賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの島旅(88)東京→長崎

(『ジパングツーリング』2002年7月号 所収)

「九州編」の開始だ。 

 北海道、本州、四国とまわり終えた「島巡り日本一周」も、あとは九州と沖縄を残すだけとなった。ところが、九州も沖縄も島の数がものすごく多いので、そう簡単にはまわりきれない。そこで「九州編」では北部編、西部編、南部編、東部編と4分割してまわることにした。

 東京港からオーシャン東九フェリーで北九州の新門司港まで行き、そこを出発点に、反時計回りで九州を一周しながら島々をめぐるのだ。

 12月10日、東京港フェリー埠頭。19時10分発のオーシャン東九フェリー「おーしゃん うえすと」にスズキSMX50ともども乗り込み、北九州に向かう。途中、四国の徳島港に寄港し、北九州の新門司港到着は12日の5時。さー、九州を走るゾ!

 北九州の新門司港を出発すると、まずは九州本土最北端の部崎に立つ。対岸には本州側の町灯かり。沖に停泊している何隻もの貨物船の灯も見える。高台上の岬の灯台が暗い海に鋭い光を投げかけている。

 次に門司港駅に行く。九州鉄道網の起点。鹿児島本線も日豊本線もここから始まる。時間はまだ6時前なので、駅構内の人影はまばらだ。

 門司港駅前から海沿いの国道199号で小倉へ。小倉からは有料の若戸大橋で洞海湾を渡って若松へ。JR筑豊線の起点、若松駅構内の「東筑軒」で月見うどんを食べ、ひと息ついて若松からは国道495号を行く。遠賀川の河口を渡り、芦屋の町を走り抜け、垂水峠を越えて玄海町に入った。

 玄海町田島にある宗像大社を参拝したあと、神湊港から9時30分発のフェリー「おおしま」で九州の第1島目となる筑前大島に渡る。20分の船旅。

 筑前大島は1島1村で、島全体が大島村になっている。時計回りに島を一周。宗像大社の中津宮に参拝し、島の北側にある「沖津宮遙拝所」では沖合48キロの沖ノ島に向かって手を合わせた。玄海町田島の辺津宮、筑前大島の中津宮、沖ノ島の沖津宮の3社を合わせて九州屈指の名社、宗像大社になるのだ。

 筑前大島では最高峰、標高222mの御岳山頂の展望台に立ち、九州本土の山々を眺めた。島の北岸の岬、神崎鼻では大島灯台と戦時中の砲台跡を見た。島東端の岬、加代鼻からは沖合の地島を見た。

 そして筑前大島温泉「潮路の湯」(入浴料600円)に入り、最後に「民具資料館」(入館料100円)を見学して全行程28キロの「筑前大島一周」を終えた。フェリーターミナル内の食堂でカレーライスを食べ、13時発のフェリーで神湊港に戻った。

 国道495号で津屋崎、古賀、新宮と通り、福岡市に入る。和白から志賀島へ。短い志賀島橋で、本土側の“海の中道”と呼ばれる砂州とつながっている。島に入ってすぐのところに志賀海神社。“お島さま”とか“お志賀さま”ともいわれ、海の守護神として広く信仰されている。

 志賀島は時計回りで島を一周する。博多湾に浮かぶ能古島がすぐ近くに見える。そのわきを大型フェリーが通り過ぎていく。島を一周しながら金印公園、蒙古塚と見てまわる。ともに志賀島が大陸との深いかかわりを持っている島であることを実感させる。

 金印公園は天明4年(1784)に島の農民が「漢委奴国王」と彫り刻まれた金印をみつけたところ。実物は福岡市立博物館で展示されている。蒙古塚は2度の蒙古軍襲来で戦死した数万の蒙古兵を弔うもの。島の東側に出ると右手に相ノ島、左手筑前大島を見る。全行程10キロの「志賀島一周」だ。

 福岡の中心、天神到着は15時50分。佐賀県の呼子へ。

「急げ!」

 大渋滞の福岡市内を走り抜け、国道202号を西へ。前原、二丈と通り、佐賀県に入る。そのころから雨が降りだす。唐津に着くころには土砂降りだ‥。激しい雨をついて走り呼子港へ。間に合った!

