賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの中国40年旅(8)

 2004年には中国製スズキの110㏄バイク、QS110で瀋陽を出発点にして中国東北部を走った。

 そのときの中国旅は『ツーリングGO!GO!』(2005年1月号)の記事より紹介しよう。

中国・東北部走破行

「おー、北極だ! おい、尚、ついに北極までやってきぞ!!」

 中国・東北部、黒龍江省の中心都市、ハルビンを出発してから6日目のことだった。

 中国・軽騎鈴木製のQS110で1706キロを走り、ついに中国最北端の地までやってきた。カソリ親子、感動を爆発させて「神州北極」の碑前で思いっきり万歳をした。

神州」というのは「中国」の意味。中国では国の最北端を「北極」といっている。目の前を黒龍江アムール川)が流れている。対岸はロシア。中露(中国・ロシア)国境を悠々と流れる大河、黒龍江はまさに大陸を実感させるものだった。

 中国最北端の地を存分に味わったあとは、「北極村」を歩く。ほんとうの名前は漠河村なのだが、それを「北極村」といっている。「北極旅飯店(旅館&食堂)」で黒龍江の魚料理の昼食を食べ、「中国最北之家」に行き、中国最北のダートも走った。

 中国最北端の地に立ち、カソリ親子は意気揚々とした気分で、中国最北の町、漠河に戻ったのだ。その夜は満月。仲秋の名月にはつきものの月餅を食べ、鹿の焼肉や揚げた川エビを肴にビールを飲んだが、なにしろ「北極」に立ったので腹にしみるような味わいだ。

 漠河から内蒙古自治区へ。漠河出発の朝は気温が氷点下10度まで下がった。このあたりは北緯50度をはるかに超えている。サハリンの最北端とほぼ同じくらいの緯度になるのだが、予想したよりもはるかに寒かった。大興安嶺山脈の峠に向かっていくと、小雪がチラチラと舞っている。峠道の日陰のコーナーにはうっすらと氷が張っている。ツルッと後輪が流れ、ヒヤッとした。思わずバックミラーで後ろを走る尚に目をやったが、無事にコーナーをクリアした息子の姿をみてひと安心。このあたりが親だなあ…。

 さらに峠に向かって走っていくと、尚は「ピーピー」クラクションを鳴らして追ってくる。バイクを停めると、「お父さん、もうすこし停まってよ」と、ブスッとした口調でいわれてしまった。ぼくとしては内蒙古自治区との境の峠まで一気に走ってしまおうと思っていたのだが。

「そうか、わるかったな」。

 それにしても寒い。ぶ厚い冬用のグローブをしていても、指先は寒さのせいでジンジン痛んでくる。

 黒龍江省内蒙古自治区の峠を越え、峠下の町に着くと、一目散に食堂に駆け込んだ。予想をはるかに超えた寒さに徹底的に痛めつけられたカソリ親子、2人してオンドルの壁に手を当て、背中を当てて体を暖めるのだった。

 キャクダチから根河へ。その間では大興安嶺山脈の雪の峠を越える。このあたりでは9月中旬には初雪が降る。真冬になれば氷点下30度から40度ぐらいまで下がる酷寒の地。日本出発がもう何日か遅れていたら、大興安嶺山脈の峠は越えられなかったかもしれない。さすが「強運のカソリ」、ギリギリのタイミングで難関を突破した。

 根河からハイラルに向かうと、大興安嶺山脈の山並みは遠ざる。風景は森林から草原へと劇的に変わる。草原の中にはポツン、ポツンと牧畜民の蒙古族のパオ(テント)が見られた。

 そんな草原地帯を黒龍江の上流のハイラル川が流れている。上流とはいっても川幅は広く、すでに大河の風格があふれている。大興安嶺山脈を水源とするハイラル川は中露国境を流れるアルグニ川となり、ロシアから流れてくるシルカ川と合流して黒龍江になる。最後は間宮海峡タタール海峡)に流れ出るが、大興安嶺山脈から間宮海峡まで全長4353キロ。世界でも有数の大河だ。

 ハイラルから満州里に向かう。やっと猛烈な寒さから開放された。一面の大草原。羊や馬の群れを見る。地平線に向かって一直線に延びる道を走りつづける。風景がデッカイ!

