賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

秘湯めぐりの峠越え:第1回 土湯峠編

 (『遊ROAD』1993年2月号 所収)

土湯峠下の土湯温泉

 1992年11月13日。

 福島西ICで東北道を降り、土湯峠に向かって、国道115号を走る。今回の峠越えの相棒はスズキDR250Sだ。

 正面には奥羽山脈の山々が紫色のシルエットになって連なっている。初冬の夕空を背にしてくっきりと浮かび上がった山々の姿は、ぼくの目の底に焼きついた。

 右手に吾妻山、左手に安達太良山。夕日を浴びて、吾妻山、安達太良山の山頂周辺の雪が薄紅色に染まっている。雪をいだいた吾妻山と安達太良山の間は、ガクッと大きく落ち込んでいるが、その奥羽山脈鞍部を越える峠が土湯峠だ。阿武隈川流域の福島盆地と、猪苗代湖、阿賀川流域の会津盆地を結ぶ国道115号の峠だ。

 土湯峠をバイクに乗りながら眺めてていると、たまらない気分になってくる。

「これから、あの峠を越えていくのだ。あの峠の、向こうの世界へ行くのだ」

 福島盆地を抜け、奥羽山脈の山裾に入る。

 福島西ICから10キロ走り、土湯峠下の土湯温泉に着く。

 土湯峠周辺は、日本でも有数の温泉天国で、いくつもの温泉が点在している。それも、秘湯、名湯が多い。その中にあって、山あいの渓流沿いに20軒ほどの温泉ホテルや旅館が建ち並ぶ土湯温泉は、最大の温泉地になっている。

 土湯温泉では、共同浴場の「中ノ湯」(入浴料50円)に入る。無色透明の熱い湯。湯量の豊富な土湯温泉らしく、湯はふんだんに流れ込み、湯船から溢れ出ている。ここにはもう一軒、「こけしの湯」という共同浴場もある。

 湯から上がると、温泉街をプラプラと歩いて、ひとまわりした。

 土湯温泉は宮城県の鳴子温泉などと同じように、東北有数のこけしの名産地。温泉街の案内図を見ると、“こけし工人の家”が何軒もある。みやげもの店をのぞいても、こけしが目についた。

 旧土湯村(現在は福島市)の土湯温泉は、聖徳太子のお告げによって発見されたという伝説が残るほど歴史の古い温泉地。これから向かう土湯峠の峠名にしても、この土湯温泉に由来している。福島盆地側の人たちにとっては、土湯温泉から登っていく峠だから土湯峠だし、会津盆地側の人たちにとっては、土湯温泉に下っていく峠だから土湯峠なのだ。

カモシカがやってくる不動湯温泉

 今晩の宿は、不動湯温泉。

 土湯温泉の温泉街から山道を登り、舗装路からダートに入り、最後は逆さ落としのような急坂を下ってたどり着く一軒宿の温泉。土湯温泉から4キロほどの距離。木造2階建ての温泉宿「不動湯温泉」は、まさに秘湯の宿の趣。

 部屋に入ると、さっそく浴衣に着替え、湯に入りにいく。まずは、谷底の露天風呂。渓流の流れ落ちる音を聞き、暮れてゆく冬枯れの山の景色を眺めながら湯につかる。落ち葉が何枚も、湯に浮かんでいた。

 露天風呂に身をひたした瞬間がたまらない。湯をとりまく自然の中に、自分自身の体がスーッと溶けこんでいくかのようだ。この自然との一体感が何ともいえないし、自然の贈り物の温泉のありがたさを実感できる瞬間だ。

 不動湯温泉周辺の山々にはニホンカモシカが多く生息している。

 ニホンカモシカは露天風呂のすぐ近くまでやってきて、気持ちよく湯につかっている人間の姿を好奇心にあふれた目つきでジーッとみつめるという。

 露天風呂のあとは、内風呂の檜風呂と岩風呂に入る。これら3湯はすべて泉質の異なる湯で、露天風呂は硫黄泉、檜風呂は単純泉、岩風呂は単純鉄泉。不動湯温泉というひとつの温泉に入りながら、3湯をはしご湯したような、得した気分を味わうのだった。