 18時発の壱岐・印通寺港行き、九州郵船のフェリー「あずさ」に飛び乗った。じつはこのフェリーでカブで島めぐりをしている西牟田靖さんと待ち合わせをしたのだ。西牟田さんとは何度も握手をかわして再会を喜びあい、すぐさまカンビールでの乾杯となった。 壱岐南部の印通寺港に到着したのは19時10分。さっそくスーパーで食料、酒を買い、フェリーターミナルの屋根の下での宴会だ。

 カンビールを次々にあけ、お互いの旅の話に花を咲かせる。日本のみならず、世界中を旅している西牟田さんだが、彼とは2000年の夏、サハリンの州都、ユジノサハリンスクで出会った。そのときも西牟田さんはカブだった。なつかしいサハリンの話でも盛り上がる。最後は壱岐の麦焼酎「天の川」でしめ、我らの宴会は12時過ぎにお開きになり、テントを張って眠った。

 翌朝はまだ暗いうちに起き、印通寺港を出発。一緒の西牟田さんはバイクを那覇においてきているので、壱岐ではレンタバイクでまわるという。彼とは夜、芦辺港で落ち合い、21時35分発のフェリーで一緒に対馬に渡ることにする。

 壱岐は時計まわりで一周する。壱岐は4町から成る島だが、まずは石田町の印通寺港から郷ノ浦町の郷ノ浦港に国道382号で向かう。郷ノ浦港では7時発の博多港行きフェリーが出港するのを見届けると、北の勝本町の勝本港へ。ここで壱岐島内の国道382号は尽きる。勝本港からは芦辺町の芦辺港経由で印通寺港に戻った。壱岐の第1周目は44キロだった。

 つづいて第2周目に出発。第1周目と同じように時計回りでまわる。今度は壱岐のあちらこちらを見てまわる。見どころのたくさんの壱岐はツーリングには絶好の島だ。

 郷ノ浦に向かう国道382号から1キロほど南に入ったところの岳ノ辻の展望台に立つ。標高213m。ここが壱岐の最高峰で志原岳ともいう。岳ノ辻を下り、壱岐最南端の海豚(いるか)鼻へ。岬越しに加唐島や小川島、松島、馬渡島といった呼子周辺の島々を見る。

 壱岐では一番にぎやかな町、郷ノ浦に着くと、「壱岐郷土館」を見学し、壱岐最西端の牧崎へ。壱岐では一番といっていい海岸美が見られる。「鬼の足跡」と呼ばれるちょっと不思議なつくりの海食洞もある。

 郷ノ浦に戻ると、国道382号を北へ。その途中では壱岐の一の宮、天手長男(たながお)神社に参拝。そして名湯、湯ノ本温泉へ。国民宿舎「壱岐島荘」の湯に入ったが、高温で湯量が豊富。うす茶色の湯が湯船からあふれ出ていた。この湯は傷にすごく効くという。

 勝本港からは芦辺港経由で印通寺港へ。その途中では壱岐最東端の左京鼻に立った。そして最後に原ノ辻遺跡を見学。第2周目は105キロだった。

 壱岐南部の印通寺港から東部の芦辺港に戻り、フェリーターミナルで西牟田靖さんと落ち合った。彼は印通寺でバイクを借り、それを返し、バスで芦辺港までやってきた。西牟田さんとの連夜の宴会だ。港前のダイエーで買った刺し身やチクワ、ソーセージなどをつまみにカンビールを飲み、焼酎を飲んだ。壱岐は麦焼酎の名産地。おおいに飲みながら、お互いが見た壱岐を話した。これがなんとも楽しいひと時!

 21時25分発の九州郵船のフェリー「ニューつしま」にSMX50ともども乗り込み、対馬の厳原港へ。厳原港到着は23時40分。その間は船内でぐっすり眠った。

 対馬南部の厳原港に到着すると、西牟田さんに見送られ、午前0時を期して対馬北部の比田勝港を目指して出発。西牟田さんは厳原から韓国に渡り、さらに中国東北部を目指すという。

 厳原港からは国道382号を北上。強烈な寒さでSMX50のハンドルを握る手の指先はジンジン痛んでくる。暖流の対馬海流の影響で、もうすこし暖かな島かと思っていた‥。

 夜中の交通量はほとんどない。南部の厳原町から美津島町、豊玉町、峰町、上県町と南北に細長い対馬を走り抜け、北部の上対馬町に入り、2時30分に国道382号の尽きる比田勝港に着いた。

