賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

秘湯めぐりの峠越え(18):暮坂峠編

 (『アウトライダー』1995年5月号 所収)

四万温泉の「御夢想之湯」

 R145とR353が合流する中之条に着いたときには、すでに夕暮れが迫っていた。 今晩の宿を暮坂峠下の沢渡温泉にしようと決め、ぼくの温泉ツーリングの必需品『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)のページをめくり、沢渡温泉の何軒かの宿に電話を入れた。その結果、「宮田屋旅館」で泊めてもらえることになった。遅い時間の到着にもかかわらず、夕食も用意してくれるという。

 宿が決まり、食事にもありつけることになり、ほっとした気分で、R353の行き止まり地点にある四万温泉まで行く。

 上州でも有数の大温泉地の四万温泉は、四万川の渓流沿いにある温泉口、山口、新湯、日向見の4つの温泉地からなっている。

 温泉口から日向見までは4キロほどの距離がある。

 最奥の日向見温泉には、無料の共同浴場があるとのことで、行ってみる。

 薬師堂に隣あった「御夢想之湯」という趣のある名前の共同浴場だ。ところが入浴時間は午前10時から午後4時まで。残念ながらすでに閉まっている。そこで、共同浴場に一番近い温泉旅館の「中生館」に行き、宿での入浴を頼むと、なんと、「御夢想之湯」の鍵を貸してくれたのだ。

 ぼくの、なんとしても四万温泉の湯に入りたいという熱意が通じたのかもしれない。ともかく、そのおかげで、「御夢想之湯」に入ることができたのだ。

「御夢想之湯」は、名前どおりの温泉情緒にあふれる湯だった。

 木の湯船、木の洗い場。木の香がそこはかとなく漂ってくる。一人、湯につかっていると、まさに夢想の世界で遊ぶことができた。

「御夢想之湯」は、無料の共同浴場とはいったが、そこには“善意の箱”が置いてある。100円玉を入れようか、500円玉を入れようか迷ったが、「中生館」のやさしそうな若奥さんの顔が浮かび、500円玉を入れた。

「中生館」の若奥さんにはよ~くお礼をいって共同浴場の鍵を返し、身も心もほかほかの、あったかな気分で夜道を走り、7時半、沢渡温泉に到着した。

 

沢渡温泉「宮田屋旅館」

 沢渡温泉は開湯800年の歴史を誇る温泉だ。

 すぐさま「宮田屋旅館」に行った。遅い時間の到着にもかかわらず、宿のおかみさんはすこしもいやな顔もしないで、快く迎えてくれた。それが何ともうれしい!

 ちょっとだけ時間をもらい、食事の前にパッと温泉に入る。木の香がプーンと漂う湯船に身をひたし、1日の走りの疲れを癒した。

 湯から上がると、夕餉の膳が部屋に運ばれてくる。ヤマメの塩焼きやゼンマイの煮物、コンニャクの刺し身、キジ鍋など、ふんだんに山里の味覚が盛りこまれた食事だった。

暮坂峠越え

 翌朝は5時、起床。ゆっくりと朝風呂に入り、早めの朝食を頼み、7時半に沢渡温泉を出発する。

 県道中之条草津線で暮坂峠を越える。

 標高1086メートルの暮坂峠には、双体の道祖神と地蔵がまつられている。

 さらに、漂白の歌人、若山牧水の像と歌碑が建っている。歌碑は「枯野の旅」だ。

  乾きたる

  落葉のなかに栗の実を

  湿りたる

  朽葉がしたに栃の実を

  とりどりに

  拾うこともなく拾いもちて

  今日の山路を越えて来ぬ

  長かりしけふの山路

  楽しかりしけふの山路

  残りたる紅葉は照りて

  餌に餓うる鷹もぞ啼きし

  上野の草津の湯より

  沢渡の湯に越ゆる路

  名も寂し暮坂峠

 若山牧水が暮坂峠を越えたのは、大正11年10月のこと。

 草津温泉から六合村の小雨を経て沢渡温泉に向かったが、途中、花敷温泉でひと晩泊まり、翌日、暮坂峠を越えた。

 この暮坂峠は、古くからの、上州と信州を結ぶ街道の峠。それは沼田から中山峠を越えて中之条に出、沢渡温泉から暮坂峠を越えて草津温泉へ、さらに渋峠を越えて信州に通じる街道だった。

 暮坂峠を越え、中之条町から六合村に入る。

 峠を下っていくと、正面には雪化粧した白根山が見えてくる。峠下の集落、暮坂を通り、六合村の中心、小雨へ。そこからR292で長野原に出た。JR吾妻線の長野原草津口駅前の自販機で買ったカンコーヒーを飲み、ホッとひと息つくのだった。