賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

『極限の旅 1971-72』電子書籍版、販売開始!

(管理人より)

いよいよ発売開始となりました。ご吹聴、もしよろしければ支援買いと、何卒、何卒よろしくお願い申し上げます。(まだ「アフリカよ」を読み終わってないって? 積ん読も楽しいですよ~♪w)

カソリ御大からの「電子書籍版あとがき」をもって、宣伝文に代えさせていただきます。

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『極限の旅』は一九七一年八月から一九七二年九月までの十四ヵ月間に及ぶ「世界一周」を書いたものだが、一番の目的は「サハラ砂漠縦断」だった。

「アフリカ一周」(一九六八年~一九六九年)を終えて日本に帰ったときは、「次はサハラだ!」と心に決めていた。

「アフリカ一周」ではスーダンのカルツームからエジプト国境に近いワジハルファまで、サハラ砂漠東部のヌビア砂漠をバイクで越える計画だった。ところがその自信がなく、バイクともども列車でヌビア砂漠を越えた。

 ヨーロッパから北アフリカのモロッコに戻ったときは、西端のルートでサハラ砂漠を縦断し、西アフリカのダカールまで行くつもりにしていた。しかし、ここでもサハラ砂漠の厚い壁にはね返され、どうしても砂漠に突入することができず、カサブランカからフランス船に乗ってダカールまで行った。

 アフリカを一周したとはいっても、サハラを越えられなかった悔しさがしこりとして残り、「次はサハラだ!」の思いが日に日に強くなっていったのだ。

 当時はバイクでサハラ砂漠を越えた日本人はいなかったこともあって、

「よし、自分がやってやろう!」

という気負いも手伝い、「サハラ砂漠縦断」を一番の目的とした「世界一周計画」をつくり上げた。とはいってもサハラ砂漠のド真ん中でバイクが故障したらどうしよう、道を見失ったらどうしよう…と、不安は尽きなかった。

 何としても自分の手でバイクを修理できるようにしなくてはいけないと、町の修理屋さんで一年間、仕事をさせてもらった。従業員がぼく一人というような店なので、何でもかんでもやらせてもらった。それがどれだけプラスになったことか。

 それと同時に「サハラ砂漠縦断」を想定しての走行訓練もはじめた。砂道を走るためには荷物をギリギリまで削って軽くしなくてはならない。その荷物もバイクにくくりつけるのではなく、ザックに入れて背負った方がいいと考えた。その走行に慣れるためにザックに二〇キロとか三〇キロの石を入れて背負い、遠州灘の砂浜を走ったり、本州中央部の峠道を走った。

 サハラにはこのように強い思い入れがあったので、ナイジェリアのラゴスからアルジェリアのアルジェまでのサハラ砂漠縦断を成しとげると、

「サハラはまだまだこんなものではないぞ」

という気分でさらにヒッチハイクでのサハラ砂漠縦断に旅立った。

 バイクでのサハラ砂漠縦断、ヒッチハイクでのサハラ砂漠縦断、これが本書の核心部になっている。

 あれから四〇年、サハラは一日としてぼくの頭を離れたことはない。一望千里の砂漠の風景がいつも目に浮かぶ。「サハラ命!」のカソリなのである。

二〇一三年五月二十七日

賀曽利 隆