“島国道”の382号は、じつは比田勝が起点で、対馬を縦断し、壱岐を縦断し、呼子から唐津へ(この間は国道204号と重複)。唐津が終点になる。

 比田勝港のかたすみにテントを張って2時間ほど眠り、まだ暗い中、対馬最北の地、鰐浦にある「韓国展望台」に行く。自衛隊の基地のある海栗(うに)島の向こうが韓国。その間の距離はわずか50キロでしかない。対岸の釜山の夜景がよく見える。水平線は釜山の町明かりを映して赤く染まっている。猛烈な北西の季節風に吹かれながら釜山の夜景を見つづけた。

 比田勝港に戻ると対馬の東岸を走る県道39号を南下。山また山で平地はほとんどない。茶屋隅峠を越え、国道382号に合流したところで、豊玉町の和多津美神社に参拝。すぐ近くの烏帽子岳山頂の展望台に立つ。そこからは韓国の山々がはっきり見えた。次に峰町の海神(わだつみ)神社に参拝。この神社が対馬の一の宮。これで日本全国の「一の宮めぐり」の達成だ。

 ぼくは国内のツーリングを重ねていくうちに、日本を現在の県単位で見るのではなく、旧国単位で見ていった方がよっぽどおもしろいと思うようになった。その旧国のシンボルとして一の宮に焦点を当てたのだ。県の歴史はたかだか100年。それに対して旧国の歴史は千数百年にもなる。

 国道382号で厳原に向かう。万関橋を渡って対馬・上島から下島に入る。もともと対馬はひとつの島だったが、浅茅(あそう)湾東側の地峡に運河が掘られ、上島と下島の2島に分かれた。

 厳原港を出発してから12時間後、250キロを走って厳原に戻ってきた。対馬の中心的存在の厳原は宋氏10万石の城下町。今でも残る武家屋敷跡や藩校「日新館」の門などが城下町厳原を強く感じさせてくれた。

 厳原からは対馬・下島を一周。南部は北部に比べると、よけいに山々が高く険しくなる。島全体が平坦で広々としている壱岐と山また山の対馬は好対照をなしている。午後になると天気は崩れ、強風にのって雪が舞った。

 南端近くの豆酘(つつ)まで行き、椎根という集落では珍しいものを見た。石屋根の建物。何か、異国の風物を見るような思いがした。最後はうなりをあげて吹きつける雪まじりの強風をついて走り、厳原に戻った。全行程324キロの対馬。さすがに大きな島だ。

 対馬から壱岐経由で呼子港に戻ると、ひと晩、港近くの「富士屋旅館」で泊まった。翌朝は宿の朝食を食べ、呼子名物の朝市を歩いた。

 呼子を出発。SMX50で走り出す。呼子大橋を渡って加部島に入る。その昔は姫島と呼ばれ、朝鮮、中国と大陸への拠点として栄えた島だ。佐賀県内では最古といわれる田島神社に参拝し、隣合った「郷土歴史資料館」(無料)を見学し、「風の見える丘公園」の展望台に立った。

 そこからは目の前に小川島、左に加唐島、松島、さらに壱岐が見える。島最北端の岬には灯台。その周辺は広々とした牧草地。島の最高峰、天竜岳にも登った。「加部島一周」は10キロだった。

 呼子に戻ると、次に名護屋城跡を歩き、「名護屋城博物館」(無料)を見学。そこでは日本水軍の安宅船と朝鮮水軍の亀甲船の模型が目を引いた。最後に波戸岬に立った。

 国道204号を南下。玄海町、肥前町と通り、伊万里市に入ったところで福島大橋を渡って福島に入る。1島1町で全島が福島町(長崎県)になっている。島の入口に福島温泉。国民宿舎「つばき荘」(入浴料300円)の湯に入った。うす茶色をしたいい湯だ。

