賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの林道紀行(12)中部編(その3)

 前回の「中部編・ダート300キロ走破行」では「東京→富山」のうち、主に山梨県内のダートを走破した。全部で12本、117・4キロのダートを走った。地図上で林道を探し出し、それら林道を次々と走破していくのは、我らオフロードライダーにとっては最高の楽しみというものだ。今回は残りの富山までの区間を走破する。

峠道と天上道の交差点

 7月19日午前6時、中央道の双葉SAでブルダスト瀬戸こと瀬戸雅彦さんと落ち合った。ぼくがスズキDR-Z400S、瀬戸さんがカワサキKLX250だ。双葉SAで朝食のラーメン・ライスを食べて出発。ちなみにライスは大盛り。腹がへっては林道を次々に走破していけない。「ダート300キロ走破行」は体力勝負なのだ。

 朝から強い夏の日差し。

 中央道を諏訪南ICで降り、国道20号で諏訪方面に向かうとすぐに、JR中央本線の青柳駅前に出る。そこが第1本目の林道、金沢林道の入口だ。

 集落内を走り抜け、国道20号から0・7キロで金沢林道のダートに入っていく。

「林道走破行」での第1本目の林道というのは、とくに体がゾクゾクッとするほどの感動を覚えるものだ。林道入口にDRとKLXを止め、ブルダスト瀬戸と「さー、行くぞ!」と、いつものガッツポーズ。そして走り出す。このときの1歩、ダートに踏み込んでいくときの気分がたまらない。

 カラマツ林の中を走り抜け、高度を上げる。展望が開けてくると、目の前には八ヶ岳の大山塊が目の中に飛び込んでくる。金沢林道から眺める八ヶ岳は迫力のある山の姿だ。

 遠ヶ入林道との分岐を過ぎ、さらに登っていくと「金鶏金山跡」を通る。前回では多摩川源流地帯、黒川山の黒川金山にふれた。黒川山は戦国の武将、武田信玄の金山だが、ここも武田の金山。武田信玄が諏訪に攻め入り、諏訪一帯を支配したときに開発した金山なのだ。

 金鉱石採掘跡の「信玄つるし堀跡」や鉱石選鉱の溜池、選鉱場跡、精練所跡、横穴坑道跡、さらには坑夫たちの墓が残されている。金鶏金山跡を過ぎるとじきに金沢林道の終点の芝平峠に到着。ダート8・6キロの林道だ。

 芝平峠は十字路になっている。これぞまさに峠。

 というのは峠は「辻」ともいわれるが、峠越えの峠道と山々の稜線を通る天上道との交差点が峠なのだ。歩いて日本を行き来した時代、天上道は四方八方に通じていた。山国日本のハイウエーといってもいいような道だった。山伏や修験僧らはこの天上道を行き来したので、「山伏峠」といった峠名が各地に見られる。

 今の時代のスカイラインも、元をただせばこの天上道。芝平峠の天上道は北には金沢峠から杖突峠へとつづいている。南には日本アルプスの大展望台の入笠山へと通じている。峠道と天上道の交差点の芝平峠に立って、ぼくは感動した。

 芝平峠からは芝平峠林道のダート区間を往復。金沢峠でも同じように猿ヶ入林道と金沢峠林道のダート区間を往復した。さらに板室林道のダート区間も往復した。この一帯には距離は短いが、何本ものダートの林道がある。

 うれしいエリアだ。

日本アルプスの大展望台

 杖突峠に出ると、峠の茶屋で「高遠そば」を食べ、国道152号で高遠へと下っていく。城下町の高遠をひとまわりしたあと国道152号に戻り、高嶺林道に入っていく。さきほどの芝平峠と金沢峠を結ぶ天上道へとつづく林道だ。

 登るにつれ、大規模な植林地になるが、林道沿いにはネットが張られていた。シカを防ぐネット。林業者と野生動物の壮絶な戦いの一端を林道沿いのネットに見た。

 天上道に出ると入笠山の登山口へ。時間があれば山頂まで行くことをぜひともすすめる。そこは日本アルプスの大展望台。南アルプスから中央アルプス北アルプスまでの「日本の屋根」を一望できる。標高1955mの山頂までは徒歩約1時間といったところだ。 入笠山の登山口からは黒河内林道を走り国道152号に出た。

