賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの林道紀行(18)中部編(その9)

 (『バックオフ』1999年2月号 所収)

「浜松30キロ圏ツーリング」

 DJEBEL250XCのGPSバージョンに乗るカソリと、DF200に乗るデカビタン高杉、それとジムニーに乗る『バックオフ』編集部の染谷さん、カメラマンの向後さんが、早朝の東名高速・浜松ICに集結した。

 これから2輪+4輪の“スズキ軍団”で、スズキの本拠地の浜松周辺をまわるのだ。

 ぼくが常々思っていることは、おもしろいツーリングというのは何もこれといったツーリングエリアに行かなくても、長い距離を走らなくても、どこでもできるということである。

 今回はその“カソリ流ツーリング”を実践すべく、浜松から30キロ以内ぐらいの、ごく狭い範囲だけにしぼって走りまわろうと考えた。名付けて“浜松30キロ圏ツーリング”。

 走る林道を奥浜名の扇山林道一本にし、浜松から一番遠いところも直線距離で30キロの愛知県新城までとした。

「さー、この狭いエリアを日本一のツーリングエリアに仕立てあげよう!」

 と、我ら“スズキ軍団”は、やる気満々で浜松を一歩、走り出すのだった。

 “人の一生は重荷を負うて…”

“浜松30キロ圏ツーリング”の最初の目的地は中田島砂丘

 日本では鳥取砂丘と並ぶ砂丘美の双璧を成している。駐車場にバイクを停め、砂丘を歩く。

 砂丘の風紋に自分の足跡をつけて歩くと一瞬、サハラの砂丘のてっぺんに立ち、はてしなくつづく大砂丘群を見渡した時の感動がよみがえってくる。

“サハラの狼カソリ”の血が騒ぐ瞬間だ。

 中田島砂丘のてっぺんからは、サハラの大砂丘群のかわりに、朝日を浴びて輝く遠州灘と長く延びる海岸線を眺めた。

 中田島砂丘にほど近いスズキの本社を訪ね、浜松の市街地に入っていく。

 一時期、徳川家康の城だった浜松城へ。家康像との対面だ。

「人の一生は重荷を負うて、遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。不自由を常とおもえば…」ではじまる家康の遺訓(この遺訓碑は岡崎城にある)が思い出される。

 まさに我らツーリングライダーにはぴったりの家康の言葉を胸にしまい、奥浜名に向かった。

遠州路、食べあるき

 浜松からR257を北へ。目指すは奥浜名・奥山高原の扇山林道だ。

 まずは腹ごしらえをしなくては…。

 浜松といえば当然、うなぎ。うなぎ専門店うな重とうな茶(うなぎ茶漬)を食べ、満腹、満腹! 

 存分にうなぎを堪能したところで、奥山高原に向かった。 

 奥山高原では名刹方広寺を参拝する。禅宗臨済宗の本山だ。その門前では浜松名物“浜納豆”を見つけた。さっそく一袋買って茶を飲みながら食べたが、デカビタン高杉と「缶ビールが欲しいねえ」

 と、何度も言い合った。

 この浜納豆は酒の肴にぴったりだし、それ以上に湯漬けや茶漬けにして食べるともっとおいしい。

 浜納豆は納豆とはいっても、関東のような糸引き納豆とは違う乾燥納豆で、保存食になる。兵糧食に最適で、徳川家康の好物だったといわれている。徳川軍があれほど強かったのは、この浜納豆のおかげだと言う人もいる。

 浜納豆で日本の食文化を味わったところで方広寺深山幽谷の趣の境内を歩き、本堂で手を合わせたが、“カソリ流ツーリング”に寺社詣は欠かせない。

 寺社詣をすると心が清められるだけでなく、温泉めぐりをするのと同じように、日本が見えてくるものなのだ。

 バイクツーリングで何がおもしろいかといって、日本がわかってくることほどおもしろいことはない。

林道を走り、山に登る

 奥山高原からダート7キロの扇山林道に入っていく。林道入口の朽ちかけた道標がいい。右が陣座峠、直進が瓶割峠、左が風越峠と、行く手はすべてが峠。

“峠越えのカソリ”としてはうれしくなってしまうような道標だ。

 そのうち直進の瓶割峠に通じる道が扇山林道だ。三遠(三河遠州)国境の稜線に沿って走っている。桜並木の林道で、花の季節を思い浮かべながら走ると、なんとも気分が浮き浮きしてくる。

 林道の途中にはキャンプ場があって、そこにバイクを停め、標高563mの富幕山に登る。山頂まで1・2キロ。30分ほどの山歩きは楽しいものだ。このように、バイクを停め、ちょっと山歩きというのは、おすすめのツーリングパターン。バイクの起動力を発揮すると、おもしろい山歩きがいくらでもできる。

 たとえば峰越林道の牧丘川上林道で山梨・長野県境の標高2360mの大弛峠に着いたら、峠にバイクを置き、ぜひとも奥秩父連峰の最高峰、北奥千丈岳(2600m)に登ったらいい。登りがすこしきついけれど、3、40分ぐらいで登れる。

