賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本食べある記 第1回:下関のフグ

 (「市政」1991年1月号 所収)

 フグといえば下関だ。フグの本場、下関では「フグ」と濁らずに「フク」と乾いた発音をする。「福を呼ぶ魚だからフクというんですよ」といった料理屋の女将さんの話を聞いたこともある。それだからこの項ではフグではなく、フクと書くことにする。

 下関では「フクは彼岸から彼岸まで」と、よくいわれる。フクの水揚げは秋の彼岸のころから本格化し、春の彼岸を過ぎると、ぐっと減ってくる。それをいっているのだ。

 寒風の吹き始める11月に入ってから、フクを食べに下関に行った。本州最西端の下関駅には夕方に着いた。駅舎内のみやげもの店をのぞくと、フク一色なのである。ふく提灯、ふく茶漬け、焼きふく、ふくの一夜漬け、ふくの粕漬け、ふくのみりん干し…など。駅舎を出ると、フクのモニュメントが目を引く。その数は20匹近い。金属のフクはまるで空を泳いでいるかのようで、「フクの町、下関」を象徴していた。

 ネオンの灯りはじめた町を歩くと、これまたフク料理の本場、下関だけあって、「ふく料理」とか「ふく刺し」、「ふくちり鍋」といった看板を掲げた店を何軒も見る。「ふくフルコース」の看板を出している居酒屋をみつけると、さっそくその店に入ってみた。きっぷのいい女将さんの「ふく談義」に耳を傾けながら、「ふくのフルコース」を味わってみた。「ウチではトラフグ以外、いっさい出していません」と、女将さんは宣言するかのように、きっぱりという。何種もあるフクの中では、トラフグが最上の味なのだという。

 まず最初に、「ひれ酒」が出た。ふたつきの湯呑みに、焦げるくらいに焼いた「ふくひれ」を入れ、熱燗の酒を注いだもの。ふくひれの味がジワーッと酒にしみこんでいく。ひれ酒にするひれは背びれ、胸びれ、腹ひれで、尾びれは使わないという。ひれ酒には干したトラフグのひれを使うが、品不足の状態で、シマフグやゴマフグのひれも、トラフグのひれと称して出回っているらしい。だが、女将さんの話によると、味が全然、違うとのことだ。

 ひれ酒を飲んでいると、「ふく刺し」が出た。三枚におろした身を薄く切り、菊の花びらを模した盛りつけ方で、まさに「食の芸術品」といったところだ。日本人の美意識、日本の食文化の真髄を見るような思いがする。日本の食は舌で味わうだけでなく、目で見て味わうものなのだ。

「ふく刺しはね、フクの身をいかに薄く切るかにかかっているのよ」と女将さんはいう。それに薬味の紅葉おろしと細かく刻んだワケギが添えられ、フクの皮が盛られている。

 箸をつけるのがもったいないくらいだが、ひときれつまんで、つけ汁(醤油にダイダイ酢を混ぜ、薬味を入れたもの)につけ、口の中に入れてみた。光沢のあるフクの切り身は淡白な味だが、かみしめるとかすかな甘味が口の中に広がり、粘り気も出てくる。コリコリッとした歯ざわり、かみごたえが何ともいえない。

 下関ではこのフクの歯ごたえを「ひきがある」といっている。ひきのあるフクがうまいフク。トラフグ以外のフクには、この「ひき」がないのだという。このコリッ、コリコリッとしたフクの淡白な味わいの身は、血液の循環をよくするとのことで、食べているうちに体がホカホカしてくる(ような気がする)。

 ふく刺しを食べ終わると、「みかわ」と「こふく揚げ」が出た。みかわというのは文字通り、身と皮の間についている部分で、それをさっとゆでたもの。紅葉おろしとワケギの薬味をのせ、醤油をかけて食べる。「こふく揚げ」はフクの子供を揚げたもので、頭も骨もひれも食べられる。

