賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

日本食べある記(17)花咲ガニと鉄砲汁

(『市政』1995年4月号 所収)

海峡越しに眺める北方領土の島々

 夏の終わりに札幌から列車に乗って、日本最東端の町、根室に行った。

 札幌ー根室間の、直通列車はない。そこで札幌発23時00分の石勝線経由釧路行き特急「おおぞら13号」に乗った。

 釧路到着は翌朝の6時。それに接続している根室本線の快速「はなさき」で根室へ。終点の根室到着は8時11分。札幌から9時間あまりの列車の旅だった。

 それにしても驚かされてしまうのは、根室本線の列車本数の少なさだ。

 根室本線とはいっても釧路以遠は超ローカル線で、「はなさき」、「ノサップ」の2本の快速列車のほかには1日に4本の釧路ー根室間を走る普通列車があるだけ。特急列車はない。

 根室駅に到着するとすぐに、駅前から根室交通バスで、根室半島先端の日本本土最東端の納沙布岬に向かう。根室半島は太平洋と根室海峡を分けて東に延びているが、バスは太平洋側を走る。漁村の歯舞、珸瑤瑁を通り、40分ほどで終点の納沙布岬に着く。

“海霧の岬”として知られている納沙布岬だが、幸いなことに、天気は快晴だ。

 納沙布岬は北緯43度22分57秒、東経145度49分14秒。繰り返しになるが、日本本土最東の岬である。岬の先端には納沙布岬燈台と霧信号所がある。

 岬の最先端に立つ。灯台の下は岩礁になってる。目の前の珸瑤瑁水道の向こうには、はっきりと北方領土の島々が見える。

 正面には秋勇留島が見える。目を左側にずらしていくと、その手前の萌茂尻島が重なって見える。その左手遠くには、勇留島が霞んで見える。その左には、納沙布岬からわずかに3・7キロしか離れていないケシ粒のように小さな島、貝殻島が見える。

 貝殻島の左には志発島。目をこらしてやっと見える距離。そして水晶島が左につづく。真っ平な島で、ベタッと水平線上に寝そべっている。

 北方領土のうち、これら歯舞諸島のあまりの近さに驚かされてしまう。志発島の東には多楽島と海馬島があり、色丹水道をはさんでさらに色丹島へとつづく。

 岬の展望台に登り、望遠鏡で北方領土の島々を眺めると、珸瑤瑁水道を行き来するロシアの警備艇が異様な大きさで見えた。一番近い貝殻島では、波風にさらされてコンクリートがはげ落ち、ボロボロになって傾いている灯台が見えた。

 納沙布岬を歩き、根室海峡側に出ると、さきほどの歯舞諸島の島々とは較べものにならないくらいの大島、国後島が、水平線上を占領するかのように海峡のかなたに浮かんでいる。

 ところで納沙布岬が“日本最東端”ではなく“日本本土最東端”なのは、東に北方領土の島々がつづいているからだ。色丹島、国後島のさらに東には択捉島があり、その最東端のラッキベツ岬があるからだ。

 だが日本最東端というと、択捉島のラッキベツ岬ではなく、東京都(小笠原村)に属する南鳥島(マーカス島)なのである。

 南鳥島は北緯24度18分、東経153度58分で、小笠原諸島の父島の南東1200キロの太平洋上にある平坦な隆起サンゴ礁の小島。面積はわずかに1・2平方キロでしかなく、海上自衛隊や気象庁の関係者が駐在している。

 南鳥島は根室半島先端の納沙布岬よりも、経度で8度、東になる。

 納沙布岬を歩きまわったあと、“日本最東端の食堂”の看板を掲げた店で昼食にする。 定食を注文したが、これが大正解。ホタテの刺し身にニシンの焼き魚、タラバガニの身のフライ、手造りのイカの塩辛‥‥と、“北海の幸”づくしといえるような食事だった。ニシンにはたっぷり脂がのっていたし、タラバガニがなんともいえずにいい味だった。

「これは何だろう?」

 と、私の目を引いたのは、ラズベリーの実をさらに小さくしたような、紫色をした粒々だった。

 店の人に聞いてみると、「タラバのトトコだよ」という。トトコとは、子供のこと。つまり、タラバガニのタマゴのこと。その粒々に塩をし、酒と醤油に漬けたものだという。それはまさに“北海の珍味”だった。

