賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの中国旅40年(3)

 2度目の中国は1984年。5月22日、マレーシア航空で香港・景徳空港に降り立った。15年ぶりの香港はすっかり装いを変え、近代的な大都市になっていた。あちこちにあった大陸からの難民でごったがえすスラム街も、きれいさっぱりとなくなっていた。高層ビルはより高層になり、摩天楼を造りだしていた。

 九竜からフェリーで香港島に渡り、ピークトラムでビクトリアピークに登り、香港、九竜を一望。絶景を満喫した。九竜に戻ると今度は地下鉄に乗り、終点まで行き、郊外のニュータウンを歩いた。

 翌日は立派になった九竜駅から電車に乗って、国境の羅湖駅まで行った。高層住宅がどんどんと郊外へと延び、上水駅周辺は大きな町になっていた。目を見張らせるような変わり方だ。15年前に見た光景は、まるで幻であるかのような激変ぶりだった。

 九竜に戻ると、香港島に渡り、水中翼船でマカオへ。

 1時間あまりの船旅を楽しんだが、海の色が途中で変わった。南シナ海から巨大な珠江の河口に入ったのだ。

 珠江河口のマカオに到着。ホテルを決めると、さっそく町を歩く。マカオといえばカジノ。「リスボンホテル」のカジノは熱気であふれていた。運試しにスロットルマシンをやってみたが、100香港ドルをすったところでやめた。

 カジノを出ると、マカオを歩いた。市場を歩き、繁華街のアルメイダ・リベイロ通りを歩いた。さらにセントポール寺院、要塞、漁港と見てまわった。

 翌日は郊外へ。バスでタイパ島に渡り、島内を歩いた。魚醤油の店ではつくっているところを見せてもらった。漁港を歩き、漁村を歩いた。

 同じバスでマカオに戻ると、今度は中国との国境へ。大きな荷物をかかえて中国に帰っていく人たちの長い列ができている。車も頻繁に行き来している。マカオナンバーと中国ナンバーの両方のナンバープレートをつけた車が多い。

 マカオ滞在の最後の日、5月25日にはワンデーツアーで中国に行った。

 6時に起き、レストランで朝食を食べ、9時に中国旅行社前へ。胸がドキドキする。9時30分、出発。バスには全部で11人が乗った。台湾人夫妻、オーストラリア人夫妻、アメリカ人夫妻、オーストラリアからの女性4人組、アメリカからの男性2人組、それと自分。国境までくると、まずはポルトガル側のゲートを通過し、中国側に入っていく。イミグレーション、カスタムともにスムーズ。まったく問題なく中国に入った。

 中国側に入ると、英語の上手なガイドが乗り込んできた。車内からは自由に写真を撮れる。それが驚きだった。川で洗濯をしている女性を見れば、バスは停まってくれ、そこで写真をパチリ。ガチョウを飼っているところでもバスは停まり、写真をパチリ。

 ユーカリの並木道を行く。通り過ぎる車は乗用車は日本製が多い。トラックはほとんど全部が中国製だ。

 村の中に入っていく。そこでバスは停まる。しばらくは自由時間といったところで、村内、どこでも自由に歩けた。

 出発。中山へ。ここは孫文の生まれ故郷。孫文の生家、孫文の記念館を見学。中山のレストランで昼食。ビール、ワインは飲み放題。炒飯、スープのほかに6品の料理が出た。いたれりつくせりのワンデーツアー。

 最後は珠海。町の中心、香州を30分ほど歩いた。ショッピングセンターにはプールや実弾での射撃場もある。ここを最後にマカオに戻ったが、中国は中国旅行社などを通して、懸命になって外国人観光客を受け入れようとしている姿が見てとれた。

 わずか1日のツアーだったが、そこで見た中国は想像していたよりもはるかに近代化していた。

 その翌日、マカオから香港に戻り、マレーシア航空で日本に飛んだ。