 その次がメインディッシュといってもいい「ふくちり鍋」で、コンブでだしをとった湯の中に、フクのあらとハクサイ、ネギ、シュンギク、シイタケ、ミズタケ、エノキ、葛きり、豆腐、紅葉麩、それと餅をいれたもの。ふくちりにはこの餅がことのほか合っている。「お餅をたくさん入れてというお客さんが、けっこういますよ」と女将さん。

 ふくのあらは、骨についた身をチューチューしゃぶってしまうほどうまかった。ほんとうにフクの好きな人というのは、さらに骨を油で揚げて、パリパリポリポリとせんべいのようにして食べるという。

 最後は「ふく雑炊」。残ったふくちり鍋に、ご飯を入れた雑炊で、これがまたきわめつけのうまさだった。

 フクはいくら食べても食べあきないといわれているが、まさにその通り。フクに始まりフクに終わる、フクだけのフルコースで、見事なほどの満腹感を味わえる。

「福を呼ぶからフクというんですよ」

 という女将さんの言葉が、なるほどとうなずける下関のフク料理だった。

下関は「フグの本場」。全国で消費されるフグの8割前後は下関に水揚げされる。ところで、フグの水揚げされる漁港だが、それは下関漁港ではない。下関漁港の対岸、彦島の北西端に位置する南風泊漁港である。

 南風泊漁港の南風泊市場はフグ専門で、関門海峡に面した唐戸市場から移ってきた。唐戸市場は今でも水産物の市場として機能しているが、手狭になったことや船舶の航行がひんぱんな関門海峡が危険だということもあって、フグだけが南風泊市場に移った。

 ここでの競りを見たくて、翌日、南風泊漁港に行った。夕暮れどきになると、フグ釣り漁船が次々に入港してくる。船は50トン前後で8、9人乗り。フグナワと呼ぶフグ専用の延縄漁船である。

 かつての漁場は関門海峡から徳山沖にかけての周防灘や、豊後水道、玄海灘だったが、今では東シナ海が主要な漁場になっている。さらに五島列島や奄美諸島などからの養殖フグが入ってくる。養殖ものの値段は天然ものの半分ほどだ。

 南風泊漁港に接岸した漁船の船底からは、生きているフグがいったん市場内の大きな水槽に移し変えられる。このように、釣り上げられたフグは生かして南風泊漁港まで運ばなくてはならない。というのは死んだフグは値段が半分から3分の1くらになってしまうからだという。船中でフグを生かしておくために、フグ釣り漁船は巨費を投入し、大がかりな装置をつけなくてはならない。

 午前2時を過ぎると、もう市場は動き出す。氷詰めにされた発泡スチロールのケースが次々に並べられていく。これらは死んだフグ。午前2時50分、くじ引きがおこなわれ、早い競りの順番に当たった船から、水槽の生きているフグが引き上げられる。プラスチックのケースに入れられ、大きさをそろえてケースを並べていく。

 午前3時20分、市場内にベルが鳴り響き、いよいよ競りが始まる。赤い帽子をかぶった競り人が、筒形の紺地の布袋に片手を突っ込み、

「さー、どうかー」

 と、威勢のいい声を出して、仲買人の買う気をさそう。

 仲買人たちは青い帽子をかぶっている。布袋の中での競り人と仲買人の指のからみあいで、フグ1ケースの値段が決まっていく。買主の決まったフグはすぐさま業者の処理場に運ばれていく。

 フグの調理師免許を持った人がさばくのだが、まずひれを落とし、背と腹の両側に切り口を入れ、尾の方から両面の皮をはいでいく。えらを引き抜き、頭を落とし、眼球を捨て、内臓をとり除く。このようにして1分1秒を争うようにしてさばかれたフグは専用の冷凍コンテナに入れられ、トラックで福岡空港に運ばれ、東京や大阪といった大消費地に送られていく。

 夜が明けると、南風泊漁港にはまったく人気がなくなった。朝日を浴びて光る海を見ていると、真夜中の熱気、喧騒がまるで夢でも見たかのように思われてくるのだった。