賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

秘湯めぐりの峠越え:第2回 長峰峠(長野・群馬)

 (『遊ROAD』1993年4月号 所収)

地蔵峠は冬期閉鎖中

 1993年2月13日。松本盆地の塩尻から国道19号で鳥居峠を越え、木曽福島へとスズキDJEBEL250を走らせた。

 木曽路の中心といってもいい木曽福島の町に着いたのは午後。すばらしくよく晴れていた。木曽福島といえば、中山道では碓井関と並ぶ福島関で有名だが、まずは関所跡と関所資料館を見学した。

 今回の峠越えでは、一晩、木曽路の秘湯、釜沼温泉に泊まったあと、国道361号で長峰峠を越え、岐阜県の高山に向かうつもりにしていた。長峰峠は、北アルプスの峠の中では唯一、冬期間でも越えられるのだ。

 スコーンと抜けたような青空をみていると、急に木曽のシンボル御岳山を見たくなった。

「ソレ、行けー!」

 とばかりに、DJEBELを走らせ、国道361号の旧道で地蔵峠を登っていく。地蔵峠は御岳山を眺めるのには、絶好の展望台になっている。

 だが峠道は冬期間は閉鎖。バイクならば走れるのではないかと峠道をのぼっていくと、ツルツル滑るアイスバーンになり、深い雪道になり、たてつづけに転倒。

 その拍子に左足をバイクにはさまれ、

「アイテテテ‥‥」

 と悲鳴を上げる。これは無理だと地蔵峠を断念し、来た道を木曽福島へと引き返した。 快晴の夕空を背に、西日を浴びてそびえ立っているであろう、木曽の霊山、御岳山を見損なってしまった。

釜沼温泉の心やさしいご夫妻

 木曽福島に戻ると、御岳街道を数キロ走り、左に折れ、釜沼温泉の一軒宿「大喜泉」に行く。釜沼温泉はまさに木曽の秘湯。その湯は天保年間(1830ー1844)の記録に残るほどで、歴史は古い。

 やさしさがそのまま顔に出ている宿の奥さんに部屋に案内され、荷物を置くと、さっそく檜風呂の湯につかる。雪道の転倒でパンパンに腫れあがってしまった足をよくもみほぐす。釜沼温泉の重炭酸鉄泉の湯は、アトピーなどの皮膚病によく効くとのことで、浴室の脱衣所の壁には、治ったお礼の手紙のコピーが何通も貼られてあった。

 アッと驚いたのは、夕食である。

 ヤマメの塩焼き、豆腐の味噌田楽、カモ鍋など、全部で13種類もの料理が出たが、馬刺しやイナゴの佃煮、ハチノコ、アンズの砂糖漬けなどは、信州を強く感じさせてくれたし、ヤマイモの実のムカゴや澱粉たっぷりのユリ根などは、かつての日本人の食生活を偲せてくれるものだった。これらは、宿のご主人の心のこもった手づくりの料理なのだ。

 夕食後、ご主人の田口修さんに、いろいろとお話を聞かせてもらうことができた。

 田口さんは20年間、大手機械メーカーのエンジニアをしていたが、昭和54年に退職すると、奥さんともども「大喜泉」を受け継いだ。180度の人生の大転換。さぞかし、ご苦労も多かったことだろう。

 田口さんは大のオートバイファン。ピカピカのハーレーを乗り回し、今では幻の名車になっているカワサキのW1にも合わせて乗っている。還暦を過ぎたとは思えないほど若々しく、お元気だ。

 田口さんはまた車も大好きで、ご自分でエンジンを組み立ててしまうほど。オートバイファン、クルマファンにはこたえられない「大喜泉」。いい宿に出会えたな、いい人たちに出会えたなと、うれしくなるような釜沼温泉だった。

地吹雪の御岳山麓をいく

 翌日は天気が崩れ、朝から雪が降っている。あたりは一面の銀世界。田口さんご夫妻の見送りを受けて出発。DJEBEL250で雪の御岳街道を走り、国道19号に出た。

 かつての中山道の難所、“木曽の桟に寄り道し、一軒宿の桟温泉(入浴料500円)の湯に入る。鉄分を含んだ赤茶けた湯。窓をあけると、目の前が木曽川だ。木曽谷にはそのほか、灰沢温泉、かもしか温泉と、ともに一軒宿の温泉があるが、この雪ではどうしようもない。また、次の機会に来よう…。

 木曽福島の町に戻り、いよいよ、飛騨街道の国道361号で長峰峠を目指す。

 鉛色の空からは、あいかわらず雪が降りつづいている。

「うまく長峰峠を越えられるだろうか‥‥」

 前日にひきつづいて、地蔵峠への旧道に入り、2キロほど走ったところにある二本木温泉(入浴料300円)の湯に入る。ここは木曽福島町営の公衆温泉浴場で、入浴、休憩のみ。町起こしで掘り当てた湯だという。湯から上がると、タオルで体をキュッキュッとよくこすり、雪と寒さとの戦いに備える。

