賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの中国旅40年(10)

地平線通信(2009年10月号)

 昨年(2009年)7月から8月にかけては「チベット横断」を成しとげた。

 7月1日に日本を出発し、北京から西安へ。西安からは中国製のバイクで蘭州→嘉峪関→敦煌シルクロードを走った。

 敦煌からチベット高原に向かっていったのだが、西安を出発してから9日目、青海省のゴルムドに到着。ここからは青蔵公路(国道109号)でチベットのラサへ。その間では崑崙山脈を越えていく。憧れの崑崙!

 標高4767メートルの崑崙峠に立ったときは、「おー、崑崙!」と、喜びを爆発させた。そのあと、標高5010メートルの風火峠を越え、いよいよ5000メートル級の峠越えの開始だ。

 風火峠を下ったダダ(トト)では長江との出会いがあった。長江最上流部のダダ(トト)川にかかる青蔵公路の橋が、長江最初の橋ということになる。

 この夜は最悪。ダダの町の標高は4521メートル。「長江源賓館」に泊まったのだが、高山病にやられ、息苦しくてほとんど寝られなかった。横になれない。仕方なくホテルのロビーのソファーに座っていた。この格好だと、すこしは楽に息ができるのだ。

 ダダを出ると、青海省チベット自治区の境、標高5231メートルのタングラ峠を越える。つづいて標高5170メートルの峠越え。高山病にすっかりやられてしまったので、何とも辛い峠越えになった。

 眠れない、食べられない…という重度の高山病の状態でラサに到着すると、あまりの空気の濃さに驚かされた。高山病は一発で治り、普通に歩けるようになり、普通に食べられるようになり、普通に寝られるようになった。といってもラサの標高は3650メートル。富士山ぐらいの高さはあるのだが、4000メートル、5000メートルの世界から下ってくると、まるで天国のような低地に感じられのだった。

 ラサからシガツェ、ラツェを経由し、標高5248メートルのギャムツォ峠を越え、チョモランマのベースキャンプへ。標高5000メートルのロンボク寺に泊まったのだが、その日の夕方、チョモランマにかかっていた雲はきれいにとり払われ、その全貌を見ることができた。モンスーンの季節でチョモランマを見るのはほとんど無理だといわれていただけに、もう狂喜乱舞で、夕日を浴びたチョモランマを見つづけた。

 ティンリンで泊まった日の朝は快晴。目の前の平原の向こうには標高8201メートルのチョーユーが聳えたっていた。神々しいほどの山の姿。その左手には標高7952メートルのギャチュンカン。チョモランマも見えているが、堂々としたチョーユー山群に圧倒され、ここでは脇役でしかない。

 ティンリンからは標高8012メートルのシシャパンマへ。ヒマラヤ8000メートル峰の奇跡はさらにつづき、チベッタンブルーの抜けるような青空を背にしたシシャパンマの主峰を見ることができた。シシャパンマの大山塊を左手に見ながら走りつづける。雪山の白さ、間近に見える氷河の白さはまぶしいほどだった。

 サガの町に着くと、「チベット横断路」の新蔵公路(国道219号)を西へ。新疆ウイグル自治区チベット西蔵)を結ぶ新蔵公路は劇的に変わった。すっかり道がよくなっている。何本もの川には橋がかかり、チベット自治区内では、川渡りをすることは一度もなかった。

 ヤルツァンポ川と別れ、標高5216メートルのマユム峠を越えると、聖山のカイラスが見えてくる。聖湖のマナサロワールも見下せた。

 ネパール国境の町、プーランに寄ったあと、チベット西部のアリ地区に入っていったが、何と舗装路が延々とアリ(獅河泉)の町までつづいていた。

 アリからは最後の5000メートル級の峠越え。崑崙山脈の標高5248メートルの界山峠を越え、チベット自治区から新疆ウイグル自治区に入っていく。

 世界第2の高峰、K2登山口のマザーを通り、4000メートル級、3000メートル級の2つの峠を越え、タクラマカン砂漠のオアシス、カルグリックへと下っていった。

 そこはチベット高原とはあまりにも違う世界。熱風の吹きすさぶ一望千里の大砂漠を走り抜けていく。

 こうして西安を出発してから31日目の8月11日、中国最西端の町、カシュガルに到着。全行程7000キロの「チベット横断」、というよりも「中国横断」の旅となった。

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標高5231メートルのタングラ峠