賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの林道紀行(17)中部編(その8)

 (『バックオフ』1998年9月号 所収)

カソリの信州ガイド

 夏が過ぎて秋風が吹きはじめると、無性に信州に行きたくなる。高原の国・信州は、秋にはピッタリのツーリング・エリアだ。

 信州を一言でいい切ってしまうと、“峠の国”になる。

 どこから入るのにも峠を越えていく。

 きつい登りの峠を越えて一歩、信州に入ったときは感動もの。その瞬間が“峠越えのカソリ”にとってはたまらない。

 峠を意識すると、信州ツーリングは2倍にも3倍にも、おもしろいものになる!!

(林道&峠)

“峠の国・信州”には、“峠越え林道”で入っていくのがオススメだ。信州をグルリと取り囲む各県からのダートルートはどれもいい。

 埼玉県の奥秩父からは、三国峠を越える中津川林道がある。埼玉県側は18キロのダートだが、信州側は舗装路。峠を境に、埼玉側と長野側ではガラリと風景が変わる。峠を下ると、千曲川の源流に近い川上村の梓山に出る。

 山梨県牧丘町からは、標高2360mの大弛峠を越える牧丘川上林道がある。かつては日本有数のハードな峰越林道だったが、今では山梨県側は急ピッチで舗装化が進み、全線の舗装化が間近だ。だが、信州側はそれほど変わらず、かなりラフな10キロのダートになっている。峠を下ると、廻り目平キャンプ場の近くを通り、川上村の秋山に出る。 

 群馬県上野村からは、一部ダートのR299が十石峠を越えている。R299の群馬側は未開通で、ダート3キロの黒川林道を経由していくのだ。

 今あげた三国峠、大弛峠、十石峠はどれも“中央分水嶺の峠”になる。

 中央分水嶺の峠というのは、太平洋側と日本海側を分ける峠で、三国峠だと太平洋側の東京湾に流れ込む荒川と新潟で日本海に流れ出る信濃川の水系を分けている。同じように大弛峠は太平洋側の富士川日本海側の信濃川の水系を分け、十石峠は太平洋側の利根川日本海側の信濃川の水系を分けている。中央分水嶺の峠というのは、まさに“峠の中の峠”といったところで、峠越えの感動がより大きくなる。

 さらに群馬県からだと、ダート40キロの御荷鉾林道を走り、舗装路の峠、田口峠を越えて信州に入るという手もある。

 新潟県からだと、妙高山麓から県境の乙見山峠を越えて小谷温泉に出るダート20キロの妙高小谷林道がある。小谷温泉からはさらにダート16キロの姫川小谷林道をつないで走って姫川河畔の姫川温泉に出られる。

 富山県からは、昔は伝説の峠道、ザラ峠を越えて黒部川上流に出、そこから針木峠を越えて安曇野に出るといったルートがあった。だが北アルプスの山々があまりにも高く険しいので、今は両県を結ぶ自動車道の峠道は1本もない。

 岐阜県からだと、県境の鞍掛峠、白巣峠、真弓峠という3つの峠を越える3本の林道が、御岳山麓王滝村に通じている。王滝村といえば信州第一の林道の宝庫といっていい。 愛知県、静岡県から信州へのダートの峠越えルートはないが、静岡県だと天竜スーパー林道を走って水窪に出、そこから県境の兵越峠を越えたらいい。兵越峠は以前はおもしろく走れるダートの峠道だったが、今は残念ながら全線舗装だ。

 昔は山梨県早川町から転付峠を越えて静岡県の大井川上流に出、そこから三伏峠を越えて信州の大鹿村に入るといった、なんともうらやましい南アルプスの峠越えルートがあった。だが、それも今では登山者のみが歩いていける世界。信州側からだと、バイクで三伏峠の近くまでは登っていける。

 さて、さきほどの本州を太平洋側と日本海側に二分する中央分水嶺だが、それを越える主な峠というと、群馬県境にはR292の渋峠(国道の最高所峠)、R144の鳥居峠、R18の碓氷峠、R254の内山峠、山梨県境にはR141の野辺山峠(JR小海線が並行して走っているが、鉄道の最高所峠)がある。