林道で吹っ飛んだ…

 県道210号の折草峠からは黒牛折草林道で陣馬形山の山頂へ。草がおい茂り、石ゴロゴロしていたかつのハードなダートもすっかり整備され、ダート区間は3・1キロを残すのみ。

 中央アルプスを目の前にする標高1445mの陣馬形山からは舗装路で一気に下っていく。

 中央アルプス山麓でひと晩キャンプし、翌日は陣馬形山西側の中腹をぐるりと巻く陣馬形林道を走ったが、うれしいことに12・8キロのダート区間が残っていた。

 辰野からはダート8・9キロの王城枝垂栗林道を走り、途中、日本のヘソの「日本中心の標」に立ち寄った。

 その近くにある展望塔からの眺めは最高。右の中央アルプスと左の南アルプスの間の伊那盆地が細長く見える。「伊那谷」がぴったりの盆地の風景。

 王城枝垂栗林道を走り、国道153号の小野に出た。そこからは県道254号で中央分水嶺の牛首峠を越え、桑崎林道に入っていった。

 山中の小集落、桑崎を通る林道で、林道入口から3・3キロ地点で名無しの峠に到達。地図を見ると、そこから国道19号の贄川に出られるようになっている。「よーし」と気合を入れて、草のおい茂る林道に突っ込んでいった。ところがしばらく行くと行き止まり。桑崎林道は行き止まり林道だった。

 こういうときは、結構、ガッカリするものだ。

 気をとりなおして峠に戻る途中のこと。草の中に隠れていた丸太を踏んでしまい、ツルーッと滑り、そのまま吹っ飛んだ。左側の山肌にぶつかった反動で今度は右側に飛ばされ、胸をしたたか打った。あまりの痛みに息もできない。

 駆けつけた瀬戸さんに助けられ、やっと起き上がることができた。

 それにしてもラッキーだったのは、右側の谷底に転落しなかったこと。瀬戸さんに「さすが強運のカソリさん!」といわれ、そのひと言で元気を取り戻すことができた。

 DRのバックミラーは両側を割ってしまったが、最近では一番ひどいダメージの林道での転倒だ。

 胸の痛みをかかえて国道19号に出たあと、「カソリの選ぶ信州ナンバーワン林道」の月夜沢林道を走り、その夜は岐阜県上宝村新平湯温泉の「静山荘」に泊まった。

なつかしの温泉宿

 今から30年も前のことになるが、ぼくは女房と新婚旅行で新平湯温泉にやって来た。当時は温泉宿の数も少なかった。3月半ばのことで、まだかなり雪が残っていた。ほとんどの宿が閉まっていたが、この「静山荘」の女将さんは「いいですよ、どうぞどうぞ」といって泊めてくれたのだ。

 それ以来「静山荘」には何度か、泊まっている。ということで、ぼくにとってはなんとも懐かしい温泉宿なのだ。

 翌日は岐阜県内の4本の林道を走ったあと、国道41号の茂住から茂住林道で茂住峠に向かっていく。7・4キロのダートを走り、岐阜・富山県境の茂住峠に到着。そこからは長棟林道で富山県側を下っていく。

 20キロ超のロングダートの長棟林道だが、残念ながら峠から2・0キロ地点にゲート。来た道を戻らざるをえなかった…。

 国道41号で岐阜県から富山県に入り、富山IC入口を「東京→富山」のゴールにした。そこから高速の一気走りで東京へ。

「中部編」第2弾目は22本の林道を走り、ダート距離の合計は176・9キロになった。

■コラム■中山道・本山宿のそば三昧

 中山道の本山宿の「本山そばの里」でそば三昧をした。この本山宿は日本の切りそば発祥の地といわれている。

 日本人のもともとのそばの食べ方は、そば粉を熱湯で練るそばがきだった。信州はまさにそばの名産地で、どこで食べても信州そばはうまいが、本山宿のそばもうまかった。

 まず最初に「盛りそば」をつゆにつけてツルツルッとすすったあと、日本人にとってのそばの原型といっていい「そばがき」を食べた。そのあとで「おやき」を食べた。おやきといえば信州の名物だが、これもそばのおやき。上にネギ味噌をのせて焼いてある。

 最後にデザートの「そばもち」を食べた。こうしてそば三昧をしてみると、本山宿のそばの歴史の古さを十分に感じとれるのだった。