賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの新・峠越え:神奈川(13)都夫良野峠(つぶらのとうげ)

 2006年6月19日、都夫良野峠を越えようと、スズキDR-Z400Sを走らせ、山北に向かった。国道246号の旧道で山北の中心街へ。

 尺里峠(神奈川-12参照)を下って出た「高松山入口」のバス停前を通り、JR御殿場線山北駅前に出る。駅前には「山北町ふるさと交流館」(入館無料)。木をふんだんに使った2階建ての建物。そこに展示されているSLの写真は迫力満点だ。昭和初期の山北駅構内のもので、何本もの線路が走っている。山北は鉄道の町だった。

 山北駅を通る御殿場線はもともとは日本の鉄道の大幹線、東海道線の一部だった。山北は「鉄道の町」として繁栄した。それが昭和9年(1934年)、熱海-函南間の丹那トンネル(7804m)の完成によって、国府津-沼津間の御殿場線はローカル線になり、山北の「鉄道の町」としての役割も終わった。「山北町ふるさと館」に展示されているSLの写真は、山北が「鉄道の町」として繁栄を謳歌した最後の時代のものといえる。

 駅前食堂(ぼくはこの駅前食堂が大好きなのだ)でラーメンセットの昼食を食べたあと、都夫良野峠を越える前に山北の周辺をまわることにする。まずは県道725号で八丁へ。国道246号の旧道で山北を走り抜けるとき、いつも気にかかっていたのが「八丁」への道標。「いったいどんなところなのだろう、どんな道なのだろう…」という興味だ。

 県道725号を行くと、皆瀬川の渓流沿いに舗装林道のような狭い道がつづき、6キロほどで戸数が数戸の八丁に着く。山深い小集落。その先は林道で通行止め。ゲート前で引き返したが、ここまでやってきて、胸のつかえがとれたような気分。我々ライダーというのは道の尽きるところまで走ってみたいものなのである。

 山北に戻ると、次に大野山の山頂を目指す。いったん国道246号に出、すぐに右折。都夫良野峠に通じる道との分岐は直進し、そこから5キロほど狭い曲がりくねった道を登ると大野山の山頂だ。標高723メートル。山頂周辺は牧場になっている。眼下には丹沢湖を見下ろす。その向こうには丹沢の主脈となる山並みが連なっている。そんな大野山山頂からの眺めを目に焼き付けたところで来た道を引き返し、都夫良野峠への道との分岐に戻った。そこには「都夫良野入口」のバス停がある。

 東名高速をまたぎ、東名高速都夫良野トンネル入口を見ながら都夫良野峠を登っていく。ゆるやかな登り。茶畑が広がる。峠には都夫良野地蔵がまつられている。お堂の境内には夏草に覆われた石仏群。都夫良野峠東名高速都夫良野トンネルの真上になる。東名高速では、日本坂トンネルに次いで2番目に長い都夫良野トンネル。このトンネルを走っているとき、真上に忘れ去られたような峠があることを思い浮かべるだけで、すこしは心豊かに走れるというものだ。

 都夫良野峠を下ったところには「神奈川古道50選」の案内板。都夫良野峠越えの道は「神奈川古道50選」に選ばれている。都夫良野は後醍醐天皇ゆかりの地。吉野の都を逃れ、この地に立ち寄ったとき、酒匂(さかわ)川を望む景色が吉野に似ていたので、「おお、都よ、それ吉野よ」といったという。ちょっとこじつけっぽい話だが、それ以来、この地を「都夫れ良野」と書き、「都夫良野」と呼ぶようになったのだという。

 都夫良野峠越えの古道は「奥山家(おくやまが)道」ともいわれた。奥山家三ヵ村の玄倉、世附、中川の奥山家三ヵ村に通じる道だったからだ。都夫良野峠を下っていった湯触(ゆぶれ)の集落あたりからの眺めはすばらしいものだった。酒匂川の谷間を見下ろし、その向こうには山の斜面から山頂近くへとつづく谷峨(やが)の集落を眺めた。

 都夫良野峠越えの道は酒匂川の上流、河内川沿いの県道76号に出るが、そこから国道246号経由で山北に戻ってきた。山北駅前の「さくらの湯」(入浴料400円)に入り、さっぱりした気分で国道246号を走り、伊勢原に戻るのだった。

昭和初期の山北駅
昭和初期の山北駅

八丁に到着
八丁に到着

大野山の山頂
大野山の山頂

都夫良野峠
都夫良野峠