 これらの3湯はすべて混浴。そのほか女性専用の婦人風呂(明礬泉)と、家族風呂(炭酸鉄泉)があり、不動湯温泉には全部で5つの湯がある。

 夕食後、もう一度、3湯に入る。温泉効果は抜群で、ぐっすりと眠れた。

 翌朝は、夜明けとともに目覚め、すぐさま湯に入る。ぼくはこの目覚めの湯が大好きなのだ。露天風呂では、山の夜明けの空気をたっぷり吸い込みながら湯につかり、檜風呂では、東京からの出張のついでに来たというサラリーマン氏と“湯の中談義”をしながら湯につかった。

 東京のサラリーマン氏は、

「私はここが好きで、福島への出張というと、ここに泊まるようにしているんですよ」

 というほどの不動湯温泉ファンだった。

土湯峠へ、秘湯群を総ナメにする

 朝風呂を存分に楽しみ、部屋まで運んでくれた朝食を食べ終わると出発だ。不動湯温泉から土湯温泉に戻り、いよいよ、土湯峠を目指して登っていく。

 土湯峠への途中にある秘湯群を総ナメにするのだ。

 土湯温泉を出ると、すぐにつづら折りの峠道になる。樹林の間からは、土湯温泉の温泉街を見下ろす。さすがに福島と会津若松を結ぶ幹線国道だけあって、大型トラックがジーゼルのエンジン音を山肌にぶつけて、次々と峠道を登っていく。

 突然、センターラインの引かれた2車線の山岳ハイウェーに変わる。国道115号の新道に入ったのだ。大きな弧を描いて長大橋が谷をまたぎ、登り勾配も、旧道に比べればゆるくなっている。吾妻連峰の吾妻小富士が目の前だ。

 国道115号の新道は、全長3360メートルという長いトンネルで抜けているが、その手前で旧道に入り、土湯峠へと登っていく。この土湯峠への旧道沿いには、点々と秘湯がつづく。

 第1湯目は野地温泉。一軒宿「野地温泉ホテル」(入浴料500円)の湯に入る。内風呂の檜風呂「千寿の湯」は乳白色をした湯。湯屋の梁の上には、立派な金精さまがまつられている。露天風呂の「鬼面の湯」も乳白色をした湯。泉質は硫化水素泉。ともに気分よくつかれる湯だ。

 第2湯目は新野地温泉。一軒宿「相模屋旅館」(入浴料500円)の湯に入る。内風呂と露天風呂ともに、野地温泉と同じような乳白色をした湯の色。泉質は硫黄泉。湯量豊富な温泉だ。

 第3湯目は、旧道をわずかに下ったところにある赤湯温泉。ブナ林に囲まれた一軒宿の「好山荘」(入浴料500円)の湯に入る。“赤湯”の名前どおりに、内風呂の湯は赤い色をしている。いかにも体に効きそうな湯の色なのだ。それに対して、露天風呂の湯は白っぽい色をしている。内風呂と露天風呂では、泉質が違う。赤湯は炭酸泉で、白湯は硫黄泉なのである。

