韓国食べ歩き:第4回
(『あるくみるきく』1987年 所収)
喫茶の伝統
朝食後、街をプラプラ歩いた。
目についたのが「チーチャ」(葛茶)を飲ませる屋台。さっそく味わってみた。
丸太のようなクズの根を圧縮機でぎゅっと絞り、そのままコーヒー茶碗に入れて飲む。クズ根の汁は泥水をさらに濃くしたような色をしている。見た目もさることながら、うまい飲み物だとは思わなかった。
ところが…。
飲み終わってしばらくすると、不思議なほど、体がすーっと楽になってくる。このチーチャ1杯は1000ウォン(約200円)で、これはけして安くはない。前の晩にビアホールで飲んだジョッキ2杯分の生ビールと同じ値段である。
屋台でチーチャを飲んだあと、喫茶店に入った。
ソウルは喫茶店の多い街。だが、日本の喫茶店とは違う。日本の場合は食堂顔負けの食事のメニューをそろえているが、韓国では文字通り喫茶だけである。
喫茶店にも、さきほどのチーチャがあった。今度は喫茶店のを飲んでみた。飲みやすくしているのか、さきほどのよりも味が薄くて、松の実が浮かんでいた。
喫茶店のメニューを見ると、そのほかにはチョウセンニンジン茶、ショウガ茶、クコ茶などがあった。これらの薬用茶といってもいいようなお茶は、韓国では一般家庭でも、ごく普通に飲まれているようだ。お茶を嗜好品としてよりも、薬用として飲んでいる傾向が強くある。
なぜ韓国では、このような薬用茶が発達したのだろうか。
ひとつの理由としては、体にいいものは積極的に取り入れようとする韓国人の気質が上げられるだろう。もうひとつの理由としては、韓国では緑茶を飲む習慣がそれほど一般的ではないことが上げられるのではないか。
韓国での茶の栽培の北限は北緯35度前後で、黄海側と日本海側の海岸地帯はそれよりも北に延びている。そのあたりは竹の自生地の北限にもなっているが、さらに北の落葉樹林帯と南の照葉樹林帯の境にもなっている。
その境界線は黄海側の群山あたりから全州、南原、普州、馬山と通り、日本海側の蔚山に至る線になっている。この境界線の南側が茶の栽培の可能な地域ということになるのだが、その線はあまりにも南に偏り、韓国全体から見ればごく一部の地域でしかない。
韓国に茶が伝わったのは新羅の時代の828年だという。
南部山岳地帯の智異山南麓の寺で栽培がはじまったとされ、最初は日本と同じように薬として用いられたようだ。それが高麗時代(936年~1392年)になり、仏教が国教になると、飲茶の習慣は国中に広まった。とはいっても、それがどれだけ民衆のレベルに浸透していたのかは、はなはだ疑問に感じられる。
というのは、高麗にひきつづいての李朝時代(1392~1910年)になると、崇儒排仏政策によって仏教は衰退し、それとともに飲茶の習慣も廃れていった。もし、飲茶の習慣が民衆レベルまで深く浸透していれば、そう簡単には廃れなかったのではないか。
このような自然条件と歴史的な背景が、緑茶を飲む習慣を一般化させなかったようだ。
もうひとつ興味深いのは、コーヒーが日本ほどは普及していないことだ。コーヒー豆を挽いて飲ませてくれる店はほとんどない。たいていはインスタントコーヒーで味もよくない。それというのも多種類の薬用茶を飲む習慣がそうさせているように思えてならない。