カソリの食文化研究所:第10回 浜松編
(『ツーリングGO!GO!』2003年5月号 所収)
春一番の林道を走ろうと、静岡県の奥浜名に向かった。
東京からスズキDJEBEL250GPSバージョンで東名高速を一気に走る。
浜松ICで降り、浜松の中心街に入っていく。浜松城跡で徳川家康像にご対面。これがカソリ流の浜松到着の儀式なのだ。
浜松からは国道257号経由で浜名湖の北側、奥浜名の奥山高原へ。
このエリアの林道群を走破する前に、臨済宗方広寺派の大本山、方広寺に参拝した。
参拝を終え、門前の「ゑびす屋」で休憩したときのことだ。ここでぼくはまさに劇的な「食」との出会いをした!
店の奥さんは、
「これ、関東の人には、食べられますかねえ」
といいながら、お茶と一緒に、皿に盛った茶色い味噌の固まりのような豆粒を出してくれた。奥さんはさらに、
「八丁味噌が大丈夫な人なら、食べられるのだけど」
ともいった。
さっそく何粒かを手でつまんで食べる。焼き味噌のような風味がある。山椒の香りがする。何か、昔ながらの懐かしさを感じさせる素朴な味わいだ。
それは「食べられますか?」などというものではなく、茶請けにはちょうどいい味だった。
「いやー、おいしいですよ!」
というぼくの言葉に、奥さんはすごく喜んでくれた。
これがぼくの「浜納豆」との出会いになった。
日本には大きく分けると、2種類の納豆がある。水戸納豆で代表される糸引き納豆と、浜松の浜納豆や京都の大徳寺納豆のような乾燥納豆である。ぼくは大徳寺納豆は食べたことがあるが、浜納豆は食べたことがなかったので、
「いつの日か食べてみたい!」
とずっと思っていた。その浜納豆に、ついに出会ったのだ。
「この浜納豆は富塚町(浜松市)の法林寺さんでつくっているんですよ。それで法林寺納豆といいます」
と、「ゑびす屋」の奥さんにそういわれた瞬間、食文化研究家のカソリは猛烈な興味を抱いた。奥山高原の林道群はあとまわしにし、すぐさま浜松にとって返した。このあたりがバイクの機動力の成せる技というものだ。
法林寺はスズキの本社とホンダの浜松工場のちょうど中間、佐鳴湖の北東1キロぐらいのところにあった。方広寺には全部で170ヵ寺もの末寺があるとのことだが、法林寺もそのひとつ。さっそくご住職に「法林寺納豆」のつくり方を聞いた。それがまた、驚きだった。
よく洗って水に浸した大豆を6、7時間かけて、ゆっくりと蒸す。
次に酵母菌の混ざったコウセン(麦こがし)をまぶし、麹室で3、4日、寝かせる。
それをキアゲ(生醤油)に漬けて半年近く熟成させる。
最後にゴザの上に広げて天日で乾燥させる。そのときに、ひと粒づつをころがしながら形を整え、醤油漬けにしたショウガをまぶして風味を出す。
そして袋詰めのときにサンショの実を入れるのだ。
このように「法林寺納豆」は大変な手間と時間をかけてできあがるもので、その話を聞いたときは、1袋300円というの値段が信じられないような思いがした。安すぎる。
方広寺に戻ると、そこを拠点に奥山高原の林道群を走った。最後にダート7キロの扇山林道を走り、三遠(三河・遠江)国境の瓶割峠に出た。
峠から三ヶ日町の中心街に下っていく途中では、真言宗の大福寺に立ち寄った。
貞観17年(875年)に創建された幡教寺(その寺跡は扇山林道のわきにある)がもとになっているという大福寺だが、この寺が「浜納豆」発祥の地。中国(明)の僧が伝えたという。そのため当時は「唐納豆」といわれた。
見事な庭園のある大福寺の社務所では、浜納豆の「大福寺納豆」を試食できるし、土産に買っていくこともできる。さっそく数粒、食べてみたが、「法林寺納豆」以上に焼き味噌の風味を強く感じた。
「大福寺納豆」は発酵させた大豆を塩水に漬けるということだが、その製法の違いが味の違いになっているようだ。
その日は三ヶ日の奥浜名湖(猪鼻湖)の湖畔の宿に泊まった。
さっそく浜納豆をつまみに、ビールをキューッと飲み干した。夕食後には浜納豆を酒の肴に、地酒の「奥浜名湖」をチビチビ飲んだ。
翌朝は宿の朝食の前に、浜納豆の茶漬けをサラサラッと食べた。茶請けに、ビールのつまみに、日本酒の酒の肴に、茶漬けに…と、すごく合う浜納豆だ。
浜納豆の茶漬けをすすりながらぼくは、方広寺門前の「ゑびす屋」のご主人、原田伸夫さんと奥さんの漫才のようなやりとりを思い出し、その話をかみしめた。
ご主人は地元の人で、奥さんは福島県のいわき市の出身。2人は昭和20年代に東京で出会った。
ご主人にとって納豆といえば浜納豆のような乾燥納豆のことだった。当時、このあたりには糸引き納豆などは、まったくなかった。で、東京に出て、
「なっと、なっとー、なっと」
の納豆売りの声に引かれて、初めて東京の納豆を買ったときは、飛び上がらんばかりに驚いたという。経木につつまれた糸引き納豆は、原田さんの想像をはるかに越える食べ物で、まったく食べられなかった。
原田さんは奥さんと出会ってまもなく、
「これは故郷の浜納豆だよ」
といって奥さんに手渡した。
奥さんはてっきり「甘納豆」だと思い込み、何粒かを口の中に入れ、その瞬間に吐き出した。とても食べられるものではなかったという。
結婚し、こちらに来て26年になるとのことだが、奥さんは今だに浜納豆は食べられない。納豆といえば糸引き納豆のことで、故郷の四倉(いわき市)の納豆は水戸納豆に負けないくらいに味がよいという。
今でも四倉の納豆の味がなつかしく思い出されて仕方ないというのだ。
静岡は日本を東西に分ける分岐点。
糸引き納豆は静岡以東のものだし、浜納豆などの乾燥納豆は静岡以西のものになる。
納豆という食べ物ひとつで日本の東西文化論をおおいに語れるし、日本が手にとるようによくわかる。それが食文化のおもしろさなのである。