賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

秘湯めぐりの峠越え:第3回 天城峠編(静岡)

 (『遊ROAD』1993年6月号 所収)

50㏄バイクで伊豆半島へ

 1993年3月18日、夜明けとともに、50㏄バイクのスズキ・ハスラーTS50で神奈川県伊勢原市の自宅を出発。国道246号を走り出す。目指すのは、伊豆半島の天城峠だ。

 このTS50はまったくのノーマルのバイクだが、ちょっとふつうのバイクとは違う。 というのは1989年に全行程2万キロの日本一周を走り、1990年には全行程2万5000キロの世界一周を走りきった50㏄バイクなのだ(そのときのことはJTB刊の『50ccバイク日本一周2万キロ』と『50ccバイク世界一周2万5000キロ』に書いてありますのでぜひともお読み下さい)。日本一周&世界一周4万5000キロを走ったハスラーはいまだに健在で、快調なエンジン音を響かせる。

 自宅を出てまもなく、伊勢原市と秦野市の境の善波峠を貫く善波トンネルを抜け出る。その瞬間、快晴の夜明けの空を背に、まだたっぷりと雪をかぶっている富士山が目の中に飛び込んでくる。この善波峠を越えたところで見る富士山は、ぼくの好きな富士山のひとつなのである。

 見え隠れする富士山に向かって走り、神奈川県から静岡県に入る。御殿場まで来ると、富士山はもう目の前だ。御殿場は峠のま上の町。富士山と箱根山という2つの大火山の間に位置する広々とした高原状の地形なので誰も御殿場峠などとはいわないが、国道246号を50㏄バイクでゆっくりと走ってみるとよくわかる。

 静岡県に入った駿河小山からは、かなり急な登りがつづき、登りつめた峠のま上が御殿場の市街地ということになる。国道でいうと、国道246号と国道138号の交差点あたりが最高地点になり、そこを過ぎると裾野市へとゆるやかに下っていく。東名高速を走っていても御殿場ICあたりを境に、しばしば天気が変わるが、このあたりが関東と東海の大きな境目になっているからだ。

 裾野で国道246号と分かれ三島へ。伊勢原から65キロの三島に着くと、伊豆の一宮の三島大社に参拝し、国道136号で伊豆半島に入っていった。

中伊豆の温泉ハシゴ旅

 三島を出発点にして天城峠を目指す。終着点は下田だ。

 国道136号で三島市から函南町に入ったところで国道を左折し、第1湯目の畑毛温泉へ。ここには全部で10軒ほどの温泉宿があるが、そのうち「魚屋旅館」(入浴料300円)の湯に入った。33度、38度、42度と湯温の違う5つの湯船に分かれているが、それらひとつづつの湯船に身をひたした。この第1湯目ほど気持ちのいいものはない。

 夏の暑い日に、キューッと飲むビールの、最初のコップ1杯のうまさと同じで、

「クワーッ、たまらん!」

 と、湯につかりながら、思わず声が出てしまうのだ。

 第2湯目は畑毛温泉から1キロほど南に行った奈古屋温泉。

 一軒宿「奈古屋温泉」(入浴料800円)の湯に入る。温めの湯と熱めの湯、2つの湯船。湯の感触がやわらか。肌に絹がまとわりつくような感触なのである。

 第3湯目は、奈古屋温泉から渓流に沿って奥に入ったところにある駒ノ湯温泉。「駒ノ湯源泉荘」(入浴料500円)の湯に入ったが、ここには男女別の露天風呂がある。

 これら畑毛、奈古屋、駒ノ湯の3湯の温泉は国道136号から東に入ったところにあるが、国道沿いの喧騒がうそのような、山裾の静かな温泉地である。

 国道136に戻り、狩野川沿いに南下。

 第4湯目の韮山温泉では「富士屋旅館」(入浴料500円)の湯に入る。

 第5湯目は、韮山で国道を右折し、狩野川を渡ったところにある伊豆長岡温泉。温泉ホテルや旅館が60軒以上もある中伊豆最大の温泉地。「あやめ湯」と「南共同浴場」の2軒の共同浴場に行ったが、ともに閉まっていたので「南共同浴場」に隣あった「ゆもとホテル」(入浴料1000円)の大浴場に入った。ほかに入浴客もなく、大浴場を独り占めにして気分よく湯につかった。

 第6湯目は修善寺温泉。温泉街のまん中にある無料の混浴・露天風呂「独鈷の湯」に入った。観光客がゾロゾロやってくるのでちょっと抵抗感はあるが、修善寺温泉に来て、この「独鈷の湯」に入らない手はない。

 さらに国道136号を南下し、天城峠下の天城湯ヶ島町に入る。「湯の国会館」の前を通り、国道136号と国道414号の分岐点に到着。ここから第7湯目の船原温泉へ。

 船原温泉は土肥峠(船原峠)を越える国道136号沿いの温泉で、「船原館」(入浴料800円)の湯に入った。歴史の古い温泉。近くには源頼朝の狩場があったとのことで、狩りを終えたあと、この湯に入ったのだという。宿の名物は“お狩場焼き”だ。

