賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

台湾往復縦断2011(48)

 環山の「平等国民小学校」の訪問を終えると、台鈴の125ccスクーター、TEKKEN(鉄拳)を走らせ、国道7号を北へ。名無しの峠を越えて台中県から宜蘭県に入っていく。ここは山地民タイヤル族の住む大同郷。最初の村、南山村の入口にはタイヤル族の像が建っている。

 南山村はキャベツの名産地。あたり一面に、収穫を間近にしたキャベツ畑が広がっている。山裾は茶畑。豊かさを感じさせる農村の風景だ。

 南山村からは四季村、茂安村、太平村、英土村…とタイヤル族の村々がつづき、棲蘭に到着。ここで国道7号本線の北部横断(横貫)公路とぶつかる。梨山から棲蘭までの国道7号は「甲」表示で、7号の支線ということなのだろう。

 棲蘭では蒋介石の別荘「蒋公行館」を見学する。目の前を山地から流れ出る蘭陽渓が流れ、周囲は森林公園になっている。自然度満点の「蒋公行館」だ。

 蒋介石 は1887年10月31日に清国(中国)浙江省寧波府奉化県で生まれ、1975年4月5日、台北で死んだ。満87歳だった。

 第2次大戦後の国共内戦では毛沢東率いる中国共産党軍に敗れ、1949年、息子の蒋経国らとともに台湾に移った。そのときに大陸から移り住んだ中国人は「外省人」と呼ばれ、それ以前の「本省人」とは今でも区別されている。台湾にはそのほかアミ族タイヤル族なのどの先住民の山地民がいる。

 台鈴の李さんの案内で「蒋公行館」を見学すると、そんな蒋介石の一生、それを次いだ蒋経国の一生がよくわかる。歩き疲れたところで、蒋介石が愛用したというソファーに李さんと一緒に座り、蒋介石の生涯を偲んでみた。

 第2次大戦後、日本が分割されないですんだのは蒋介石の力によるところがきわめて大きい。もし蒋介石の影響力がなかったら、北海道は間違いなくロシア領になり、本州は東日本と西日本の東西2国に二分されていた。こうして今、ひとつの国でいられるのは蒋介石のおかげといってもいいほどで、我々日本人はそれを忘れてはいけないと思うのだ。

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南山村のタイヤル族の像

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南山村のキャベツ畑

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南山村の茶畑

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「蒋公行館」の蒋介石夫妻の写真

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蒋介石の愛用したソファーに台鈴の李さんと座る