カソリの食文化研究所:第7回 氷見編
(『ツーリングGO!GO!』2003年2月号 所収)
富山湾の海流は、時計回りだ。
そこでは古くから、湾内を流れる海流を利用して、ブリの定置網漁が盛んにおこなわれてきた。富山湾のブリ漁の本場が氷見漁港。ここに水揚げされる「氷見ブリ」はまさにブリのブランド品。脂ののり方や身のしまり方が違うので、同じ富山湾でも、ほかの漁港に揚がるブリよりも値段が高い。
晩秋から初冬にかけて、雷が鳴って日本海が大荒れに荒れると、ブリが富山湾に逃げこんでくるのでよくとれるようになる。
富山湾の漁民たちはその雷鳴を「ブリオコシ」と呼んでいる。そのころから、ブリがたくさん水揚げされるようになる。
この冬の脂のたっぷりとのったブリを寒ブリという。それに対して初夏のブリを夏ブリというが、寒ブリは夏ブリとは比べものにならないほど、はるかに美味だ。
11月中旬、寒ブリを食べに、氷見に向かった。
愛車スズキDJEBEL250XCに「頼むゾ!」とひと声かけて、真夜中、東京を出発。関越道→上信越道→北陸道と、寒風を切り裂き、雪とアイスバーンの恐怖に怯えながら高速道を突っ走る。
うまいものを食べるためには、どんな苦労をもいとわないカソリなのだ。
北陸道を富山ICで降り、R8→R160経由で氷見に着いたのは夜明け。
500キロあまり走っての氷見到着だ。熱~いブリのあら汁でも食べて体をあたためたいところだが、やってる店もないので、すぐさま氷見漁港に行った。
漁港前の魚市場には、水揚げされたばかりの、体長1メートルぐらいの寒ブリがズラリと並んでいる。重さは10キロ前後。15キロの大物も見る。
魚市場での競りを見たあと、氷見の海岸を走った。沖合1キロぐらいのところに、ブリ漁の定置網を見る。かなり大がかりな定置網なので、資金がないとできない漁なのだ。
氷見市内に戻ると、「日本一周」のときにも立ち寄ったことのある氷見駅近くの「小川屋食堂」に行く。ここのおばちゃんがすごくいい。あったか味のある人。
さっそく寒ブリを賞味する。まずは刺し身。
「おー、これぞ、氷見ブリ!」
ひき締まった身のブリブリ感がたまらない。
食べながら「これだよ、これ!」と思わず声が出てしまう。おばちゃんは「おまけよ」といって、さらにメジの刺し身を出してくれた。
次に、ブリカマの照り焼きだ。
「う~ん」
食欲をそそる匂いがたまらない。カマはブリの中でも一番脂ののったところで、それを一口、口に入れたときのトロッとした上質の脂分が「寒ブリ」を強烈に感じさせてくれるのだ。
おばちゃんは、「ほら、この形が草を刈る鎌に似ているでしょ。だからカマっていうのよ」という。
最後はブツ切りにしたあらとダイコンを味噌でグツグツ煮込んだあら炊きだ。これがまたご飯にじつによく合う。
このほかブリの内蔵は、酢味噌あえのぬたにする。ここではフトウと呼んでいるブリの肝臓は塩辛にする。ぬたにしても、塩辛にしても、これがまた絶品。絶好の酒の肴だ。
このようにブリは捨てるところのまったくない魚なのである。
ブリは富山人にとって、正月には絶対に欠かせない。
ブリなしの正月は、餅なしの正月のようなもので、まったく考えられないことなのだ。嫁の里からは、歳暮として婚家にブリを送る習わしがあり、婚家ではその片身を送り返すのがしきたりになっている。
正月魚でいえば、同じ日本海でも富山のすぐ隣り、親不知を越えた新潟より北はサケになる。このあたりが日本の風土のおもしろさ。一見すると同じように見えても、親不知という一本の線を境に、西と東ではガラリと文化が変わる。
さて、ブリはまた、成長するにつれて呼び名が変わる出世魚として知られている。
関東だと「ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ」。
関西だと「ワカナ→ハマチ→メジロ→ブリ」。
だが、富山では「ピンピン→ツバイソ→コズクラ→フクラギ→ニマイズル→ガンドウ→コブリ→オオブリ」となる。
ブリが正月には欠かせない魚だということ、このようなじつに細かい呼び分けがあるということは、それだけブリが富山人の生活に密着した魚の証明だ。
ところで、信州の安曇野でも正月魚はブリで、それを「飛騨ブリ」と呼んでいる。
もちろん山国の飛騨でブリはとれないが、富山湾の「氷見ブリ」が飛騨の高山の問屋を経由し、安房峠や野麦峠を越えて信州に入ると「飛騨ブリ」になるのだ(ちなみに飛騨では「越中ブリ」という)。
北アルプスの2000メートル近い峠を越えるブリ!
このブリの運ばれた道が「ブリ街道」だ。
氷見からの帰路は「ブリ街道」を走った。
富山から高山へ。高山からは国道361号を行く。
「道の駅・ひだ朝日村」には、写真、地図つきの「ブリ街道」の案内板があった。
ほんとうは野麦峠を越えたかったが、冬期閉鎖なので国道361号の長峰峠を越えた。峠近くではバイクを押した。雪との大格闘。
大汗をかきながら雪の長峰峠を越えたとき、ぼくは自分の姿と重ね合わせて、ブリを背負って北アルプスの雪深い峠を越えた歩荷(ボッカ)たちの姿を思い浮かべるのだった。