 長野県内にはR299の麦草峠、R142の和田峠、R20の塩尻峠、R153の善知鳥峠、R361の権兵衛峠、R19の鳥居峠があり、さらに岐阜県境には野麦峠がある。

 これら中央分水嶺の峠越えはどれもいいが、とくに展望がすばらしいのは、南アルプスの大展望台になっている権兵衛峠や乗鞍岳を間近に眺める野麦峠である。

 林道で越える中央分水嶺の峠というと、先ほどの十石峠三国峠、大弛峠のほかに、ダート18キロの月夜沢林道で越える月夜沢峠がある。また、ダート8キロの湯ノ丸高峰林道は浅間山西側の車坂峠から地蔵峠へ、中央分水嶺の標高2000m近い稜線上を走っている。眺望抜群の林道だ。

(温泉)

 信州には全部で177ヵ所に温泉があり、北海道の206ヵ所に次いで日本の都道府県の中では2番目に温泉が多い。ここでは数ある信州の温泉のうち、林道とからんだものを紹介しよう。

 奥志賀林道から分岐するダート4キロの雑魚川林道を行くと、信州の秘境、秋山郷最奥の切明温泉に出る。ここで雑魚川と魚野川が合流して中津川になるが、東側の魚野川の河原に温泉が湧いている。

 かなり熱い湯。各自が石を組んで湯船をつくって入る天然の露天風呂だ。湯が熱いので、うまく川の水を流し込んで湯温を調整する。この湯につかっていると「温泉は自然の賜物!」と実感できる。

 下流の中津川沿いには和山温泉、屋敷温泉、小赤沢温泉と信州側の秋山郷の温泉が点在し、さらに県境を越えた新潟県側にも温泉が点々とある。

 群馬県境の中央分水嶺の峠、万座峠から山田入林道を下ると松川上流にある七味温泉に出る。その名の通り7つの源泉を持つ温泉で、7つの違った泉質をブレンドした湯に入れる。

 松川沿いに下っていくと、すぐに一軒宿の五色温泉がある。ここの湯は天候によって五色に変わるという。温泉というのは不思議なものだ。さらにその下流には山田温泉。ここには共同浴場がある。

 車坂峠から地蔵峠へ、中央分水嶺の稜線上を走るダート8キロの湯ノ丸高峰林道沿いの標高2000mの地点には一軒宿の高峰温泉がある。ここの展望檜風呂からの眺めはいい。また車坂峠下には菱野温泉、地蔵峠下には奈良原温泉、群馬県側の地蔵峠下には鹿沢温泉と新鹿沢温泉がある。

 八ヶ岳山麓の稲子湯温泉近くから八ヶ岳林道を3キロほど走ったところで右折し、さらに1キロほど走り、八ヶ岳の夏沢峠に通じる登山道を2時間近く登ったところには本沢温泉がある。山小屋風一軒宿の温泉だ。内風呂もあるが、ここの目玉はなんといっても標高2150m地点の露天風呂「雲上の湯」。白濁色の硫黄泉につかりながら、目の前にそそりたつ岩肌むきだしの絶壁を見上げていると、自分と大自然との一体感が強く感じられてくる。

 塩尻からR19で鳥居峠を越え、中山道の関所のあった木曽福島の先で国道を右折し、御岳街道の県道20号を行き、数キロ走ったところで左に入ると一軒宿「大喜泉」の釜沼温泉がある。その湯は江戸時代後期の記録に残るほど古い。

 釜沼温泉には一晩、泊まったことがあるが、夕食が最高。宿のご主人の心のこもった手づくりで、信州の地の材料をふんだんに使ったもの。この釜沼温泉のご主人は、我らライダーの先輩で、大のバイクファン。ピカピカのハーレーを乗り回し、カワサキの名車W1にも合わせて乗っているような方。

 御岳街道に戻り、北上すると、三岳村の村営「ホテル木曽温泉」のある木曽温泉。そこから山中に3キロほどいくと一軒宿の鹿ノ瀬温泉。御岳街道に戻り、開田村に入ると、「やまゆり荘」のある御岳明神温泉。そしてR361にぶつかったところに開田温泉がある。御岳山麓を通るこの御岳街道は絶好のツーリングコースといえる。

 さてR361の地蔵峠下からダート18キロの月夜沢林道を走り、標高1695mの絶景峠、月夜沢峠を越えると、野麦峠下の野麦街道に出る。そこから奈川村の中心、奈川へ。奈川には新奈川温泉の村営宿「リフレ・イン奈川」がある。奈川から全線舗装の有料林道、上高地乗鞍林道に入っていくと、ルート沿いには乗鞍高原温泉、泡ノ湯温泉、白骨温泉がある。泡ノ湯温泉と白骨温泉の湯の白さは強烈だ。

