賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリが選ぶ「ニッポン郷土料理」(5)山陰編

57、萩かまぼこ(山口)

「萩かまぼこ」の主流は“焼き抜き”という独特の製法によるもの。まっ白なかまぼこの表面はやや固く、饅頭の皮のようなシワシワがあり、シコシコとした歯ごたえがあるのが大きな特徴だ。酒の肴にしてもうまい。この萩かまぼこの歴史は古く、江戸時代初期の『粟屋刑部左衛門什書』には、寛永13年(1636年)末、初代萩藩主の毛利秀就が粟屋家を訪ねたときの夜食の献立に、“小板かまほこ”と、板つきかまぼこの記載がのっている。西日本で萩かまぼこといえば、宇和島かまぼこと双璧をなしている。

58、シラウオのおどり食い(山口)

城下町の萩は島のようなもの。中国山地から流れてくる阿武川は海に入る手前で松本川と橋本川に分かれ、三角州をつくっているが、その上にできたのが萩の町だ。萩では2つの川にはさまれた“島”が川内、川向こうが川外と呼ばれている。春先になると、この淡水と鹹水が混じりあう阿武川の河口の松本川と橋本川にシラウオが産卵のためにのぼってくる。四つ手網漁の漁船が何隻も川面に浮かび、シラウオをとる。それはまさに萩の風物詩。シラウオ料理というと、てんぷらやすまし汁、卵とじなどがあるが、なんといっても小鉢に生きたままのものを入れ、二杯酢を加えてピチピチ跳ねるシラウオを食べるおどり食いが一番だ。

59、うに飯(山口)

三方を海に囲まれた山口県ではフグと並んでウニが特産品になっている。南の瀬戸内海や西の玄界灘につながる響灘でもウニはとれるが、山口のウニといえば、なんといっても北浦(日本海)海岸で取れるウニが一番だ。ここではバイクを停めてウニ取りのおばあさんにちょっと話を聞いたことがある。すると家に呼ばれ、とれたばかりのウニを食べきれないほど出してくれた。何も味をつけずに生ウニをそのまま食べるのだが、ほのかな潮の香が口の中に漂い、えもいわれぬうまさ。それなのにおばあさんは「兄さん、悪いねえ…。何にもご馳走できなくて」というのだ。郷土料理の「うに飯」は米に醤油と酒を加え、生ウニとともに炊いたもので、ウニの炊き込みご飯といったところ。北浦海岸の店で食べられるが、萩でも名物料理になっている。いとこ煮と澄まし汁がついた「うに飯定食」を食べたことがある。

60、うるか(島根)

中国地方最大の河川の江ノ川は川魚の宝庫。江ノ川でとれる川魚の中でも、とくにアユが有名だ。アユといえばアユ漁の解禁になるころの若アユが一番美味だが、川面に秋風が立つころにとれる脂ののったアユの味もなかなかのものである。産卵を終えた落ちアユは投網で大量にとれるが、それは天日で干し、干しアユにして保存し、冬の間の魚として食べられる。この大量にとれる落ちアユからつくる珍味がアユの塩辛の“うるか”。アユの内蔵を塩漬けにして熟成させたもので、うるかをつまみに、熱燗にした地酒をチビチビ飲むのは山陰の旅の最高の贅沢というものだ。

61、割子そば(島根)

西日本でそばのうまいところというと限られるが、出雲地方はそのひとつ。「出雲そば」の名で知られている。三瓶山の山麓は昔からの出雲そばの生産地。出雲そばの食べ方で特徴的なのは、なんといっても“割子そば”。直径12センチ、高さ3センチほどの丸形の朱塗りの器にそばを盛り、それを3段重ねにしたもので、それが一人前になる。薬味とだしをかけて食べるのだが、1段目に残っただしはそのままにせず、2段目にかけ、足りない分のだしと薬味を加えて食べる。3段目も同じようにして食べる。つつましやかな日本の食文化を感じさせる食べ方ではないか。

62、ぼてぼて茶(島根)

城下町の松江を中心にした出雲地方では、このぼてぼて茶が昔から飲まれている。番茶を沸かしたヤカンの中にひとつまみの陰干しした茶の花を入れ、これをこれを鉄鉢形をしたぼてぼて茶碗に注ぎ、茶筅で泡だてた中に煮豆や大根漬けのみじん切り、シソの塩漬け、山菜を入れて飲む。それに一口程度の飯とか粥を加えることもある。ぼてぼて茶の名の由来だが、膝の上で、茶筅で“ぼてぼて”といった感じで茶をたてるところからこの名があるらしい。松江藩主の松平不昧公が広めたということだが、もともとは庶民のもの。夜なべ仕事の夜食がわりなどにに飲まれていたようだ。

63、もぐりずし(島根)

