賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

韓国食べ歩き:第5回

 (『あるくみるきく』1987年 所収)

南大門とは…

 喫茶店でひと息入れたあと、私たちは南大門市場に行った。

 ソウルには南大門市場と東大門市場の2大市場がある。

 そのほかにも市内の各地に市場がある。市民は店で買物をするよりも、市場で食料品などを買うことが多い。そのため町を歩いていても、米屋とか八百屋、魚屋、肉屋といった食料品店をあまり見かけない。

 南大門市場はソウル駅から歩いて数分の南大門の近くにある。南大門は広壮をきわめたもので、門より内側の一帯が南大門市場になっている。

 ソウルは李朝の太祖、李成桂によって築かれた都で、高さ9メートル、周囲20キロにも及ぶ城壁で囲まれていた。

 城壁の東西南北には城門があり、城内への出入りは4つの城門を通してのみおこなわれていた。

 日本統治時代、ソウルの市街地拡大にともない城壁、城門は取り壊され、今では南大門と東大門が残っているだけである。

 南大門は南のプサン(釜山)やモッポ(木浦)、東大門は日本海のウォンサン(元山)への出発点になっていた。

 人々の往来の盛んな城門の内側には市が立ち、常設の市場へと発展していった。今では南大門市場と東大門市場は韓国でも最大級の市場になっている。

 私は南大門、南大門市場のあふれんばかりの人波を目にしたとき、ふと、エルサレムの旧市街を思い出した。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3大宗教の聖地になっているエルサレムはやはり城壁に囲まれた都市で、城壁には7つの城門があり、城門を通してのみ、人々の往来は可能であった。

 それら7つの門のうち、ダマスカスに通じる門はダマスカス門、ヤッファに通じる門はヤッファ門などと呼ばれ、城壁内は町全体が一大バザール(市場)になっていた。

 韓国は半島国ではあるが、日本のような島国ではない。大陸とは陸つづきの国なのである。

 私は南大門市場の人波のうねりを眺めながら、この地が中国からインド、中東、さらにはヨーロッパへとつながるユーラシア大陸の一部であることを自分の肌でしっかりと感じた。それと同時に、朝鮮海峡を越えた日本には、このような城壁で囲まれた都市のないことを改めて思い知らされた。

 この半島国と島国の違いは大きい。