 満州里に近づいたところでは砂丘を越えた。モンゴルのゴビ砂漠から延びる砂丘。バイクを道端に停め、砂丘のてっぺんに登る。この砂丘こそ、アフリカ大陸からユーラシア大陸へと延びる大砂漠地帯の最東端になる。

 ぼくは「すごいものを見た!」という気分に浸る。もっともそれはぼくだけのことで、尚はといえば、それほどの興味を示さない。尚にとっては単なる砂丘でしかないからだ。

 アフリカ大陸の大西洋岸から紅海まで東西5000キロのサハラ砂漠は海を越え、アラビア半島の砂漠からイラン、パキスタンの砂漠へとつづく。さらにカラコルム山脈を越え、タクラマカン砂漠からゴビ砂漠へとつづく。

 その東端の砂丘に「今、立っている!」と思うと、胸の中が熱くなってくる。

「砂漠大好き人間」のカソリ、今までに世界の大半の砂漠をバイクで走破してきた。砂丘のてっぺんでモンゴルの方向に目をやりながら、はるか遠くのサハラ砂漠に想いを馳せるのだった。

 満州里に到着すると、町を走り抜け、国境へ。中国側の漢字で「中華人民共和国」、ロシア側のロシア語で「ロシア」と書かれたタワーが鉄路をまたいでいる。その下を木材を満載にした貨物列車がロシア側から中国側へと通り過ぎていく。国境には異常なほどの執念を燃やすカソリ、満州里の中露(中国・ロシア)国境を間近に見て大いに満足した。

 国境を見たあとは、満州里近郊の草原地帯にある蒙古族の「パオ・レストラン」で羊肉三昧の昼食。尚は華やかな民族衣装をまとった店の女の子たちに大モテで、すっかり気をよくしていた。息子に負けたな。

 満州里からハルビンに戻ると、中国最東端の地を目指す。ジャムスを通り、同江へ。

 中露国境を流れる黒龍江に、中国・東北地方最大の川、松花江が合流する地点の「三江口」はすごい。川幅は3、4キロはあるだろう。対岸のロシアが霞んでいる。ちなみに「三江」というのは黒龍江松花江、それとウスリー江の三大大河のことである。

 ハルビンから915キロ走って中国最東端の町、撫遠に到着。中露国境を流れる黒龍江の河畔には「東極撫遠」の碑が建っている。最北端の「北極」と同じように、最東端は「東極」になるのだ。

 だが、ほんとうの中国最東端の地はさらに東になる。撫遠から38キロ走ったところで、中国の道は尽きる。目の前を中露国境のウスリー江が流れている。対岸はロシアの山並み。軍の監視塔前の駐車場にバイクを停め、そこから黒龍江とウスリー江の合流地点まで4キロほど歩いた。そこが中国最東端の地。

 こうして「北極」、「東極」という「二大極点」に立つと、中国大陸をもっと、もっとバイクで走りたくなってくる。残された「南極」、「西極」にも行ってみたくなる。「中国・東極」の地でぼくは「また、次だな!」と、自分自身にそういい聞かせた。

 10月16日、ハルビンに戻った。全行程6216キロ。1日で一番走ったのは黒河から塔河までの494キロ。そのうちなんと465キロがダート。ラフな区間は穴ぼこだらけ。雨にぬかった区間はドロドログチャグチャ。そのようなロングダートも走り抜けたので、尚には「よくやったな!」と、ポンと肩をたたいてあげた。

 今回も中国製のスズキQS110は完璧に走ってくれた。

china40-8

中国最北端の地で

※この「中国・東北部走破行」は「旧満州走破行」と題して、近日中に長期の連載を開始します。どうぞご期待下さい。