賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの新・峠越え:神奈川(8)三増峠(みませとうげ)

 2006年4月6日午前9時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。スズキDR-Z400Sを走らせ、三増峠を目指す。国道246号で厚木まで行き、厚木からは国道412号で愛川町の半原へ。

 半原越(神奈川-7参照)でもふれたように、半原は「半原撚糸」で知られた「糸の町」。その歴史を知りたくて半原小学校に行く。小学校の校庭内に郷土資料館があるのだ。校門の前には「辻の神仏」。そこには道祖神や二十三夜様、馬頭観音、地蔵、庚申塔などがまつられている。これらの神仏のご加護によって、「(集落内に)災いが入ってきませんように」という願いをこめたものだ。

 最近は小学生がらみの事件がひんぱんにおきているので半原小学校に入るのにも気が引けたが、意を決して校門をくぐり、校庭の一番奥にある郷土資料館まで行く。旧校舎を利用しての郷土資料館。入館は無料だ。玄関口には半原小学校や中津、高峰、田代の3小学校の戦前の写真が展示されているが、それらはどれも時代を感じさせるものだった。

 突き当たって左側には2つの展示室があるが、そこでは民具や農具を展示している。右側の奥にある展示室がぼくの見たかったもので、「糸の町」半原を象徴するかのような糸繰機や糸とり機、座繰機、機織機、そして撚糸機が展示されている。さらに「撚糸(よりいと)」がどういうものなのか、次のように説明されている。

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「原料としての糸はそのまま使うこともありますが、普通は必要の太さに撚り合わせて使います。まず何本かの糸を引き揃え、右撚りに撚ります。これを下撚りといいます。その糸を2本、または3本引き揃え、今度は左撚りに撚ります。これを上撚りといい、完成した撚糸となります。また、織物の緯(よこ)糸用などには、片撚りと行って下撚りだけで済ますこともあります。糸の使用目的によって、撚りの強弱が違います」

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 養蚕地帯の中心地だった半原は、江戸時代以来の「半原撚糸」で知られる絹撚糸の一大産地だった。

 目的を果たしたところで半原を出発。県道54号から65号へ。この道が三増(みませ)峠へとつづいている。幅の広い2車線の道。三増の交差点を過ぎると、前方にはくっきりと山並みが見えてくる。三増峠で越える津久井との境の山並みだ。県道65号はトンネルで峠を貫いているが、トンネル手前の右側には三増峠への登山道がある。

 バイクを停め、歩いて峠まで登ってみた。登山道を歩きはじめると、いっぺんに山深い風景に変わる。10分ほど歩くと、愛川町と旧津久井町(現在は相模原市)境の標高319メートルの三増峠に到着。峠には大きな石仏がまつられている。さらに峠ではダートの林道に出た。「走りたい!」と、そう思わせるようなダート林道で、すぐさま地図上でその林道を確認した。

 三増峠からは来た道を歩いて下る。バイクまで戻ると峠のトンネルを走り抜け、津久井側に入る。津久井側の方がはるか山深く、峠道の勾配も急だ。かなり下ったところが、さきほどのダート林道の入口。だが残念ながらゲート…。

 県道510号を横切り、戦国時代に津久井城が築かれた城山(375m)の西側を通り、中野へと下っていく。すると前方には相模川をせき止めてできた津久井湖が見えてくる。国道413号に出る。このあたりが旧津久井町の中野の中心地。津久井湖畔に出ようとさんざん走りまわったが、湖はストンと落ち込んでいるので、湖畔には出られない。

 そこで国道413号で城山町の方向に走って左折し、湖をまたぐ三井大橋まで行った。そこからは津久井湖を存分に眺めることができた。津久井湖は城山ダムによってできた人造湖津久井湖の三井大橋から来た道を引き返し、もう一度、三増峠を越えて半原に戻った。

半原の郷土資料館
半原の郷土資料館

三増峠のトンネル
三増峠のトンネル

三増峠への登山道
三増峠への登山道

三井大橋から見る津久井湖
三井大橋から見る津久井湖