「南米・アンデス縦断」(5)
「ナスカの地上絵」で有名なナスカに到着すると、セスナ機に乗っての遊覧飛行。
「ナスカの地上絵」は国道1号でナスカ平原を走っていてもまったくわからない。国道沿いには展望塔が立っているが、それに登ってもあまりよくわからない。だがこうして軽飛行機に乗って見下ろすと、じつによくわかる。「ナスカの地上絵」を見るには、空から見下ろすしか方法はない。
ナスカ谷とインゲニオ谷の間のナスカ平原には、コンドルやハチドリ、ペリカン、オウム、クジラ、サル、イヌ、クモ、トカゲ、木、さらには三角形や長方形などの図形が何本もの線で大地に刻み込まれている。絵の大きさは10メートルぐらいから300メートルほどのものまである。絵の数は約30個、線の数は300本を超えるという。
こうして「ナスカの地上絵」が現在まで残ったのは、この地がほとんど雨の降らない砂漠地帯だからだ。
2世紀から7世紀ごろまで栄えたナスカ王国は、高度に発達した文明を持っていた。数多く出土しているナスカ時代の壺を見れば、一目でそれがわかる。何色もの色を出している彩色土器は、その当時としては世界の最先端をいく技術だった。
「ナスカの地上絵」は誰が、何のために、と謎だらけで、宇宙人の宇宙船の基地説を唱える人もいる。だが、高度に進んだナスカの文明を知ると、これはナスカ人がつくったものに間違いないと確信できるのだ。
「ナスカの地上絵」の研究に生涯をかけている研究者が何人もいるという。その中でもドイツ人女性の「マリア・ライヘ」はよく聞く名前だ。これら「ナスカの地上絵」の研究者の中でも、まだ、これといった定説はないようだ。いくつかある説の中では、「ナスカの地上絵」はナスカ人が毎年の暦をつくるのに必要としたという説が有力のようだ。
「ナスカの地上絵」を見下ろしたあとは、ナスカの町中のレストランで昼食。サラダ、ライスつきの「チキンカツレツ」を食べた。
このセスナ機で「ナスカの地上絵」を見下ろす
「ナスカの地上絵」の土産物
「ナスカの地上絵」の模型。中央を走るのが国道1号
昼食の「チキンカツレツ」