 タラバガニの子は粒状のものを“外子”と呼び、ペースト状にしたものを“内子”と呼び分けている。“内子”は塩辛にするとのことで、酒の肴には絶好だ。

花咲ガニの本場

“日本本土最東端”の納沙布岬から根室に戻ると、根室本線の列車で“花咲ガニ”の本場、花咲漁港のある花咲へと向かう。根室の2つ先の駅だ。

 根室を出てすぐに着く東根室駅は、駅舎もない、吹きっさらしのホームだけの駅だが、ここが日本鉄道網の最東端駅。ホームの端には“最東端碑”が建っている。

 東根室駅の次の花咲駅には、根室を出てから10分もかからずに着いた。すぐに花咲漁港に向かって歩いていく。

 ところで花咲は、根室半島と歯舞諸島を含んだ旧郡名でもあった。1945年に歯舞諸島が旧ソ連の占領下に入り、1959年には歯舞村が根室市に編入されたことよって、花咲郡の郡名は消滅した。

 地名はアイヌ語の「ポロノツ」(大きな岬の意味)が「鼻崎」、さらには「花咲」へと転訛とのことだ。

 漁港近くでは、とれたての花咲ガニをさっとゆでたものを売っている。さすがに本場だけあって1匹、1000円もしない値段で売っている。さっそく買って、その場で食べる。店の奥さんが、ハサミで上手に甲羅や殻を切り裂き、食べやすくしてくれた。

 この花咲ガニのうまさといったらなかった。

 私はむさぼるようにして、一匹、食べつくしてしまったが、思わず、ウーンとうなってしまった。それほどの味だ。

「もし、よかったら、どこへでも送りますよ」

 と店の奥さんにいわれ、その瞬間、女房や子供たちの顔が浮かび、食べさせてあげたいなと思い、人数分の5匹を送ってもらった。後日談になるが、花咲ガニは家族にずいぶんと喜ばれた。

 北海道といえば誰もがカニを連想するが、北海道の代表的なカニというと、タラバガニ、花咲ガニ、ズワイガニ、毛カニの4種になる。

 根室に来る前、札幌で会った何人かの人たちに、北海道人はこれら4種のカニのうち、どのカニを一番おいしいと感じているのだろうかと聞いてみた。

 その結果はタラバガニ、花咲ガニ、ズワイガニ、毛ガニという順だった。

 タラバガニと花咲ガニの1、2位が入れ替わったり、ズワイガニと毛ガニの3、4位が入れ替わった人はいたが、タラバガニ、花咲ガニよりも上位に、ズワイガニ、毛ガニを持ってくる人はいなかった。つまり花咲ガニは、カニの本場、北海道でも、それだけ高い評価をうけているということだ。

 花咲ガニは北海道以外の地方だと、なじみが薄くなるが、甲長、甲幅がともに15センチほどのカニである。紫がかった暗い赤い色をしているが、ゆでると深紅になる。

 花咲ガニはタラバガニの近縁種で、タラバガニ同様に海産のヤドカリの一種である。それだから、厳密にいうとズワイガニや毛ガニなどのカニ類とは違うのだが、一般にはカニと呼ばれている。

 カニ類は一対のハサミと四対の脚を持っているが、花咲ガニにしてもタラバガニにしても第四歩脚がすっかり退化し、ともに脚は三対にしか見えない。

 なおタラバガニは、タラの漁場の“鱈場”でよくとれるので、その名があるという。

 花咲から根室に戻る。

 根室の駅前や駅周辺には、花咲ガニを売る店がずらりと並んでいる。花咲ガニ漁が最盛期を迎えているようだ。

 根室の町を歩き、根室漁港を見てまわる。漁港の岸壁では、地元の漁師さんと立ち話をした。漁師さんは根室の漁業の不振を嘆き、そのため根室の町自体も活気をなくしてしまったといった。

 根室とは目と鼻の先の北方領土周辺は、魚介類やコンブの好漁場。北方領土問題が解決し、その漁場で漁できるようになれば根室に活気を取り戻せるのだが……という漁師さんは、いっこうに解決の糸口をつかめない北方領土問題に、いらだちを隠せないような表情だった。

 日が暮れたところで根室駅に戻り、駅近くの食堂で夕食にする。

 根室名物の鉄砲汁を食べる。鉄砲汁というのは、花咲ガニ入りの味噌汁。ドンブリの味噌汁の中には、ブツ切りにした花咲ガニがごっそり入っている。味噌汁に花咲ガニのうまみがしみ出て、絶妙の味わい。この味の良さは、ほかのカニでは出ないという。汁を全部飲み干したところで、味噌味のよくしみ込んだ花咲ガニを食べた。

 さらにもう一軒、今度はラーメン屋に入る。そこでは、花咲ガニ入りのカニラーメンを食べた。これまた、ドサッと花咲ガニが入っている。北海道の食べ物らしく、ボリューム満点。食材のよさも満点。根室での花咲ガニ三昧の食事であった。