賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

アフリカ縦断2013-2014(その4)

「ナイロビ→ケープタウン編」(4)

 2013年12月18日。「アフリカ縦断」の出発の朝を迎えた。我々の宿「オソイタロッジ」でコーンフレーク、クレープ、目玉焼き、ベーコン、ソーセージといった朝食を食べながら、はるかに遠いゴールのケープタウンに想いを馳せた。「いよいよだな」と、気持ちがたかぶってくる。

 ところで今回の「アフリカ縦断」(ナイロビ→ケープタウン編)は東京の旅行社「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」シリーズの第18弾目。これまでの旅の一覧は次のようなものになる。

01、1993年「目指せエアーズロック!」(ブリスベーンケアンズ3739キロ)

02、1994年「タクラマカン砂漠一周」(ウルムチウルムチ3000キロ)

03、1997年「モンゴル周遊」(ウランバートルウランバートル2423キロ)

04、1999年「目指せ、チベットの聖山カイラス!」(ラサ→ラサ2518キロ)

05、2000年「サハリン往復縦断」(コルサコフコルサコフ1491キロ)

06、2001年「キャニング・ストックルート」(パース→クヌヌラ2924キロ)

07、2002年「ユーラシア横断」(ウラジオストック→ロカ岬15970キロ)

08、2003年「アラスカ往復縦断」(アンカレッジ→アンカレッジ2888キロ)

09、2004年「南部アフリカ」(ウイントフック→ケープタウン3783キロ)

10、2004年~2005年「サハラ縦断」(チュニス→アクラ6763キロ)

11、2005年「韓国往復縦断」(釜山→釜山2774キロ)

12、2006年「シルクロード横断」(天津→イスタンブール13171キロ)

13、2008年「アンデス縦断」(リマ→ブエノスアイレス12574キロ)

14、2009年「チベット横断」(西安カシュガル6912キロ)

15、2011年「環日本海ツーリング」(稚内ウラジオストック4922キロ)

16、2011年~2012年「ニュージーランド南島周遊」(1933キロ)

17、2012年「マダガスカル」(アンタナナリボ→トリアラ1635キロ)

 そのうちの「ユーラシア横断」「サハラ縦断」「韓国往復縦断」「シルクロード横断」「アンデス縦断」「環日本海ツーリング」を、今回、ケニアに持ち込んだDR-Z400Sで走った。DRの走行距離はすでに12万キロを超えているが、目指すは20万キロ突破だ。

 朝食を食べ終わると、出発前のミーティング。アフリカを知り尽くしている道祖神の吉岡さんからいくつかの注意があった。通行は日本と同じ左側通行。この先、ケープタウンまでが左側通行。ランダーバート(ラウンド・アバウト。日本でいえばロータリー)の交差点が多いので、慣れるまでは要注意。ランダーバートでの走り方は、ロータリーにすでに入っている左方車が優先。

 ナイロビ南部のキセリアンからケニアタンザニアを結ぶ幹線道路のカジアドに出るまでは、舗装路なのだが道路の傷みが激しく、穴ぼこだらけになっている。牛や山羊、羊などが頻繁に道路に出てくるので、家畜を見たら減速する。軍の施設や警察、国境の写真は撮ってはいけない。女性の写真撮影には十分気をつける。カジアドの町で見るソマリー族の女性や街道沿いで見るマサイ族の写真はダメ。カメラを向けるとお金を要求されるといった注意点を聞いた。

 今回の参加者は全部で11人。道祖神の吉岡さん、メカニックの小島さん、それと賀曽利のほかの8人を紹介しよう。ホンダのXR250バハに乗る石井さんとは2002年の「ユーラシア横断」を皮切りに「アラスカ往復縦断」「サハラ縦断」「シルクロード横断」「アンデス縦断」「環日本海ツーリング」「マダガスカル」を一緒に走っている。ヤマハのセローに乗る榛澤さんは最年長の70歳。メンバーの中では一番の元気者で、「人間は歳ではない!」と榛澤さんを見ると元気づけられる。「アンデス縦断」を一緒に走ったが、セローはそのときのものだ。

