賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018」(12)

■2013年3月9日(土)晴「盛岡→白米鉱泉」357キロ

東日本大震災」の2年後の東北太平洋岸を見ようと、3月9日4時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。相棒はスズキの250ccバイクのビッグボーイ。ほぼ新車でブルーのカラーリングが太平洋をイメージさせる。

 2010年の「林道日本一周」ではビッグボーイで92本の林道を走った。全走行距離は1万2667キロ。そのうちのダート距離は469・9キロだった。

 ビッグボーイというと、洒落た街乗りバイクのイメージが強いが、このように林道もガンガン走れる。今回はまず、いわき市の林道を走るのだ。 

 ビッグボーイはポジションの取り方がじつに楽なバイクなので、長距離走行に疲れないのがすごくいい。気負わずに自然体で林道を走れるので、まわりの風景を楽しめるし、自分と自然が一体になったかのような陶酔感を味わえる。ライトが明るいのでナイトランが楽。とくにハイビームの明るさは特筆すべきもの。燃費が良いのでタンクの小ささはあまり気にならない。給油警告灯が点灯しても50キロ以上は走れるので安心だ。

 高速道路での高速走行は想像した以上に楽で、最初のうちは100キロ走行だったが、そのうち110キロになり、120キロの長時間走行も大丈夫。粘り強いエンジンで熱ダレしない。それとチェーンが見た目以上にしっかりしている。そのおかげでチェーン調整をほとんどしないで長距離を走れる。このようにビッグボーイは林道ツーリングのみならず、長距離ツーリングを存分に楽しめるマシンなのだ。

 ところで今回の東北太平洋岸の全域を走る「鵜ノ子岬→尻屋崎2013」だが、2011年の東日本大震災によってもたらされた大津波は、想像を絶する被害を各地にもたらした。その様子を刻々と入ってくるニュースの映像で見ながらカソリ、正直いって体がまったく動かなかくなてしまった。あまりにもすさまじい映像の連続だったからだ。

 太平洋沿岸というと東北というよりも、日本の中でもぼくの一番好きなエリアといってもいいほどで、何度となくバイクで走ってきた。

ツーリングマップル東北』でも2011年版(2010年取材)の表紙は浜通り(福島)だし、2010年版(2009年取材)は南三陸海岸(宮城)だ。

 そんな自分の一番好きな世界が大津波に襲われたという衝撃は大きく、やっと動こうという気になったのは震災2ヵ月後の2011年5月11日のことだ。まずは大津波に襲われた東北太平洋岸の全域を見ようと、第1回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」を走った。鵜ノ子岬(福島)は東北太平洋岸最南の岬、尻屋崎(青森)は東北太平洋岸最北の岬になる。

 あまりにもすさまじい大津波の被害を目の当たりにして、

「これはもっともっと、しっかりと見なくては!」

 と、つづいて大震災3ヵ月後の6・11、大震災半年後の9・11に第2回目、第3回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」を走った。それのみならず年末まで間で、浜通りとか仙台市の海岸一帯、石巻・女川…といったように「鵜ノ子岬→尻屋崎」のパートを何度か走った。 そして思ったことは、

「これからは鵜ノ子岬→尻屋崎を定期的に走ろう!」

 ということだった。

 この時点で「鵜ノ子岬→尻屋崎」は「峠越え」や「温泉めぐり」、「岬めぐり」などと同じようにカソリのライフワークになったのだ。

 2012年3月11日には大震災1年後の「鵜ノ子岬→尻屋崎」を走り、夏にも走った。そして2013年の3月11日を迎えたのだ。ということで今回が第6回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」になる。

 さー、北へ。厚木ICから東名に入る。首都高を経由し、常磐道の三郷料金所へ。

 夜明けの常磐道を北へ、北へと走り、友部SAで朝食。「たまり醤油ラーメン」(650円)を食べた。ツーリングで食べる「朝ラーメン」は元気が出るものだ。

 我が家を出発してから4時間後の9時、230キロを走って北茨城ICに到着した。

 国道6号に出ると、大津漁港へ。岸壁は震災で崩れたり、陥没したままだが、やっと復興の兆しが見え始めている。漁港の一角では「市場食堂」が営業を再開し、市場食堂の隣の「よう・そろー」の物産館はまもなくリニューアルオープンする。残念ながら「北茨城市漁業歴史資料館」の方は、まだしばらくは閉館がつづくようだ。

大津漁港からは小半島をぐるりと一周する。南端の岬、鵜島ノ鼻を通り、大津岬灯台を見る。大震災で被災したが、震災1年後には新しい灯台が完成した。灯台の下には水仙の花が咲いていた。五浦岬では駐車場にビッグボーイを停め、岬まで歩いた。そこからは海越しに、やはり震災1年後に再建された「六角堂」を見る。

 五浦岬からは「六角堂」のある茨城大学美術文化研究所まで行き、「天心遺跡」(入園料300円)を見学。日本文化の近代化に大きく貢献した岡倉天心(1863~1913年)がこの地に移り住んだのは40歳の頃。「天心遺跡」には天心記念館や天心邸があり、海岸の岩場の上に六角堂が建っている。この六角堂が天心遺跡のシンボル。この近くには「天心記念美術館」もある。

 北茨城の最後は平潟漁港。鵜ノ子岬の南側で、ここが関東最北の漁港であり、関東の太平洋岸最北の地になる。大地震で鵜ノ子岬突端の岩山は崩れ、大岩が散乱していていたが、それがきれいに取り除かれていた。アンコウ漁で知られる平潟漁港も大きな被害を受けたが、漁港の岸壁のかさ上げ工事が行なわれていた。大震災2年目にしてやっと動き出したという感じで、元通りの平潟漁港の姿を取り戻そうとしている。平潟漁港の魚市場で、水揚げされたばかりの大物アンコウを持たせてもらった何年か前の日が、懐かしく思い出されてくるのだった。

 北茨城の平潟漁港からいったん国道6号に出ると、茨城県から福島県に入る。関東から東北に入ったのだ。すぐに国道6号を右折し、勿来漁港でビッグボーイを止めた。鵜ノ子岬北側の漁港で、ここが東北太平洋岸最南の地になる。

 テトラポットで守られている堤防の上に立ち、岩山が海に落ち込む鵜ノ子岬を眺める。岩肌にはくっきりと大津波の痕跡が残されている。ポッカリと開いた海食洞の大穴からは、鵜ノ子岬南側の平潟漁港が見えている。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2013」の開始だ!