シルクロード横断:第54回目 イスタンブール
イスタンブールの「セディホテル」の朝食を食べ終わると、急坂を下り、欧亜を分けるボスポラス海峡沿いの道を歩いた。
対岸の、まさに手の届くようなところにアジア側のウスクダルの町並みが広がっている。ちょうど関門海峡の下関側に立ち、門司側の町並みを眺めるようなものだ。イスタンブールとウスクダルを結ぶフェリーがひんぱんに行き来している。
海峡にはかぎりない旅のロマンを感じる。
イギリスのドーバーからフランスのカレーへ、ドーバー海峡をフェリーで渡ったときは胸が痛くなるほど高鳴った。スペインのアルヘシラスからジブラルタル海峡を渡るフェリーでモロッコのタンジールに向かったときは、アフリカへの夢が際限なくふくらんだ。チリのプンタアレナスからフェゴ島へと、マゼラン海峡を渡ったが、「マゼラン海峡を見てみたい!」というのが「南米一周」の一番の目的だった。
稚内港からサハリンのホルムスク港へと、ロシア船で渡った宗谷海峡。
エチオピアのアッサブ港からイエーメンのモカ港にアラビアの帆船、ダウで渡ったバブエルマンデブ海峡。
そのようないままでに見てきた世界の海峡の風景が、ボスポラス海峡と二重映しになってよみがえってくるのだった。
1990年の「世界一周」のときは、ボスポラス海峡を行く船に乗った。
金角湾からボスポラス海峡に出ると、海峡をまたぐ第1ボスポラス橋、第2ボスポラス橋をくぐり抜け、北に向かった。
「(海峡の)右はアジア大陸、左はヨーロッパ大陸!」
という目で見ていると、壮大な気分になってくるのだった。
船はアジア側の船着場、ヨーロッパ側の船着場とジグザグに寄っていきながら、イスタンブールを出てから1時間40分後に、終点のアナドル・カバウという港町に着いた。
ここで船を降り、丘の上へと石畳の道を登った。丘の上には古城があった。古城の崩れかかった石垣の上に腰を下し、ボスポラス海峡とその北側に茫洋と広がる黒海を見下ろした。
ボスポラス海峡北口のあたりは好漁場になっているのだろう、無数の漁船が見られた。定置網を仕掛け、それを引き上げる漁船も見られた。
そんなシーンが次々とまぶたに浮かび、消えていくのだった。
イスタンブールの町並み
ボスポラス海峡沿いの公園で。対岸はアジア
ボスポラス海峡を行き来するフェリー