賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの新・峠越え:神奈川(21)朝比奈峠(あさひなとうげ)その1

 鎌倉の峠越えの第2弾目は、県道204号の朝比奈峠。鎌倉と横浜の市境の峠だ。この朝比奈峠越えにからめて、鎌倉の「七切通し」で知られる「七坂」を越えようと思うのだ。三方を山々に囲まれた鎌倉はどこを行くのにも、この山並みを越えなくてはならない。

「七坂」は、京都の「京の七口」にならって「七口」ともいわれている。すべて峠なのだが、「峠」とはいわずに「坂」といっている。それほど険しくはないからだろうか。だが日本の「峠」は古来、「坂」といわれた。古代東山道の神坂峠や武州甲州の境の雁坂峠甲州の御坂峠などの「坂」は「峠」を意味している。つまり神坂峠とはいわずに神坂であり、雁坂峠は雁坂、御坂峠は御坂だった。それに似た発想を鎌倉にも感じる。

 朝比奈峠に向かったのは六国峠に立った翌日の2006年6月30日。六国峠のときと同じように午前9時、伊勢原の自宅を出発し、スズキDR-Z400Sを走らせ、平塚から国道134号で鎌倉に向かった。

 茅ヶ崎、藤沢と通り、鎌倉市に入ると、まず小動岬を通り過ぎる。次に稲村ヶ崎を過ぎる。鎌倉の「七坂」にとって稲村ヶ崎はきわめて重要な岬だ。鎌倉をとり囲む山並みは稲村ヶ崎で海に落ちていくが、その山並みを越えるのが極楽寺坂、大仏坂、化粧坂亀ヶ谷坂巨福呂坂で「七坂」のうち5つを占めている。

 稲村ヶ崎を通り過ぎた「坂ノ下」の交差点を左折する。すぐに十字路になり、ここも左折し、ゆるやかな坂を登ったところが極楽寺坂の切通しになる。すぐ北を走る江ノ電はこの坂をトンネルで抜けている。極楽寺坂は「七坂」の中では一番ゆるやかな坂。この坂を下ると、すぐに江ノ電極楽寺駅で駅前には極楽寺がある。今ではひなびた感のある極楽寺だが、1259年の創建当時は七堂伽藍の壮大な造りの寺だったという。

 次に大仏坂。県道32号で大仏の前を通り、大仏坂を大仏トンネルで走り抜ける。この大仏トンネルは時代を感じさせる趣のあるものだ。大仏坂を下った「八雲神社」の交差点を右折。幅広の道でゆるやかな登り坂を登ると長谷トンネル。このトンネルは鎌倉をとり囲む山並みを抜けている。

 長谷トンネルを下ったところで左折し、3番目の化粧(けわい)坂へ。銭洗弁天化粧坂の絶好の目印になっている。まずは銭洗弁天を参拝。鎌倉でも人気のスポットなので、大勢の人たちが来て籠にお金を入れて洗っている。そのわきの坂を登りつめたところにバイクを停め、鎌倉の「七坂」の中では一番、自然の残っている化粧坂を歩いて下った。

 下りきったところは扇ガ谷(おうぎがやつ)で、いきなり住宅街の中に入った。この「谷(やつ)」は鎌倉の特徴的な地形。ゆるく起伏する山並みのひだとひだの間が「谷」になる。扇ガ谷のほかには桑ガ谷、大仏ガ谷、佐助ガ谷などいくつもの「谷」があるが、平地の少ない鎌倉ではこれら「谷」に向かって発展していったので、谷々には多くの史跡や文化財が見られる。

 扇ガ谷から化粧坂に歩いて戻ると、今度は近くの源氏山公園に行き、広々とした園地に建つ源頼朝像を見る。台座の上にドカーッとあぐらをかいて座る頼朝さんとの対面だ。頼朝あっての鎌倉なので、ひときわ印象深く頼朝像を見た。頼朝が鎌倉に幕府を開いたのは1192年。難攻不落の鎌倉の地形に目をつけ、この地に幕府を開いたのだが、東国の一漁村にしか過ぎなかった鎌倉はそれ以来、一躍、日本の中心地になったのだ。

 この化粧坂の周辺にはバイクでも走れるダートが残っていた。もちろん短い区間だが、少しでもダートを走れるとうれしくなってしまうのは「林道の狼・カソリ」の悲しい習性か…。化粧坂からはもう一度、銭洗い弁天の前を通り、長谷トンネルの道を下り、鎌倉駅前に出た。ここまでが「鎌倉・七坂越え」の前半戦といったところだ。

(その2につづく)

極楽寺坂
極楽寺

大仏坂
大仏坂

化粧坂
化粧坂

源氏山公園の源頼朝像
源氏山公園の源頼朝