賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

韓国食べ歩き:第20回

 (『あるくみるきく』1987年1月号 所収)

1976年の韓国

 3度目の韓国は1976年12月で、やはり関釜フェリーで釜山(プサン)に渡った。 そのときは釜山を中心にしてその周辺をまわった。

 釜山はすっかり装いを新たにし、山肌にへばりついていたスラム街は一掃され、その跡にはビルが建ち並んでいた。

 釜山滞在中は何度となく釜山漁港に足を運んだ。

 漁港前の魚市場は2階建。1階には鮮魚店が並び、裸電球の灯る店先では水揚げされたばかりの魚介類が、威勢のいい掛け声とともに売られていた。2階には海鮮料理店が軒を並べ、タイやアワビなどの刺身が日本では考えられないような安い値段で食べられた。

 なんといっても圧巻だったのは、岸壁に沿って長く延びる大露天市。その長さは数百メートルにも達した。

 魚介類や干魚、ノリなどの水産加工品はもちろんのこと、リヤカーに満載された野菜類や果物類から食器、衣類、雑貨と、ありとあらゆる日用品が売られ、それこそ足の踏み場もないような混雑ぶりだった。

 それら無数の露店の間には、種々雑多な屋台が出ていた。その中には日本風の今川焼きやおでん、うどん、するめ、刺身などを売る屋台もあった。そんな屋台でアナゴの刺身を肴にして昼間から焼酎をあおっている人たちもいた。

 床屋が露店を出し、竹細工の職人がわずかな空地で大籠や大生簀などを編んでいた。

 けたたましくベルを鳴らしながら、山のような荷物を積んで自転車が通り過ぎていく。「オーオー」

 と、まるで怒鳴っているかのような大声を出して、練炭を満載にしたリヤカーが通り過ぎていく。体の半分以上もあるような大荷物を頭にのせた女性が、羽を広げたような背負子に落ちこぼれんばかりにハクサイを入れた男性が、すさまじい雑踏をかきわけるようにして歩いていく。

 釜山の大露天市は商われる商品の種類の多さもさることながら、大露天市に集まってくる人々の波のようなうねりと喧騒に、私はすっかり圧倒されてしまった。

 釜山の大露天市を歩きながら、私は韓国人も持つ熱気と迫力を怖ろしいまでに実感した。「すごい国だ、この国は!」

~・~・~

 そんな過ぎ去った韓国の旅の思い出にふけっている間に、私たちの乗った光州(クワンジュ)行き特急「セマウル号」は京釜線と湖南線の分岐する大田(テージョン)を過ぎ、百済の都、プヨー近くの論山(ノンサン)を過ぎ、全羅北道(チョンラプクド)に入っていた。

 車窓には広々とした湖南平野が広がっている。韓国第一の穀倉地帯の湖南平野は見渡す限りの水田地帯で一面、黄色く色づいている。田の畔にはダイズが植えられていた。

 全羅北道の中心地、全州(チョンジュ)を過ぎ、韓国第三の大河、錦江(クムガン)を渡り、全羅南道(チョンラナムド)に入っていく。そして13時05分、終点の光州駅に到着した。

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