韓国食べ歩き:第17回
(『あるくみるきく』1987年1月号 所収)
車窓の風景
9時05分、光州(クワンジュ)行きの特急「セマウル号」は、定刻通り、ソウル駅を出発した。
ソウルの中心街を走り抜け、韓国第2の大河、漢江(ハンガン)にかかる鉄橋にさしかかると、対岸には夏の日差しを浴びて金色に輝く超高層ビルが見えてきた。
朝鮮戦争(1950年~1953年)で国土の大半が焼土と化した韓国は、戦後、焼け跡の中から這い上がり、立ち上がった。そして奇跡の高度経済成長を成しとげた。それを称して「漢江の奇跡」といわれたが、漢江河畔の超高層ビルはまさに「漢江の奇跡」を象徴しているかのようだった。
ソウルの南、40キロの水原(スーウォン)あたりまでは、ソウルの延長線のような市街地がつづき、工業化の道を一直線に突き進む韓国らしく、大小の工場が目についた。
水原を過ぎると、田園風景が車窓全体に広がるようになる。稔りの季節を迎え、稲田は黄色く色づきはじめていた。
鉄道沿いの道路は舗装され、トラック、バス、乗用車がしきりなしに走り過ぎていく。ポプラ並木はすっかり大きくなっている。山々には松が植林され、青々としている。
「あー、変ったなあ!」
そんな車窓の風景を見て、私は思わず声を上げた。
都市ばかりでなく、田園地帯の変貌ぶりにも目を見張らせるものがあった。
私がそれ以前に見た韓国というのは、ソウルや釜山といった都市を一歩出ると、幹線道路といえども舗装路が途切れ、砂利道になった。時たまやってくるトラックやバスがもうもうと土煙を巻き上げ、走り去っていった。ポプラ並木は植えられたばかりで、若木は痛々しいほどに頼りなかった。山々に緑はほとんどなく、岩肌があちこちで露出していた。はげ山がやたらと目についた。そのような風景が目に焼きついていた。
それがわずか10数年の間で、これほどまでに変るものなのか…。
茶色い山が青い山に変るものなのか…。
韓国という国が現代史の中で、壮大な実験をしているかのようにも思えた。