の第1弾になったのだ。

 小仏峠から八王子に戻ると、秋川街道で五日市に向かう。その途中で越えた小峰峠の周辺は信じられないくらいのゴミ捨て場と化している。「ゴミを捨てるな」の看板が峠道の両側に途切れることなく立てられているのに、それでもゴミを捨てていくヤツがいる。

 許せない行為だ。

「おい、いったい、誰だ!」

 と、“峠のカソリ”は激怒した。

 五日市から盆堀林道に入る。林道の峠を越え、陣馬街道に出るつもりだった。だが、盆堀林道は雪‥‥。

 雪とアイスバーンの盆堀林道にアタックし、峠を目指したのだが、最初のうちは楽に走れた。だが、登るにつれて雪の量が多くなり、アイスバーンはよりツルツルしてくる。急勾配のコーナーのアイスバーンの突破が難しくなってくる。

 ついに急傾斜の日陰のアイスバーンを登ることができずに盆堀林道を断念した。なんとも、いやはや悔しいよー。東京といえども山間部の冬の自然は厳しいのだ。

 この季節、山地と平地ではまるで違う顔してる。

 盆堀林道を断念し、五日市に戻ると、もう一度、小峰峠を越え、そして陣馬街道に入った。この街道を走っていると、なんともいえない山里の匂いをかげる。街道の両側で見る風景は、東京とは思えないような山村のたたずまいだ。陣馬街道はぼくの好きな街道のひとつ。

“街道のカソリ”はこのような好きな街道というのを日本中に何本も持っている。

 我らツーリングライダーにとって一番身近で、興味深いのは街道だ。街道に興味を持つと、ツーリングはよりおもしろいものになる。

 日が暮れると、バイクで切る風の冷たさが身にしみる。東京と神奈川の境の和田峠を登っていく。雪こそなかったが、アイスバーンの恐怖にさらされながらの峠越えだ。

 ほんとうは予定どおりに盆堀林道を走れれば、まだ日のあるうちに和田峠に着くはずだった。峠にバイクを停め、陣馬山に登り、夕暮れの富士山を眺めようと思っていたのだ。和田峠はぼくの好きな峠のひとつ。峠からは簡単に陣馬山に登れるし、そのまま稜線の道を歩いていけば、景信山の山頂から小仏峠へと通じている。景信山からの富士山もいい。 和田峠から夜道を走り、山梨県の上野原に出る。そこから鶴川沿いに走り、西原の「白芳館」に泊まった。

 山梨県上野原町の西原は“我が心のふるさと”。

 この20年、ぼくは何度となく西原を訪ねている。そのたびに泊まるのが「白芳館」なのだ。宿のおじさん、おばさんは、ともにお元気そうだった。

 いつものことなのだが、「白芳館」の夕食はよかった。山里の味覚をたっぷりと味わった。コンニャクの刺し身はおばさんが朝から用意してくれた手づくりのもの。“セイダのタマジ”と呼んでいる小粒の自家製ジャガイモの煮っころがしがうまい。驚いたのはテンプラだ。何と干し柿のテンプラがあったがこれが絶品。西原の冷たい風にさらされてつくられた自家製干し柿がじつによくテンプラに合う。ご飯は米にキビを混ぜて炊いたもの。西原産のソバを入れた汁がおつゆになる。

 夕餉の膳に出るものの大半が西原でとれたもの。これ以上のご馳走はない。

 翌日は西原からアイスバーンの鶴峠を越えて小菅へ。小菅温泉の「多摩源流・小菅の湯」に入る。小菅からはR139→R411と走りつなぎ、山梨県から東京都に戻る。奥多摩の中心、氷川へ。そこから日原街道で関東最大の日原鍾乳洞に向かった。

 途中の山岳風景は、これが東京都とは思えないほどの険しさだ。

 十何年ぶりかで見た日原の鍾乳洞では、大ショックを受けた。なんとツララのように垂れ下がっていた見事な鍾乳石が無残にも切り取られているではないか。いったい誰がやったんだ!!

 氷川に戻ると関東の山岳信仰のメッカ御岳山へ。ケーブルカーで登る。標高929mの山頂にある御岳神社に参拝すると、カソリVSアラキの最後のバトル“御岳山一気下り”だ。ヘルメットのかわりに門前の店で買った菅笠をかぶり、いざスタート。荒木君は天狗のような勢いで急傾斜の山道を下っていく。あっというまに差をつけられる。だが、じっと辛抱してぼくは自分のペースで走り下った。

 それにしても苦しい。汗が滝のように噴き出してくる。

 半分くらい下ると、荒木君は大木の洞に入って休んでいた。まるで“兎と亀”の話のようだが、ぼくはそれを見て勝ったと思った。荒木君はそれ以降、ガクッとペースが落ちる。ぼくは荒木君に追いつくと一気にスパートし、5秒くらいの差をつけてゴールした。頭から何杯も水をかぶったようなものすごい汗。我々は御岳山頂から下まで20分を切るスピードで走り下ったのだ。これでカソリVSアラキの十番勝負は4勝3敗3分でカソリの勝ちとなった。

 御岳山から青梅に出た。最後はR411で満地峠と名無し峠の2つの峠を越えて八王子に戻り、中央高速八王子ICで荒木君とガッチリ握手をかわし、“八王子30キロ圏旅”を終えるのだった。

「カソリVSアラキのバトル10番勝負」

①雪合戦(小仏峠)雪の玉10個を相手にぶつける。1対1で引き分け △

②PK戦(小仏関跡)ゴムボールでのサッカーPK戦。10本勝負。5対0で勝ち ○

③将棋戦(白芳館)本将棋、まわり将棋、はさみ将棋の3番勝負。3対0で勝ち ○

④ビール一気飲み(白芳館)アラキ君、リタイアーでカソリの勝ち ○

⑤いびき戦(白芳館)アラキ君の圧倒的な優勢勝ち ×

⑥牛乳一気飲み(白芳館)引き分け △

⑦露天風呂潜り(小菅温泉)アラキ君の勝ち ×

⑧ニンジン一気かじり(日原)引き分け △

⑨おみくじ戦(日原)マスコットおみくじでの勝負。アラキ中吉、カソリ末吉 ×

⑩御岳山一気下り(御岳山)カソリ、最後にアラキ君を抜きゴール ○

管理人たまらず一言:

大の大人がナニをやっているのかと。

・・・もっとやれ(笑)