甲武国境の山村、西原に「食」を訪ねて(その19)
(『あるくみるきく』1986年10月号 所収)
シコクビエ(その2)
私が初めてシコクビエの饅頭を口にしたのは、下城の降矢静夫さんのお宅であった。
降矢さんは雑穀の味が忘れられないので、何としても種を保存しておきたいので、ということで毎年、雑穀栽培をつづけていた。明治人の気骨とでもいうのだろうか、その姿勢には一徹さが感じられた。
「明治43年生まれ」が信じられないほど若々しかった。俳句や短歌が上手で、つくった句や歌をさらさらっと毛筆でしたためる。
(そんな降矢さんだったが、2003年2月10日、92歳でお亡くなりになった)
私は降矢さんのお宅で、奥さんがつくってくれたシコクビエの饅頭をひと口、口の中に入れたときの感動を忘れない。ぱさついた、こぼれ落ちそうな粉の感触が、私に強烈にアフリカを思いおこさせたのである。
私は20代の大半を費やしてアフリカ大陸を駆けたが、アフリカのサバンナ地帯、とくに西アフリカのサバンナ地帯は今でもトウジンビエやモロコシなどの雑穀類が主食になっている。
その食べ方はといえば、いったん粉にしたものを土鍋で煮固め、粉餅(私はそれを【粉粥餅】といった)風にし、それをちぎって手で丸め、汁につけて食べるのである。
シコクビエの饅頭はそれに似た味だった。