賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(26)

 釜石市から国道45号で大槌町に入り、国道45号の旧道で町の中心街に入っていく。

 大槌は高さ22メートルの大津波に襲われ、町は全壊。1300人弱という多数の町民が犠牲になった。

 大槌町の中心街を抜け出たところで国道45号に合流し、次に山田町に入っていく。山田も大槌同様、中心街は壊滅状態。山田漁港周辺の巨大防潮堤を見てまわると、一部は破壊されたものの防潮堤は残っていた。高さ30メートルの大津波はこの巨大防潮堤を軽々と乗り越えたのだ。

 このように隣り合った大槌町、山田町はともに大津波に襲われて壊滅的な被害を受けたが、2つの町には大きな違いがあった。

 大槌町は町役場が津波の直撃を受けて全壊し、町長をはじめ町役場の職員40名が亡くなった。それに対して山田町は町自体は大槌同様全壊したものの、高台にある町役場は残った。

 山田の町役場は高台にある。その隣の八幡宮には「津波記念碑」が建っている。1933年3月3日の昭和三陸津波の後に建てられたもので、それには次のように書かれている。

 1、大地震のあとには津波が来る。

 1、地震があったら高い所に集まれ。

 1、津波に追はれたら何所でも此所位高い所へ登れ。

 1、遠くへ逃げては津波に追い付かれる。近くの高い所を用意して置け。

 1、県指定の住宅適地より低い所へ家を建てるな。

 山田の町役場はこの「津波記念碑」の教えを忠実に守り、それと同じ高さのところに建っているので無傷だった。ところが山田の中心街は「津波記念碑」の教えを無視し、それよりも下に町を再建したので「明治三陸津波」、「昭和三陸津波」にひきつづいて、今回の「平成三陸津波」でも町が全壊した。

 しかし町役場が残り、しっかりと機能したことによってどれだけ救われたことか。司令塔を失った大槌町と、司令塔の残った山田町、この隣合った2つの町はあまりにも対照的だ。

IMG_8425_small_20130302110719.jpg

大槌町の旧町役場

IMG_8427_small_20130302110719.jpg

大槌町の旧町役場の内部

IMG_8428_small.jpg

旧町役場前から見る大槌

IMG_8430_small.jpg

瓦礫の撤去がつづく山田

IMG_6949_small_20130302110718.jpg

2011年5月19日の大槌

IMG_6955_small.jpg

2011年5月19日の山田