 さて、富幕山だがデカビタン高杉と心地よい汗をかいて登った頂上からの眺めは絶景だ。足元の浜名湖がキラキラキラキラまぶしいくらいに輝き、その向こうの遠州灘はまるで天空に浮いているかのように見えた。

峠越え&温泉めぐり

 ダート7キロの扇山林道を走りきったところが三遠国境の瓶割峠。

 瓶割峠を越えて愛知県に入り、さらに福津峠、吉川峠の2峠を越えて新城に出た。

 このうち県道392号の吉川峠はぼくにとっては初めての峠で1269峠目になる。吉川峠はとりたててどうということもない峠だが、日本の全峠制覇を生涯の目標にしているカソリ、峠の数を増やすことができて体がゾクゾクッとするほどのうれしさを感じるのだった。

 新城からはR301でもうひとつの三遠国境の峠、宇利峠を越える。東名高速の宇利トンネルの真上の峠だ。このあたりが峠越えのおもしろさで、静岡県に入り、峠道を下っていくと風景が変わる。あたりは一面のミカン園。ミカンがたわわに成っている。ミカンのブランド“三ヶ日ミカン”だ。国道沿いの売店でバイクを停め、さっそく“三ヶ日ミカン”を賞味する。

 名物は必ず食べてみるというのが“カソリ流ツーリング”の極意なのである。

 三ヶ日の町に着いたところで、今晩の宿、儀光温泉に向かう。

 儀光温泉はまさに遠州の秘湯で、地元の人でも、この温泉を知っている人は少ない。それなのにDJEBEL250XCのGPSの温泉モードで検索するとなんと儀光温泉が出てくるではないか。DJEBELのGPSの精度と情報量の豊富さには心底、感心してしまう。さっそく目的地を“儀光温泉”に設定して夕暮れの奥浜名路を走った。

 日が暮れたところで、山間の一軒宿の儀光温泉に到着。日本の全温泉の湯破を目指す“温泉のカソリ”、この儀光温泉はうれしいことに初めての温泉で、1360湯目になる。さきほどの初めての峠同様、うれしさのあまり、ついつい顔がほころんでくる。

「やったゼ!」という気分なのだ。

 さらにうれしいことに、なんと夕食はシシ鍋の豪華版。遠州の地酒を飲みながらシシ肉を腹いっぱい食べた。

 夕食後、小さな湯船の温泉に入る。湯につかりながらデカビタン高杉とボジョレーヌーボーを茶碗で飲む。それを見て、元UPI通信の報道カメラマンの染谷さんは大笑いした。

「この写真がフランスに流れたら大変だ。日本人はこんな風にしてボジョレーヌーボーを飲むのか‥‥といって大騒ぎになる」

我ら“林道清掃隊”

 浜松から儀光温泉までの走行距離は100キロほどでしかなかったが、その短い間で林道を含めてこれだけおもしろく走れるということをみなさんに知ってほしい。

 日帰りツーリング、もしくは半日ツーリングでもおもしろく走りまわれるのがバイクのよさというものなのである。

 それはさておき、翌日も抜けるような晩秋の青空。

 染谷さんの「ふだん我々がお世話になっている林道だから、きれいにして帰ろう」の一言で、前日走った扇山林道に戻り、ゴミ拾いをすることにした。

 扇山林道はよく整備され、見た目にはそれほどゴミは落ちていないように思えた。

 ランク付けをすればAAAのトリプルA級林道だ。

 ところがぼくが右側、デカビタン高杉が左側のゴミを拾いはじめると、空き缶や空きビン、弁当のゴミ、はたまた海外のおみやげや便器、壊れた自転車、古タイヤ、アイロンからカーテン、ポルノ雑誌、女性の下着‥‥まで信じられないくらいの種類と量が落ちていた。

 それら集めたゴミをジムニーに積んだが、7キロのダートの半分もいかないうちに満杯になってしまった。

 とてもではないがバイク2台と荷物を満載にしたジムニーで拾いきれるゴミの量ではない。7キロの林道全線のゴミを拾い集めるためには、清掃車1台とバイク10台ぐらいは必要だ。

 ひとつうれしかったのは、染谷さんが地元の町役場に連絡すると、

「ゴミをひとまとめにしておいて下さい。すぐに回収にいきます」

 と、すばやく反応してくれたことだ。

 ぼくは今回、林道のゴミ拾いをしてみて考えさせられた。

 日本の現状を見た思いがしたし、平気でゴミを捨てる日本人気質を見せつけられたし、それよりも何よりもプラスだったのは、自分でゴミ拾いをできないのなら、今まで以上にゴミを出さないように気をつけようと心を新たにしたことだ。

 扇山林道から三ヶ日に下り、浜名湖を左手に見ながらR301を南下した。

 新居の関所跡を見学し、最後に浜名湖弁天島に行った。ちょうど夕日が落ちるところで、まっ赤に染まった湖面がゆらゆら揺れていた。

 ぼくもデカビタン高杉もまっ赤に染まって今回の旅を終えた。