 国道361号に戻り、ゆるやかな勾配を登っていく。このあたりの路面には、まだ、雪はほとんど見られない。

 新道は全長1645メートルの新地蔵トンネルで峠を抜けている。トンネルの入口あたりが木曽福島スキー場で、駐車場はスキー客の車で混み合っていた。

 長大な新地蔵トンネルを抜け、木曽福島町から開田村に入る。するとどうだろう‥、いっぺんに積雪量が多くなる。国道361号も、積もった雪で路面はまっ白だ。

 降りしきる雪は激しさを増した。ゴーゴーとうなりをあげて吹きつけてくる風のため、地吹雪の様相だ。

 思わずサハラ砂漠の砂嵐の光景がよみがえる。

 ぼくはサハラ砂漠には心をひかれ、何本かのルートでサハラを縦断したが、砂嵐にも何度か出会った。最初のうちは大蛇がうねるようにして砂が地表を流れていくが、風がさらに激しくなると、空に舞い上がる砂のためにほとんど視界はなくなってしまう。御岳山麓の地吹雪の光景はサハラ砂漠の砂嵐を思い出させるほどにそっくりで、ただ、純白の雪の世界と、赤茶けた砂の世界という色の違いがあるだけだった。

 ゆるやかな下り坂。シラカバ林の中を抜けていく。高原の広々とした風景。御岳山はすぐ近くなのにもかかわらず、まったく見えない。転倒しないように走るので精一杯。雪が深くなったり、滑りやすくなったりすると、両足で路面にタッチしながら走るのだった。

 難所は九蔵峠。雪のない季節ならば、バイクや車で走っていると、気がつかないままに越えてしまうような峠だが、ひとたび雪の峠道になると、ましてやノーマルのタイヤのバイクだとなおさらで、なんとも辛い峠越えになる。タイヤはツルツルと空転し、登りきれずに、何度もバイクを降りて押し上げた。

 やっとの思いで、九蔵峠に到着‥。九蔵峠は地蔵峠に負けず劣らずの、御岳山の展望台になっているが、降りつづく雪のためにその山裾すら見えなかった。

雪の長峰峠に悪戦苦闘

 九蔵峠を越え、開田村の西野に下ったときは、ホッと胸をなでおろした。

 まずは最初の難関を突破したのだ。国道沿いの食堂で、開田名産のソバを食べる。ザル2枚重ねのザルソバで、さすがにソバの本場だけのことはあって、

「これがソバですよ」

 といった色、味、歯ごたえをしている。

 開田高原のソバを堪能したところで、いよいよ、長峰峠に挑戦だ。

 西野を出ると、すぐに峠への登りがはじまり、あっというまに雪が深くなる。車の轍を走ると、ツルツル滑って走れない。そこで、ガードレールスレスレの新雪の中に突っこむことにした。そこだと、まだタイヤはグリップし、なんとか走ることができた。

 それでも登れないときはバイクを降りる。ギアをセコンドに入れ、半クラッチを使い、アクセルを加減しながらバイクを押しあげていくのだ。汗が吹き出してくる。ヒーヒーいいながら、肩で大きく息をする。

 死にものぐるいで峠道を登りつづけ、ついに、長峰峠にたどり着いた。

「ヤッタゼー!」

 と、ガッツポーズだ。

 御岳山北麓の長峰峠は標高1503メートル。北アルプスの南端に位置している。

 峠の茶屋はすっぽりと雪に覆われている。その北の野麦峠や安房峠が冬期間、閉鎖されるなかにあって、唯一、北アルプスの山並みを越えられるのが、この長峰峠なのだ。

 信州の人たちは、長峰峠を越える街道を飛騨に通じているので飛騨街道と呼んでいる。飛騨の人たちは、長峰峠を越えて木曽谷に通じているので木曽街道と呼んでいる。長峰峠は1本の街道を飛騨街道と木曽街道に分けている。

 長峰峠を越え、岐阜県側を下っていくと、すぐにオケジッタスキー場。さらに下っていくと、野麦峠への道とのT字路にぶつかり、そこを左へ。高根村役場のある上ヶ洞の塩沢温泉「七峰館」(入浴料300円)の湯に入ったが、雪の峠道に悪戦苦闘したあとだけになんともありがたい湯。広々とした大浴場の湯船でおもいっきり体を伸ばし、窓越しに雪景色を眺めるのだった。

 飛騨川沿いに走る。高根村から朝日村に入ると、雪はガクッと減った。国道361号は朝日村から美女峠を越えて高山に通じているが、冬期間は閉鎖。そのまま飛騨川沿いに走り、国道41号の久々野に出、高山へと宮峠を越える。

 宮峠は標高775メートル。美女峠と同じように、中央分水嶺の峠になっている。峠を境にして南側は、木曽川の最大の支流、飛騨川の水系で、北側は神通川の上流、宮川の水系になる。名古屋と富山を結ぶ本州縦断の国道41号が越えるだけあって、宮峠はこの周辺の中央分水嶺のなかでは、きわめて越えやすい峠になっている。

 宮峠を下り、高山盆地に入っていく。峠下の飛騨の一宮、水無神社に参拝し、飛騨の中心地、高山に到着。DJEBELのトリップメーターでは、木曽福島から高山まで95キロだった。