賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

ユーラシア大陸(12)ノボシビルスク→クイビシェフ

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年7月16日(火)晴のち曇 ノボシビルスク→クイビシェフ 343キロ

 8時、ホテル「オビ」のレストランで朝食。黒パン、チーズ、サラミとライス、オビ川の川魚。

 9時、出発。いつものことだけれど、町を抜け出るまでが大変だ。

 ノボシビルスクからはM51(国道51号)を西へ。このあたりまで来ると、東シベリアでは圧倒的に多かった日本車はぐっと少なくなる。国道では頻繁に交通警察の検問がある。警官はスピードガンでチェックしている。標識に従って70キロ、50キロ、30キロと速度を落とす。そこを過ぎると、スズキDR-Z400Sのアクセルを開き、一気に加速し、また120キロ前後で走る。

 12時、草原で昼食。パンとサディーンの缶詰、チーズ、ソーセージ。

 ここではヤマハの1200㏄、ロイヤルスターでシベリア横断中の吉田滋さんに出会った。なんという偶然‥。

 吉田さんは1966年から68年にかけてヤマハのYDSで「世界一周」した方。そのときぼくは20歳。「アフリカ一周」に出発する直前だった。20以上もの質問事項をノートに書いて、それを持って帰国早々の吉田さんにお会いしたが、ていねいにひとつずつの質問に答えてくれた。当時はバイクでの海外ツーリングの情報が皆無に近かった時代だった。

 そのときにに教えてもらったことは「アフリカ一周」にどれだけ役立ったことか。30数年も前のそんな出会いをはっきりとおぼえていてくれたのだ。

 吉田さんは大学を卒業するのと同時に「世界一周」に旅立ち、3年あまりの旅を終えるとすぐにヤマハに入社した。ヤマハ一筋で定年退職すると、今回のシベリア横断ルートでの「世界一周」に旅だった。ウラジオストクを出発点にシベリアを横断し、モスクワからはサンクトペテルブルグへ、そしてフィンランドのヘルシンキに向かう。

 その30数年前の「世界一周」のときにヘルシンキまで行ったが、モスクワまで走ることができずに悔しい思いをした。その悔しさを今、はらそうとしているのだ。

 そんな話を聞いてぼくは胸がジーンとしてしまう。

 吉田さんはヨーロッパからアメリカに渡り、アメリカを横断して2度目の「世界一周」を達成させたいという。20代のときと60代のときの「世界一周」。固い握手をかわして別れた。

 オムスクに向かっていくと、カザフスタンの国境近くを通る。南からの熱風に吹かれ、地平線までつづく大草原を見ていると、カザフスタンなどの中央アジアの国々に無性に行ってみたくなるのだった。

 17時20分、クイビシェフ着。地元のテレビ局がやってきて美人リポーターのエリーナにインタビューされた。

 この町の家まわりには、カナビラが自生していた。このカナビラというのはマリファナの大麻。日本だったら大変なことになるところだが‥。

 クイビシェフでは「ガストニッツア」に泊まり、近くのレストラン「エプマック」で夕食。メインディッシュはマッシュポテトとキューリのピクルスを添えたカツレツ。それとサラダ。パンはケシの実入りのブロテキー。

1801、ノボシビルスクを出発

ノボシビルスクを出発

1803、カザフスタンへとつづく大草原

カザフスタンへとつづく大草原