宍道湖畔の松江は“水都”で知られているが、その宍道湖は浜名湖やサロマ湖と同じような汽水湖(海水と淡水が混じり合っている湖)で、魚介類の宝庫。“水都”松江の味覚といえば宍道湖でとれる魚介類で、ヤマトシジミ、モロゲエビ、シラウオ、スズキ、ウナギ、コイ、アマサギの“宍道七珍味”がよく知られている。さて松江駅の駅弁にもなっているもぐりずしだが、蓋をあけると、ご飯の上にはヤマトシジミが敷きつめられ、さらにその上には宍道湖の夕日に見立てたという紅ショウガをのせ、夕日に揺れるさざ波を表したという錦糸卵を散らし、宍道湖の夕景色をつくり出している。さらに“宍道七珍味”のモロゲエビとシラウオをのせ、アゴ(トビウオ)からつくる“野焼きかまぼこ”を添えてある。まさに“水都”松江を描いたような駅弁なのである。

64、スズキの奉書焼き(島根)

“宍道七珍味”のひとつのスズキだが、古来、湖の神領漁場を守護する賣布(めふ)社には社頭海士と称する12軒の漁師が境内地に住み、旧10月10日の御饗祭にスズキを供える習わしがあった。海士たちは精進潔斎してスズキ漁にのぞみ、もしこの日までにスズキがとれないときは腹を切らなくてはならなかったという。この地方の人たちにとってスズキというのは、それほどの魚なのだ。

宍道湖畔の漁師たちはとりたてのスズキを焚火の灰に埋めて蒸し焼きにして食べていたが、あるとき、それを松江藩の風流藩主、松平不昧公に差し上げることになって、あまりにも粗末だということで、奉書にくるんで焼いたという。それがスズキの奉書焼きのはじまりになった。このスズキの奉書焼きは冷めないうちに箸で身をほぐし、取り皿に分け、ショウガ、ネギ、紅葉おろしを添えて醤油で食べる。焦げ目のついた和紙のにおいとスズキの味がミックスし、宍道湖の王者的な味覚になる。10月の雷を“鱸(スズキ)おとし”というほどで、このころよりスズキの味は一段とよくなり、身がしまり、ぐっと脂がのってくる。

65、アマサギの照り焼き(島根)

“宍道七珍味”のひとつのアマサギというのはワカサギのことで、宍道湖では晩秋から翌年の春先まで、かなり長く漁がつづけられる。正月を越すと味が一段とよくなる。初物のころはアマサギ1匹ずつにたれをつけて焼く。これがアマサギの照り焼きだ。だが、この照り焼きは手間と時間がかかるので、手早く一度にたくさんできる照り醤油をからめた照り煮にしたり、甘露煮にもする。アマサギの照り焼きはそのまま食べても美味だが、それを熱いご飯の上にのせ、タレを少々かけ、熱いお茶をかけ、ワサビをきかせて食べる茶漬けがうまい。この茶漬けをアマサギの柳かけと呼んでいる。

66、松葉ガニ(鳥取)

鳥取といえば冬の松葉ガニでよく知られている。カニは新鮮なものは塩ゆでにし、二杯酢で食べるのが最も一般的な食べ方だ。ゆでるときは沸騰した湯に15分ほど入れる。その食べ方だが、手づかみが一番うまい。あまり人目を気にせずにカニにかぶりつく。それと鍋料理の「かにすき」。食べおわるとご飯を入れて「かに雑炊」にする。カニのうま味がたっぷりしみ込んだ雑炊は天下一品の味わいだ。鳥取市内にはかに料理専門の店もあり、松葉ガニ料理を満喫できる。この松葉ガニはズワイガニのことで、越前では越前ガニ、金沢あたりではズワガニといっている。

67、かにずし(鳥取)

鳥取駅の名物駅弁。今では「かにずし」というと、あちこちで見られるが、元祖はここ、鳥取駅なのだ。冷凍したベニズワイガニの身を戻してゆで、すし飯の上にのせたもので、錦糸卵やグリンピースをのせている。ベニズワイガニというのは、ズワイガニよりもはるかに深海性のカニで、水深1000mから1500mの海底に生息しているという。ところでバイクツーリングの途中で駅に立ち寄り、このような名物駅弁を食べるのはなかなか楽しいもの。この鳥取駅のかにずしのほかには、北陸では富山駅のますずし、北海道では森駅のイカめしなどがおすすめだ。

68、あごちくわ(鳥取)

あごちくわといっても、何もあごの形をしたちくわのことではない。“アゴ”というのはトビウオのこと。鳥取を含めた日本海の広い地域でトビウオのことをアゴといっている。アゴは毎年6月ごろ、能登半島沖の産卵場を目指して日本海を暖流の対馬海流にのって北上するが、そのアゴを鳥取の人たちは“上りアゴ”と呼んでいる。アゴ漁はアゴが鳥取の沖合を通過する2、3週間が勝負。アゴは鳥取の初夏を代表する魚になっている。このアゴを原料にしたのがあごちくわ。焼きちくわで歯ごたえがある。そのままかじると、ビールのちょうどいいつまみになる。皮は刻んで吸い物にし、身だけを食べる食べ方もある。あごちくわは今では一年中、つくられているが、アゴは初夏が旬の魚で、刺し身にしたり、開きにし、干して焼いて食べたりする。

