賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリが選ぶ「ニッポン郷土料理」(12)東北編

223、じゃっぱ汁(青森)

東北の食文化は“鍋文化”といっていいほどで、鍋料理が発達している。冬の寒さの厳しい東北にあっては各種鍋は体があたたまるだけでなく、家族全員で鍋をつっつくことによって連体感が生まれ、家族の絆が強まるといった効果もある。昔はイロリにつるす鍋で料理した。

そんな東北の鍋料理での青森編といえば、これはもう“タラのじゃっぱ汁”。冬の日本海でとれる“寒ダラ”から切り身をとったあとのアラや内蔵を使った味噌味の鍋料理で、それを野菜類と一緒に煮込む。

224、ヒメマスの塩焼き(青森)

十和田湖のヒメマスは有名だが、もともとそこにすんでいた魚ではない。和井内貞行が北海道・支笏湖のヒメマスを放流し、明治後期になって養殖に成功したものなのである。

ヒメマスはベニザケの陸封魚。3年で20センチくらいになったものが一番美味だという。刺身で食べたり、フライにしたり、アルミホイールの包み焼きなどのもするが、なんといってもヒメマスを含めた川魚の食べ方で一番うまいのは塩焼きだ。さっぱりとした味わいのなかに、品のよい脂分がある。

225、味噌貝焼き鍋(青森)

かつて下北では、風邪をひいたときなどは貝焼き味噌をつくって食べた。大きなホタテの殻を利用し、鰹節と水を少々入れて火にかけ、煮立ったところで味噌を加える。味噌がブツブツいいはじめたら卵を割って入れ、すばやくかき混ぜ、半熟に仕上げたものである。

味噌貝焼き鍋というのは、そこからきている。ホタテやツブガイ、アブラガレイ、エビといった下北の海の幸の入った味噌仕立ての鍋がグツグツ煮えてきたところで、卵をといて上からかけたものである。

226、サザエ丼(青森)

東北の食べ歩きできわめて特徴的なのは、各地でいろいろな“丼”に出会えることだ。日本海の三大岬で知られる権現崎の登り口にある「キャニオンハウス」のサザエ丼もそのひとつ。丼の真ん中にはまるで刺し身の妻のようにゴソッとイカ刺しがあり、そのまわりをびっしり取り囲むようにサザエの刺し身がちりばめられている。ともに近くの下前漁港に揚がったばかりの新鮮なものだ。

227、焼きイカ(青森)

青森県の龍飛崎から秋田県境の須郷岬にかけての日本海はイカの好漁場。夜になると暗い水平線上にイカ釣り船の漁火が点々と灯る。それは幻想的な美しさ。そんな日本海の小泊や鰺ヶ沢の漁港に揚がるイカはまさに絶品だ。

鰺ヶ沢の国道101号の旧道沿いには何軒もの“焼きイカ”の店が並んでいる。天日で干したイカは、潮風を受け、生の状態よりも味がよくなっている。それにサッと塩をし、炭火で焼いたものが“焼きイカ”だ。

228、わんこそば(岩手)

JR盛岡駅前や盛岡の中心街には何軒かのわんこそばを食べさせる店がある。席に座ると給仕の盛岡美人が次々にそばの入った椀を持ってきてくれる。何種類もの豪華な薬味もつくのだが、薬味に目をくれていると、肝心のそばが食べられなくなってしまう。一心不乱になってそばを駆け込み、100杯を越えると、急速に苦しくなってくる。椀7、8杯でかけそば1杯分ぐらいの分量だ。

229、ドンコ汁(岩手)

ドンコを筒切りにし、ダイコンやニンジン、ゴボウ、ネギ、青菜、豆腐などと一緒に煮込んだ味噌仕立ての鍋料理。三陸海岸でとれるドンコだが、その言葉にはいかにも東北らしい素朴さ、親しみやすさがにじみ出ている。「鈍な魚」がドンコになったということで、正式な名称はエゾイソアイナメというらしい。寒い東北の夜にはぴったりの鍋料理。ぼくはこれを夏、三陸海岸小本温泉の一軒宿の朝食で食べた。朝の味噌汁がドンコ汁だった。ドンコはまた煮魚にしても美味。

