カソリの「宮本常一研究」(8)
「宮本常一先生の29回忌」(2009年1月30日)
東京・西国分寺の東福寺で、宮本常一先生の29回忌がおこなわれた。
宮本先生が亡くなられたのは1981年1月30日。ここ東福寺で先生の葬儀は行なわれた。それ以降、毎年、先生の命日の1月30日には大勢の人たちが東福寺に集まり、先生を偲んでいる。その間、「宮本常一先生を偲ぶ会」は一度も欠いたことはない。
先生が所長をされていた日本観光文化研究所(1989年3月31日に解散)の所員や先生が教えておられた武蔵野美術大学の教え子、先生の書かれた膨大な書物を通して「宮本常一」を知った熱烈な宮本ファンなど50人ほどの人たちが、今年も東福寺に集まった。
山陰の日笠寺のご住職でもある「あるくみるきく」の元編集長、山崎禅雄さんがこれも毎年のことだが、駆けつけて東福寺の本堂でお経を上げてくれ、ありがたいご講話をしてくれる。
それがすむと、先生に「献杯!」をし、東福寺内での飲食が始まる。
これが何とも楽しいのだ。
先生を偲ぶのと同時に、先生が亡くなられた以降の過ぎ去った30年近い年月はあっというまに吹き飛び、観文研(日本観光文化研究所)での様々な出来事、思い出が語られる。
ぼくは20代の前半で観文研にかかわるようになり、観文研が解散した40代の前半まで所員だった。毎年の「宮本常一先生を偲ぶ会」に参加するたびに、あらためて日本観光文化研究所を通して見聞きした先生の教えが自分のバックボーンになっていることに気づかされるのだ。
西国分寺の東福寺本堂で行なわれた宮本常一先生の29回忌
山崎禅雄大師のご講話
宮本先生を偲んでの飲食は楽しい!
日本観光文化研究所の先輩、三輪主彦さんと。
地学者の三輪さんにはいろいろと教えられた
日本観光文化研究所を支えたお二人。
元武蔵野美術大学教授の田村善次郎さん(左)と
元「あるくみるきく」編集長の山崎禅雄さん