 時計回りで福島を一周する。島の東側では海に落ちる棚田を見、島最北端の初崎ではツバキの原生林の中を歩き、展望台から元寇の島、鷹島を眺めた。

「福島一周」の20キロを走り終えると、国道204号で伊万里に出る。伊万里からさらに国道204号を行く。佐賀県から長崎県に入り、平戸島へ。日本最西端駅の松浦鉄道「たびら平戸口駅」に寄ったあと、国道383号の有料橋、平戸大橋で平戸島に入る。2輪料金は100円だが、原付は10円。この安さが50ccバイクの大きな魅力だ。

 島の中心、平戸の町に入っていく。天文18年(1550)にポルトガル船が入港して以来、平戸は日本最初の国際港として繁栄した。その名残をとどめる石橋のオランダ橋を見、平戸港に面した「オランダ商館」跡に行く。オランダ船が平戸にやってきて「オランダ東印度(インド)会社平戸支店」を設けたのは慶長14年(1609)のことだった。

 平戸を拠点に「平戸島一周」。時計回りでまわる。海沿いの国道383号を南下。千里ヶ浜温泉「ホテル蘭風」(入浴料700円)の湯に入り、紐差では紐差教会の白亜の大天主堂を見る。国道383号が尽きると県道19号になるが、その行き止まり地点の宮ノ浦漁港まで行った。

 宮ノ浦からは県道19号を北上し、平戸に向かう。その途中では「切支丹資料館」(入館料200円)を見学。納戸神や踏絵、マリア観音など「隠れキリシタン」の迫害の歴史に胸を強く打たれた。こうして平戸に戻ったが、途中、川内峠に寄ったこともあって、「平戸島一周」は104キロになった。

 平戸の戻ってきたときは、日が落ち、すっかり暗くなっていた。生月島へ。来た道を引き返し、有料橋の生月大橋(50円)で生月島に渡る。電話ボックスから“島民宿”に電話すると、ありがたいことに、「鯨見荘」で泊めてもらえることとなった。宿の近くのコンンビニ「ファミリーマート」で弁当を買い、それを部屋で食べた。

 翌朝はすばらしい日の出。対岸の平戸島の山の端に朝日が昇る。宿のカマスの焼き魚つきの朝食を食べ、出発。反時計回りでまわる。生月島も平戸島と同じように南北に細長い島。ただし平戸島よりはるかに小さい。的山大島と度島を見ながら走り、島の最北端、御崎の大バエ灯台まで行く。ここは絶好の釣り場なのだろう、岬周辺の磯では大勢の釣り人を見る。

 生月島の西海岸を南下すると、水平線上に五島列島の島々を見る。西海岸に集落はなく、断崖が海に落ち込んでいた。生月島は「隠れキリシタン」殉教の島。ダンジク様や千人塚など、いくつもの聖地がある。「隠れキリシタン」の人々は今でも納戸神をまつっているという。

 全行程31キロの「生月島一周」を走り終え、平戸島経由で国道204号に戻り、佐世保へ。その途中では「日本一周」の約束の地、日本本土最西端の神崎鼻に立つ。目の前には長々と平戸島が横たわっている。平戸島を走ったあとで神崎鼻に立つと、いつもとはまた違う感動をおぼえた。

 佐世保では弓張岳山頂の展望台に立った。足下には佐世保の市街地が広がり、目を海側に向けると、九十九島の島々を一望する。平戸島も見える。さらには五島列島の島々が霞んで見える。

 佐世保からは国道202号で長崎へ。早岐で国道35号と分岐するが、その分岐点を過ぎるとすぐに短い橋を渡り、針尾島に入る。この橋は九州本土と針尾島を分ける狭い早岐瀬戸にかかっているが、小さな川程度にしか見えない早岐瀬戸なので、島に入ったことに気がつかないまま走り過ぎてしまう。この針尾島は佐世保湾と大村湾を分ける島で、針尾瀬戸にかかる有名な西海橋を渡って西彼杵半島に入っていく。

 針尾瀬戸は“日本三急潮”のひとつ。ここが大村湾唯一の出口で、橋の上からは激しく渦を巻いて流れる渦潮が見えた。

 国道202号で西彼杵半島の東シナ海側を南下。長崎までの間では本土と橋でつながっている大島、大瀬戸港の目の前に横たわる松島、九州最後の炭鉱(2001年11月に閉山)となった池島と、アイランドウオッチングしながら走り、長崎に到着した。