 今回はセローでの参加者が多かった。「韓国縦断」を一緒に走った栗山さんとヤマハ車の販売店「YSP川口」の伊藤さん、それと紅一点の平本さんがセローだ。オフロード大好きの尾原さんはヤマハのWR250。オーストラリアの「世界最長ダート」、キャニングストックルートを走ったことのある人だ。増田さんはホンダのCRFの新車を購入して参加した。愛称「亀さん」の亀石さんは唯一のビッグバイク、BMWの1250GSアドベンチャーでの参加。亀さんはすでに愛車のGSで6万キロ以上を走っている。

 ほんとうはもう一人、セローで参加する女性がいた。彼女は何とも気の毒なのだが、出発の直前になってキャンセルした。キャンセルせざるをえなかったのだ。

 我々は2013年9月30日に横浜港の本牧埠頭にバイクを搬入した。それらを1個のコンテナに入れてケニアのモンバサ港に送り出した。そのとき彼女は今にも泣き出しそうな顔をして、ホンダのロードバイクに乗って横浜港にやってきた。

「朝、起きたら、私のセローがないんですよ…」

 アフリカをバイクで走ることをすごく楽しみにしていた彼女は、部屋のカレンダーの9月30日のところに「バイクの積み出し」と書いていた。娘さんのアフリカ行に反対していたお父さんはそれを見つけて、9月30日の早朝、強行手段に出た。娘さんのセローに乗ってどこかへ行ってしまった。娘を想う父親の気持ちもよくわかるので、彼女に何といっていいのかわからなかった。そんなドラマもあった今回の旅立ちなのだ。

 我々のバイクにはサポートカーが1台、トヨタランドクルーザーがつく。それには道祖神の吉岡さんとメカニックの小島さん、2人のケニア人スタッフが乗る。

「オソイタロッジ」のミーティングの最後にカソリが音頭をとって、みなさんと一緒になって、「目指せ~、ケープタウン!」と南の空に向かって大声で叫ぶ。それを合図に全車が走り出す。時間は8時。意気揚々とした気分。誇らしいような気分でもある。我々は道行く人たちの視線を一斉に集めた。

 キセリアンに通じる街道を南下。街道沿いには町々がつづく。交通量は多い。ナイロビの方向に向かっていく満員のバスと次々にすれ違う。東アフリカ最大の都市、ナイロビが郊外に拡大しているのがよくわかる光景だ。

 キセリアンの手前で左に折れると交通量はガクッと減り、広大なアフリカの自然が広がっている。その中をDRで走り抜けていく気分は最高。時々、牛が道路に出てくるが、減速して衝突を避ける。道路にあいた大穴も減速して避けていく。間違って大穴に突っ込むと吹っ飛びそうになるほどの衝撃を感じる。ところどころは新しい舗装路が完成しているが、その区間は高速で走れた。

 カジアドの手前の小さな町でケニアタンザニアを結ぶ幹線道路に出た。快適走行の2車線の道を一気に走る。広大なサバンナの風景が広がる。カジアドを過ぎるともう町はない。ところどころでポツン、ポツンと小集落を見る。ナイロビから160キロ走り、国境のナマンガに到着。時間は11時。「アフリカ縦断」最初の国境越え。国境通過のメインルートは橋が落下していてう回路のドロドロズボズボの泥道を行く。

 ナマンガの国境は交通量が多く、大型トラックやマイクロバス、乗用車などがズラリと並んでいた。まずはケニア側のイミグレーションでの出国手続き。出国用の用紙を記入し、パスポートに出国印をもらう。大変なのは税関でのバイクの手続きだ。道祖神の吉岡さんはカルネを持ってかけまわり、全車の出国手続きをする。このバイクの手続きに時間がかかるのだ。

 ケニア側の出国手続きが終わると、国境を越えてタンザニア側のイミグレーションで入国手続き。それが終わると税関でのバイクの手続き。すべてを終えてタンザニアに入ったのは13時過ぎ。国境通過には2時間以上もかかった。

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ナイロビの「オソイタロッジ」を出発

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カジアドに到着

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道路脇の羊の群れ

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ケニアタンザニア国境のナマンガ