 第4湯目は鷲倉温泉。ここも、やはり一軒宿の温泉で、「鷲倉温泉高原旅館」(入浴料500円)の湯に入る。大浴場とかわいらしい露天風呂。泉質は含明礬緑礬泉だ。

 おもしろいのだが、これら野地温泉、新野地温泉、赤湯温泉、鷲倉温泉の4湯は、わずかな距離の間にある温泉だが、それぞれに泉質が違う。

 4湯のあと、土湯峠のすぐ手前を右折し、第5湯目の幕川温泉へ。土湯峠の周辺では、一番といっていい秘湯だ。

 山道を3キロほど走ると2軒の温泉宿が隣りあっている。「元湯・水戸屋旅館」と「元祖・吉倉屋旅館」。

「さーて、どちらの湯に入らせてもらおうかな‥‥」

 元湯と元祖で一瞬迷ったが、何軒かの温泉宿があったら、元湯を選ぶというのがぼくの温泉の入り方なので、「元湯・水戸屋旅館」(入浴料500円)に入った。

 大浴場は木の湯船。そこでは、地元の福島市内からやってきたというお年寄りと一緒になったが、裸同士で同じ湯にはいると不思議なもので、すぐに打ちとけて話をすることができる。これも温泉のよさというものだ。

「いい湯に入って、湯の中で知り合った人と話すのが、私のなによりもの薬。これが、とってもよく効くのだよ」

 お年寄りはそういって喜んでくれた。

 幕川温泉は、冬期間の閉鎖を目前にして、あわただしかった。宿がふたたび営業をはじめるのは、半年後の5月中旬のこと。すっぽりと雪に覆われる土湯峠の冬は長く厳しい。

冬が間近な土湯峠

 幕川温泉を後にし、標高1224メートルの土湯峠に到着。福島県内の奥羽山脈の峠の中では、一番高い峠だ。

 福島市と猪苗代町の境の土湯峠は、太平洋に流れ出る阿武隈川の水系と、日本海側に流れ出る阿賀野川の水系を分ける中央分水嶺の峠になっている。

 峠にDR250Sを止め、展望台に登る。会津側の眺望が抜群の土湯峠だ。冬が間近な峠には、人影はまったくない。峠のドライブインもすでに冬期休業に入っており、シャッターを下ろしていた。

 日本海側からうなりをあげて吹きつけてくる風が冷たい。肌を突き抜けていくようだ。身体をギュッと縮めて、会津の山々を眺める。会津のシンボル、磐梯山がひときわ目立っている。峠周辺はすでに紅葉も終わり、冬枯れの風景だ。

 土湯峠から分岐する磐梯吾妻スカイラインも冬期閉鎖が間近。紅葉の季節の、押し寄せる車の長い列がまるで幻想ででもあったかのように、ぼくが峠にたっていた15分ほどの間に、1台の車も通らなかった。

 冬が目前の土湯峠を下り、峠下の横向温泉では「ホテルマウント磐梯」(入浴料500円)の湯に入る。ここの大浴場はすごい。渦湯、泡湯、寝湯、打たせ湯、歩行湯‥‥と、8つの湯船がある。それを称して“会津8湯”といっているが、横向温泉の“会津8湯”の湯、ひとつづつに入るのだった。

 土湯峠をさらに下り、土湯トンネルを抜ける新道に合流する。

 土湯峠越えの温泉めぐりの最後は、中ノ沢温泉と沼尻温泉。

 国道115号を左折し、母成峠の方向に向かってわずかに行ったところに中ノ沢温泉がある。ここでは、「花見屋旅館」(入浴料500円)の大浴場と大露天風呂に入った。そこから山手に上がった沼尻温泉では、「田村屋旅館」(入浴料500円)の大浴場と大露天風呂の湯に入った。中ノ沢温泉も沼尻温泉も、ともに湯量豊富な温泉だ。

 こうして土湯峠の温泉三昧を終え、猪苗代の町に向かっていったが、前方にはまっ赤に燃える夕焼け空を背にして磐梯山がそびえ立っていた。

 晩秋の日暮れは早い。

 あっというまに日が落ち、暗くなる。すっかり暗くなったころ、猪苗代の町に着いた。 猪苗代からは国道49号で会津若松へ。ここからは夜の峠越え。国道121号で山王峠を越えて栃木県に入り、国道400号で尾頭峠を越え、東北道の西那須野塩原ICから東北道をひた走って東京に戻った。