230、サケの氷頭なます(岩手)

11月の中旬頃になると岩手県の陸中海岸に流れでる閉伊川などには、サケが産卵で遡上しはじめる。この地方では、のぼってくるサケを「南部鼻曲がり」と呼んでいる。「南部鼻曲がり」をつかった酒の肴が氷頭なますだ。

氷頭というのは頭の軟骨の部分のこと。それを包丁でそぎ落とし、よく水洗いし、うす切りにし、塩でもみ、酢漬けにする。それをダイコンとニンジンでつくったなますあえにし、盛りつけるときにイクラを上に散りばめる。正月料理にも欠かせない。

231、きりたんぽ(秋田)

秋田県の郷土料理のなかでは知名度ナンバーワン。山あいの温泉宿などに泊まると、夕食の膳には、よく“きりたんぽ鍋”がでる。それを食べると、しみじみと、今、秋田に来ているんだな~という旅情にかられる。

きりたんぽは硬めに炊いた粳米の飯をすりこぎで粘りがでるまでつき、秋田杉の丸串に巻きつけ、それをこんがりと焼きあげたものである。もともとは熊猟をするマタギたちの携行食だったという。きりたんぽに鶏肉、山菜、野菜類、糸こんにゃくなどを入れた鍋は美味だ。

232、ハタハタの白焼き(秋田)

秋田ではハタハタがなければ年が越せないといわれたほどの生活に密着した冬の魚だったが、近年はすっかりとれなくなってしまい、かつての庶民の魚も今では高級魚になっている。

ハタハタの食べ方には塩焼きや田楽、粕汁などがあるが、地元の人たちはハタハタの風味をそのまま残す白焼きが一番だといっている。白焼きというのは、ハタハタにさっと塩をふり、身がしまったところで水洗いし、素焼きにしたものである。それをダイコンおろしを添えた生醤油で食べるのである。

233、ハタハタずし(秋田)

ハタハタの保存食といえば、飯ずしのハタハタずしだ。新鮮なハタハタに塩をし、3日ほどおき、1晩水にさらしてから生酢に数時間漬ける。飯を炊き、糀を混ぜてすし飯をつくる。すし桶にササの葉を敷き、すし飯とハタハタを交互に積み重ねていく。うす切りのニンジンや細切りのカブ、ユズの皮、コンブなどをこのときにはさんでいく。最後にまたササの葉をかぶせ重しをかける。こうして1ヵ月ほど漬けると食べごろになる。

234、しょっつる鍋(秋田)

“しょっつる”というのは塩魚汁の訛ったもので、ハタハタなどからつくる魚醤油のことだ。かつては日本中の漁村でつくられていた魚醤油だが、今、日本に残っているのは秋田の“しょっつる”と能登の“いしる”しかない。その意味でいったら、食の文化財のようなもの。

魚醤油というのは、簡単にいえば塩漬けにした魚の絞り汁。昔はそれを調味料として使っていた。この“しょっつる”をだし汁にし、ハタハタなどの魚や野菜類、豆腐、キノコ類などを入れた鍋料理がしょっつる鍋だ。

235、石焼き鍋(秋田)

男鹿半島の海岸地域の郷土料理。鍋料理とはいっても、火に鍋をかけるのではなく、タイやエビ、サザエなどの海の幸と野菜類、山菜、ネマガリダケのタケノコ、キノコ類などの材料、水を入れた桶の中にまっ赤に焼けた石を入れ、その熱で調理するものである。

焼き石を使っての料理法というと、山形県酒田沖の粟島のワッパ煮があるが、かつては日本海沿岸の広い地域で見られた料理法だった可能性が強い。さらにこの石焼きの料理方法というのは、はるか遠くポリネシアへとつづく。