 国道136号と国道414号の分岐点に戻り、今度は天城峠を越える国道414号を行く。

 月ヶ瀬の食堂で麦とろを食べ、国道沿いの月ヶ瀬温泉に行く。一軒宿の温泉。だがここは、入浴のみは不可。残念‥‥。

 第8湯目は国道414号から1キロほど入った吉奈温泉。高級温泉旅館「さか屋」に行く。入浴料は2000円だといわれ、二の足をふんでいると、宿のおかみさんが旧館の湯に、それもタダで入れさせてくれた。吉奈温泉は“子宝の湯”として知られているが、なるほどと思わせるような人肌のあたたかさの湯で、なおかつ人肌のやわらかさを感じさせる湯だった。

 第9湯目の嵯峨沢温泉では、温泉民宿「喜久屋」(入浴料500円)の湯に入ったが、ペンション風の白い、洒落た建物だ。第10湯目の湯ヶ島温泉では、共同浴場の「河鹿の湯」(入浴料200円)に入った。渓流を目の前にした情緒あふれる温泉だ。

天城峠を越える

 中伊豆の10湯の温泉に入ったところで、湯ヶ島温泉から天城峠を目指し登っていく。このころから天気が崩れ、青空から灰色の空に変わる。峠への途中には、伊豆第一の浄蓮滝。駐車場にハスラーを止め、滝を見にいく。急な石段を下っていくと、高さ35メートルの大滝がドーッと轟音をとどろかせて流れ落ちている。渓流のわきにはワサビ田。ワサビは伊豆の特産品になっている。

 この浄蓮滝の入口には『伊豆の踊子』像が建っている。川端康成の名作『伊豆の踊子』は、いまだに根強い人気を保っているが、物語は天城峠からはじまる。

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠が近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。私は二十歳。高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城峠を登ってきたのだった。‥‥」

 狩野川の源流、本谷川に沿って天城峠を登っていくと、『伊豆の踊子』の世界が、身近なものに感じられてくるのだ。

 国道414号は有料の天城トンネルで天城峠を抜けているが、その手前で左に折れ、旧道に入り、ダートの峠道を登っていく。路面はよく整備されている。国道の分岐点から2キロほど登ると旧道の天城トンネル。なんと峠周辺では、雪がチラチラと舞っている。天城峠は標高800メートル。寒いはずである。ハスラーを止めてながめる山々は、春まだ遠い冬枯れの景気だった。

 天城峠旧道のトンネル内は舗装され、灯がついている。峠のトンネルを抜けると河津町に入るが、中伊豆から南伊豆へと世界が変わる。樹相が変わる。路面は若干荒れ、轍の深いところもあるが、乗用車でも十分に走れる道だ。

 5キロほどのダートを走り、国道414号に合流したが、それとともに雪はやんだ。

天城峠下の“温泉天国”の湯三昧

 天城峠を下っていくと、全長1064メートルのループ橋。2重ループを旋回し、下りきったところで国道を離れ、大滝温泉へ。このあたりでは、滝のことを“ダル”といっている。

 大滝温泉の「天城荘」(入浴料1000円)の湯に入る。ここはまさに、“温泉天国”で、露天風呂だけでも10幾つもあるほどのすごさなのだ。

「よーし、体力勝負で、全湯に入ってやる!」

 500円を払ってバスローブを借り、露天風呂三昧を開始する。なぜ、体にひっかけるバスローブが必要なのかというと、河津七滝のうちの最大の滝、大滝見物にやってくる観光客が多いので、裸にタオル一丁というわけにはいかないのだ。

 まず最初は、「子宝の湯」。あやしい雰囲気の、混浴の岩風呂だ。一番奥には、ふくよかな女性が見事な男のシンボルをおしいただているような格好の石像がまつられている。

 2番目は、「秘湯穴風呂」。奥ゆきが30メートルほどもある洞窟風呂。洞窟内はもうもうとたちこめる湯気。男女別々の入口で、中で一緒になる。若い女性たち数人が入っていたが、全員、水着を着ている。

 3番目から8番目までは、高さ30メートルの大滝を間近にながめる「河原の湯」。小屋掛けしてガラス越しに大滝をながめる湯や、丸太小屋の湯、打たせ湯つきの湯などがある。

 9番目から15番目までは「河津七滝・五右衛門風呂」。大滝、出合滝、かに滝、初景滝、へび滝、えび滝、釜滝と、河津七滝の名前をつけた五右衛門風呂があり、それぞれに湯温が微妙に違う。それら五右衛門風呂にひとつづつはいりながら、目の前のループ橋をながめるのだった。

 16番目は小屋掛けした「道祖神の湯」。

 17番目は冷泉の「霊泉蛇湯」。さらに「水車の湯」があるが、女性専用で入れない。最後にもう一度、「子宝の湯」に入ったが、1時間半をかけて18湯を制覇したことになる。体は湯疲れで、もうフニャフニャクニャクニャ状態。そんな体にムチを打って、またハスラーにまたがるのだった。

 天城峠下の湯ヶ野温泉では、「部外者の無断入浴を禁止します」と書かれた共同浴場に地元のみなさんにお願いして入れさせてもらい、最後の蓮台寺温泉では「金谷旅館」(入浴料1000円)の湯に入る。これがすごい! 千人風呂の看板どおりの大浴場で、それも、いかにも日本的な温泉情緒にあふれる湯だった。

 こうして三島から100キロの下田に到着。料理屋で磯料理を食べ、下田を出発。

 国道135号で伊東、熱海と通り、小田原へ。国道1号で二宮に出、伊勢原に戻った。