賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第34回 サマルカンド

 シルクロードの要衝、サマルカンドには1日、滞在した。

 中国の西安からここまで6619キロを走った。そこで午前中はスズキDR-Z400Sの整備。オイル交換をし、エアークリーナーのエレメントを掃除したり、チェーン調整をしたり、砂漠の砂にやられて渋くなったアクセルワイヤーを取り外して油をさしたり。

 DRはここまでまったくノントラブルで走ってくれた。整備を終えると、DRに「ゴールのイスタンブールまで頼むゾ!」と声をかけるのだった。

 午後は市内観光だ。

 サマルカンド中央アジア最古の都市。紀元前6世紀の頃から存在していた。

 12~13世紀にはシルクロードの商業の一大中心地として、14~15世紀にはチムール帝国の都として繁栄を謳歌した。

 サマルカンドは旧市街、新市街、アフラシャブの丘の3地域に分かれている。

 まずは旧市街の中心、というよりもサマルカンドの中心、レギスタン広場に行く。ここにはチムール帝国時代の3つの建物がある。3つともかつての神学校のメドレセだ。

 広場西側の「ウルグベグ・メドレセ」は1420年に建てられた神学校。広場では最も古い建物。入口のアーチには建造者ウルグベグの好みが反映され、青い星をモチーフにしたタイル模様が描かれている。ウルグベグは天文学者だった。アーチの両側には2本のミナレット。そのうちの1本は傾いている。

 広場をはさんで反対側には「シェルドル・メドレセ」、広場の正面には「ティラカリ・メドレセ」がある。

 レギスタン広場前のタシケント通りを北に行き、ビビハニム・モスク(イスラム教寺院)へ。ここはティムール帝国時代につくられた中央アジア最大のモスクだ。巨大なドームのモザイクが色鮮やか。

 ビビハニム・モスクを見たあと、すぐ近くのシヤブ・バザールを歩く。サマルカンドで一番大きな市場だ。米売場が目につく。日本のように5キロとか10キロのパックされたものではなく、計り売りだ。

 果物売場ではザクロが山積みにされている。スイカ売場もある。野菜売場では香菜とウイキョウが目についた。

 次にアフラシャブの丘の南麓にあるシャヒジンダ廟群へ。ここはサマルカンド有数の聖地。ティムール帝国ゆかりの人物の霊廟が一列に並んでいる。

 アフラシャブの丘は今は荒涼とした台地だが、1220年のモンゴル軍の侵攻によって破壊されるまでは、ここがサマルカンドの町だった。当時の町は城壁で囲まれ、4つの大きな門があった。それらの門を通してサマルカンドシルクロードと結びついていた。

 最後にグリ・アミール廟に行く。「グリ・アミール」とはタジク語で「支配者の墓」の意味だという。ここはティムール帝国をつくったティムールや彼の息子たちの霊廟。

 ティムール(1336~1405年)によってつくられたティムール帝国は最盛期には東はインドのデリー、西はトルコのイスタンブール、北はキプチャク草原、南はペルシャ湾岸までを支配下においた。その中には中国西部のカシュガルも入っていた。そんな大帝国だったが、ティムールの死後はあっというまに分裂してしまう。

 バイクを降り、観光バスに乗ってまわったが、なんとも心に残るサマルカンドだった。

サマルカンドの中心、レギスタン広場

サマルカンドの中心、レギスタン広場

ビビハニム・モスクのドーム

ビビハニム・モスクのドーム

シヤブ・バザールの米売場

シヤブ・バザールの米売場

グリ・アミール廟

グリ・アミール廟