236、稲庭うどん(秋田)

“稲庭うどん”というのは、稲庭の地名からきている。その歴史は江戸時代前期までさかのぼり、秋田藩の幕府への献上品だった。今でこそ“稲庭うどん”の看板を掲げた店があちこちにあるが、江戸時代は一般の人たちはまず食べられなかった。明治以降もなかなか口にすることのできない高級品だった。

稲庭うどんは“うどん”と呼ばれてはいるが、手延の細い乾麺で、見た目にも、食べた感じも素麺のよう。だが素麺とはつくり方が異なり油を一切使わずに麺を細く延ばす。

237、いぶりがっこ(秋田)

角館で初めて“いぶりがっこ”の名を耳にしたときは、いったい、どんな食べ物なのだろうと興味津々だった。それが漬物だとわかると、ちょっぴり、な~んだという気になったが、お茶を飲みながら食べはじめると、やめられなくなり、またまた驚かされたことがある。

秋田では漬物のことを“がっこ”といっている。秋田を代表する漬物の“いぶりがっこ”は、ダイコンをいぶした漬物。昔はイロリの火棚にのせていぶしたという。いぶりがっこは風味抜群のダイコンの燻製なのである。

238、トンブリ(秋田)

“日本のキャビア”とか“畑のカズノコ”などといわれるトンブリはホウキグサの粒状の実のことで、秋田県北部の比内が主産地になっている。このトンブリのすごさは、いろいろな食べ物にきわめてよく合うことだ。たとえば千切りにしたナガイモにトンブリを添えると、ナガイモの味がグッとひきたつ。納豆と刻んだネギにトンブリを混ぜると、納豆の味が一段とよくなる。トンブリのびん詰めを土産で買って帰り、酒の肴に「これ、キャビアだよ」と出すのもちょっとした食の悪戯。

239、いも煮(山形)

イモというのはサトイモのこと。ジョガイモにしてもサツマイモにしても日本に伝わったのは江戸時代の前期のころだが、それ以前の日本でイモといえばサトイモなので、それは行事食と深くかかわっている。

山形の秋の楽しみといえば、川原で開くいも煮の大鍋を囲む野外パーティーのいも煮会だ。川原で石を集め、かまどをつくり、火を起こし、鍋をかける。その中にサトイモやこんにゃくなどを入れ、醤油などで味を整え、最後に牛肉のうす切りを入れたものがいも煮だ。

240、からかい煮物(山形)

郷土料理のおもしろさは、その名前にもある。この“からかい煮物”もなんともユーモラスな料理名ではないか。“からかい煮物”というのは“カラカイの煮物”のことで、カラカイとはエイを干したものである。山形県の内陸部ではカラカイは昔から棒ダラと並ぶ重要なたんぱく源の保存食だった。

さて、からかい煮物だが、戻したカラカイを程よい大きさに切り、それを甘辛く煮つけ、サトイモなどと盛り合わせたもので、ハレの日、とくに正月料理には欠かせないものになっていた。

241、もってのほか(山形)

東北から北陸にかけては食用菊の花をよく食べる。山形県の村山地方では、その菊料理を“もってのほか”と呼び、置賜地方では“かしろ”と呼んでいる。なぜ“もってのほか”なのかよくはわからない。食用菊は花をバラバラにもみほぐし、花びらだけを食用にするのだが、ゆでて水にさらし、三杯酢などにして食べることが多い。塩漬けにしておけば、長期間の保存もきく。菊といえば日本を代表する花。その美しい花を食べるというのは、食を目で楽しむという要素がきわめて強い。

242、米沢牛のすきやき(山形)