69、豆腐飯(鳥取)

江戸時代、鳥取藩の藩主は領民に「魚の代わりに豆腐を食え」といったという。鳥取は良港には恵まれないところで、昔から漁業はあまりふるわなかった。その影響で、明治、大正になっても、親しい仲間の会食というと湯豆腐がご馳走になっていた。今でも家庭料理では豆腐をつかった野菜の白あえが多いし、山間部の村々などにはこの豆腐飯(豆腐丼)が残っている。豆腐飯のつくり方というのは次のようなものだ。まずは豆腐の水気を切り、よく炒めておく。次にワラビやゼンマイ、フキ、タケノコなどを細かく切って炒め、米が煮たってきたら、味つけした具と豆腐を上にのせて炊き上げる。昔は豆腐といえばたいそうなご馳走で、また貴重な蛋白源になっていた。

70、大山おこわ(鳥取)

大山(1729m)は中国地方の最高峰であるのと同時に霊山にもなっている。この信仰の山、大山に修行に来た人たちに施されたのが大山寺の“おこわ”だ。おこわというのは強飯(こわめし)のことで、糯米(もちごめ)を蒸したもの。その中に小豆やササゲを入れれば赤飯になる。「大山おこわ」はシイタケ、クリ、コンニャク、油揚げ、鶏肉などの具を糯米に混ぜて蒸したもの。その際、ダシ、酒、砂糖、醤油などで味つけする。大山ではそばも名物だが、大山寺の門前の食堂でぼくは赤恥をかいたことがある。大山そばを注文したのだが、そのとき、思わず「おおやまそば」といってしまった。すると店の若い女性はぼくをバカにしたような目つきで、「“だいせんそば”ですね!」と大きな声でいいなおしたのだ。わが家(神奈川県伊勢原市)の目の前にそびえる山は大山(おおやま)‥。う~ん、日本語って難しい。ということで、大山おこわも“だいせんおこわ”になる。

71、さばずし(鳥取)

“因幡のくされずし”ともいうが、海から遠い八頭郡の山間部などに伝わる保存食で、晩秋に仕込み、正月から春先にかけて食べる。このさばずしは3枚におろしたものを酢にくぐらせ、それをすし桶に飯で漬け込んだものである。すしというのは、もともとは「魚の漬物」のことだが、この「さばずし」はその典型だ。すし桶の底に飯を敷きつめ、その上にサバをのせ、飯をのせ‥‥と、交互に詰める。一番上に飯を敷きつめ、竹の皮をかぶせ、落とし蓋をして重しをかけ、ある程度の期間、漬け込んだもの。発酵した飯の中でサバは熟成し、なれずし特有のうまみを増す。

72、しろはたずし(鳥取)

シロハタというのはハタハタのこと。千代川河口の漁港がある鳥取市の賀露地区では、春祭りの料理にはこの「しろはたずし」がつきものだ。卯の花(おからのこと)を使ったすしで、上品で淡白な味わい。骨もやわらかくなるので、頭から丸かじりできる。そのつくり方だが、シロハタを背割りにして血腸を取り除き、水にさらしてしばらくおき、さらに二杯酢に浸してひと晩おいておく。卯の花をから炒りし、酢と砂糖、塩で味を整え、最後に麻の実を少々、別に炒って混ぜ合わせる。シロハタの水切りをよくして、卯の花が冷めたところで腹に詰める。それを容器に詰めて押し蓋をし、軽い重しをかける。食べごろは2日目ぐらいから10日目ごろまで。

73、あゆずし(鳥取)

千代川はアユで知られているが、その流域の代表的な郷土料理というと「あゆずし」だ。晩秋の産卵を終えた落ちアユを使う。内蔵を取り除き、腹を開いて塩をして重ね、重しをかけておく。この塩漬けしたアユを流水にさらして塩を抜き、糀と酒を混ぜたご飯を軽く握り、それをアユの腹に詰める。そのあと、すし桶の底にご飯を敷きつめ、腹にご飯を詰めたアユを並べ、その上にご飯を敷き、またその上にアユを並べ、交互に漬け込む。一番上にご飯を敷き、葉蘭の葉や竹の皮で覆い、落とし蓋をして重しをかけ、米の発酵力でもって保存する。このあゆずしは正月から春先にかけてのご馳走だ。

74、ののこ(鳥取)

米子から弓ヶ浜にかけて伝わる飯の食べ方で、大型の三角形の油揚げの中に、味つけした米と刻んだニンジン、ゴボウ、シイタケなどの具を混ぜて詰め、コンブだしで煮たものである。ユーモラスな「ののこ」の名前の由来だが、大きな三角形の油揚げにご飯が詰まっている様が、冬の寒い季節に着る半纏(はんてん)に似ているからだという。この地方では、半纏のことを布子(ののこ)という。この“ののこ”は“いただき”ともいわれる。