 R158の安房峠旧道沿いには、営業を再開した中ノ湯温泉、その下流には坂巻温泉がある。ともに露天風呂がいい。信州側に下らずに、安房峠を越えて飛騨側に入ると、そこは平湯温泉から福地温泉新平湯温泉栃尾温泉新穂高温泉とつづく奥飛騨温泉郷になる。ここは“日本一の露天風呂地帯”だ。

(食)

 そばとうどんは、日本人とは切っても切り離せない“二大食”。ところがおもしろいことに、“そば党”と“うどん党”は、はっきりと分かれる。ぼくは“うどん党”で、そばとうどんがあれば、迷わずにうどんに手を出す。

 よくいわれるのは“そば党”と“うどん党”の性格の違い。“そば党”はどちらかというと消極的、慎重、陰気な性格。それに対して“うどん党”は積極的、軽率、陽気な性格ということになる。

 ところで“うどん党”のカソリだが、信州を旅するときだけは別だ。

 信州のそばのうまさは格別で、うどんを食べようという気が起こらない。信州のそばというのは、どこで食べてもうまい。というのは、信州人はそばの味にこえているので、まずいそば屋というのは、東京あたりでは商売になっても信州だと一日として商売にならないからだ。それだから、信州にはまずいそば屋がないといってもいい。

 信州のそばはどこで食べてもうまいといったが、そのなかでも特筆ものは、戸隠高原開田高原のそば。とくに戸隠は“日本一のそば処”といっていい。戸隠神社宝光社から中社にかけては、そばの老舗が何軒もある。

 オススメは戸隠神社奥社の入口にある「奥社前食堂」だ。ここではざるそばとそばがき、そば団子のそば料理を食べ、そば茶を飲み、そば三昧をしたことがあるが、忘れられない味だ。時間があれば、ぜひともここから戸隠山を登ったらいい。頂上近くのカミソリの刃のような難所“蟻の戸渡り”はスリル満点。

 信州の食文化で最も興味をそそられるのは伊那谷だ。

 ここでは馬刺しが有名だが、おもしろいのは、なんたって伊那谷の“昆虫食”である。ハチノコやイナゴ、ザザムシ、カイコのさなぎなどの昆虫類を食用にしている。伊那人はそれら昆虫食の中でも、とくにハチノコが大好き。ハチノコは炒ったものに塩をふりかけたり、甘露煮にしたり、炊きたてのご飯に混ぜてハチノコ飯にしたりする。ハチノコ飯といえば、伊那谷では昔からの客人をもてなすご馳走になっている。

 伊那谷では昆虫類のみならず多種の川魚も動物蛋白源にしているが、そのほかにもナラやナギの木の根元にいるゴトウムシ、セミの幼虫、ヘビ、カエルなども食用にしてきた。そのため“伊那人のゲテモノ食い”といわれてきた。その理由というのが「伊那谷は海から遠く、まわりが山ばかりで貧しいので、何でも食べなくてはならなかったからだ」と、もっともらしくいわれきた。

 だが、“食文化研究家のカソリ”にいわせれば違うのだ。

 伊那人というのは理屈っぽいが、猛烈に頭がいい。伊那谷からは“日本の頭脳”といわれるくらいの人材が輩出し、「東京の大学で石ころをいくつか投げれば、かならずひとつは、伊那谷出身の教授にぶつかる」と、いわれるほどなのである。

 伊那谷で馬肉や様々な昆虫類、さらには川魚類などを食用にし、自然の動物蛋白源を取り込んできた食の伝統は貧しいからではなく、伊那人の頭のよさ、合理性、すばらしい生活の知恵からきているものといえる。伊那人は馬肉を食べ、昆虫を食べ、川魚をより多く食べることによってよけいに頭がよくなったと、ぼくはそう思っているのだ。

 信州に行ったら、食べることへの好奇心をおおいにふくらませて、目に入ったものやこれはと思ったものは何でも口にしてみよう。

 名物料理も食べてみよう。

 そこからきっと信州が見えてくる。信州人の生き方が見えてくる。行った先々の人々の様子、文化がわかってくる。

 それがツーリングの一番の魅力なのだ。