米沢牛といえば、東北では岩手県の前沢牛と並ぶ二大ブランド。すこし懐を豊かにして米沢で米沢牛のすきやきを食べ、前沢で前沢牛のステーキを食べれば、最高の東北グルメ・ツーリングになる。米沢とその周辺での肉牛の飼育の歴史は古く、明治初期までさかのぼる。明治8年には「牛万」という牛肉店が米沢にオープンし、東北の食肉店の草分けになった。そのような歴史を誇る米沢牛の一番の食べ方といったらすきやきだ。

243、ホヤ(宮城)

三陸の珍味ホヤは不思議な食べものだ。それを食べるたびに、日本人というのは何でも喰う民族なんだと思ってしまう。ホヤは魚でもないし、貝でもない。ホヤはホヤ。

アクの強い味なので、食べず嫌いの人も結構いるが、いったんこの味に慣れると、無性に食べたくなるものだ。女川の魚市場あたりに行けば山盛りになって売られている。ホヤの食べ方といえば二杯酢の酢の物にするのが一般的だが、刺し身にしたり、味噌あえにもする。

244、鯨の刺し身(宮城)

牡鹿半島南端の鮎川は、かつては捕鯨でおおいに栄えた。鮎川の捕鯨の歴史を「おしかホエールランド」で見ることができし、鮎川港では、限られた沿岸捕鯨用の小型捕鯨船をも見ることができる。

鯨の町、鮎川の名物料理といえば、もちろん鯨料理。ここからは金華山への観光船が出ているが、ターミナルビル内にある大食堂では鯨の刺し身定食や鯨の焼肉定食が食べられる。鯨の刺し身の赤身とカワと呼ぶ白い脂身にくさみはまったくなく、日本人好みのさっぱりとした味わいだ。

245、カキ鍋(宮城)

松島湾から北につづく海岸は、いわゆる三陸のリアス式海岸で、奥深くまで切れ込んだ湾では、どこも養殖漁業が盛ん。波静かな海面に無数の養殖筏が浮かんでいる風景は、まさに“海の畑”を連想させるもの。

ワカメやノリなどが養殖されているが、ここでの主役はなんといってもカキの養殖だ。そのためカキ料理がこの沿岸の名物になっている。酢ガキもうまいが、カキ鍋がいかにも東北らしい。伝統の仙台味噌を鍋のまわりに塗り、真ん中にカキなどの材料を置いて火にかける。

246、笹かまぼこ(宮城)

小田原、萩など日本にはかまぼこの名産地があるが、仙台もそのひとつ。ここでつくられる笹かまぼこは、東北新幹線の車中のなくてはならない土産品。人気が高い。仙台産のかまぼこはかつては、手の平かまぼこ、木の葉かまぼこなどと呼ばれていたものが、昭和になってから“笹かまぼこ”といわれるようになった。仙台といえば伊達政宗。伊達家の紋章「竹に雀」の笹にちなんだものらしい。

247、裁ちそば(福島)

奥会津はそばのうまいところ。冷涼な気候がソバの栽培に合っているからだろう。地粉のうまさと長年のそばづくりの伝統と技術が、奥会津のそばをいやがうえにもうまいものにしている。

尾瀬の玄関口であり、また温泉も湧き出ている檜枝岐は、奥会津の一番奥といったところだが、ここには“裁ちそば”の看板を掲げた店を何軒も見る。裁ちそばというのは、つなぎを一切使っていないそばのことで、そば粉本来のもっているうまみを存分に味わえる。もりそばなどで食べてみるとよくわかる。

248、身欠きニシンの酢漬け(福島)

海から遠く離れた会津では、昔は鮮魚はなかなか食べられなかった。そこで身欠きニシンとか棒ダラといった魚の保存食が重要な食料になった。ちょうど京都と同じようなもの。それだから会津でも身欠きニシンや棒ダラを使った料理が発達した。身欠きニシンの酢漬けと棒ダラのうま煮は双璧。

身欠きニシンの酢漬けというのは身欠きニシンをもどし、桶に山椒の葉を敷き、身欠きニシンを並べ、それを交互に繰り返し、重しをかけて10日ほど漬けたものである。