賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本列島岬めぐり:第27回 波戸岬(はどみさき・佐賀)

 (共同通信配信 1990年)

 東松浦半島の九州北西端の岬、波戸岬には城下町の唐津から向かったが、その前に岬近くの名護屋城跡を歩いた。

 名護屋城は豊臣秀吉が大陸に賭けた壮大な夢をみた城で、1592年~1594年の文禄の役、1597年~1598年の慶長の役と、2度にわたる朝鮮半島出兵の大本営になった。5層7重の天守閣を持った城はわずか5ヵ月で完成したという。

 城を中心とした広い範囲に徳川家康、前田利家、上杉景勝…と、豪華な顔ぶれの諸大名たちが陣を張った。現在、全部で126ヵ所の陣跡が確認されている。

 まるで秀吉の夢の跡を見るかのように名護屋城の石垣は崩れ、本丸跡は広々とした草原になっている。そんな草原に大の字になってひっくり返り、青空を見上げていると、どこからともなく大名たちの話し声が聞こえてくるようだった。

 波戸岬は玄海国定公園の中心のひとつになっている。岬の周辺は海中公園。円形の海中展望台が建っている。ビジターセンターもある。

 遊歩道を歩いて岬の先端に立った。すると驚いたことに、目の前の松島と加唐島の向こうに壱岐が大きく横たわり、さらにその向こうに対馬が霞んで見えた。

 波戸岬の先端には、石垣で囲った岬神社がある。そこに居合わせた地元の老人に聞くと、対馬が見えるのは年に数回のことでしかないという。私はそのうちの1回にめぐり合ったのである。

 対馬の向こうはもう朝鮮半島。波戸岬から壱岐、対馬を眺めていると、歴史の舞台に立っているかのような気分になった。豊臣秀吉が朝鮮半島出兵の大本営を波戸岬に近い名護屋に築いたのも、もっともなことだとうなずけるのだった。