賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「伝説の賀曽利隆オンライン」(44)

(2003年6月17日)

 ずいぶん時間がかかってしまったのですが、2000年以降、現在までの3年半分の「峠越え」のデータをまとめ終えました。その結果ですが、2000年には全部で126峠を越え、そのうち14峠が初めての峠でした。2001年には全部で113峠を越え、そのうち21峠が初めての峠でした。2002年には全部で135峠を越え、そのうち36峠が初めての峠でした。それと今年になってからの分を合わせると、通算の峠は1474峠になりました。

 さっそく昨日はスズキDR-Z400Sを走らせ、善波峠→ヤビツ峠→菩提峠→土山峠→半原越→三増峠→志田峠→津久古峠と神奈川県内の8峠をめぐってきました。これら8峠はすべてが我が家の近くで今までに何度も越えているような峠なので、残念ながら1474峠に変わりはありませんが、そうすることによって、

「よーし、まずは1500峠を突破しよう!」

 という気分になりました。

「峠を越えながら日本を見てみたい!」

 ということで、ぼくがバイクでの「峠越え」を始めたのは1975年3月28日のことでした。そのシーンは今でもはっきりとおぼえていますが、国道299号の高麗峠を皮切りに正丸峠や山伏峠など奥武蔵の山々の峠を越えたのです。

 そのころぼくは東京・練馬区石神井に住んでいましたが、毎日、遠くに眺める山並みが「奥武蔵」でした。「峠越え」をはじめたとき、まっさきに「奥武蔵」に行ったのは、

「あの山並みの向こうの世界にいってみたい!」

 という憧れが子供のころから自分の心の中に強くあったからだと思います。

「峠越え」をはじめたころは、すべての峠が初めてなので、峠の数はみるみるうちに増えていきました。数がどんどん増えていくと、じつにおもしろいものです。ところが「峠越え」でほぼ全国をまわり終えたころからは、峠の数を増やすのが難しくなりました…。

 ここでもう一度、気分をあらたにし、まだ越えていない峠にねらいをつけての「峠越え」をしようと思っています。

「めざせ、2000峠!」

(2003年6月25日)

 6月22日の日曜日、スズキDR-Z400Sを走らせ、1日がかりで「東京の峠越え」をしてきました。

 まずは国道16号の御殿峠を越えて八王子へ。八王子からは秋川街道の小峰峠を越えて五日市へ。

 JR五日市線の終点、「武蔵五日市駅」を拠点に、五日市と青梅の間の山並みを行ったり来たりして二ツ塚峠、梅ヶ谷峠、大入林道の峠と3峠を越え、国道411号の満地峠を越えて青梅へ。青梅からは吹上峠、都道193号の峠、東京・埼玉都県境の小沢峠、埼玉県内の飯能に近い山王峠を越えて青梅に戻り、最後は笹仁田峠を越えて国道16号の瑞穂に出ました。

 東京西部の五日市から青梅、さらには埼玉県の飯能にかけての一帯は、奥多摩から関東平野へと山々の落ちていくあたりで、峠の数が多く、なおかつぼくにとっては「峠越え」の盲点のようなエリアだったのです。そのため全部で11峠を越えましたが、そのうち6峠が初めて越える峠で、越えた峠の数は1480峠になりました。当面の目標の1500峠が見えてきました。

 今までに越えた峠の整理を終え、峠の数をカウントできるようになったところで、日本「中央分水嶺の峠」をあらためてピックアップしてみました。

 日本列島は本土最北端の北海道の宗谷岬から本土最南端の佐多岬まで、1本の線を境にしてきれいに2分されています。それが日本列島を日本海側と太平洋側に分ける中央分水嶺の線で、その線を越える峠が「中央分水嶺の峠」になります。この「中央分水嶺の峠」はまさに「峠の中の峠」。北海道に55峠、本州に234峠、九州に52峠ありました。全部で341峠。まだまだぼくの数えもらした峠もあると思いますので、その数はもっと多くなるでしょう。

 北海道の55峠のうち、まだ越えていない峠が23峠、本州の234峠のうち、まだ越えていない峠は49峠、九州の52峠のうち、まだ越えていない峠は20峠と、なんと341峠のうち、まだ92峠も越えていない「中央分水嶺の峠」のあることがわかりました。

 中央分水嶺の峠はほとんど越えたつもりでいたので、ちょっとショックでしたが、「いやいや、まだこれだけ、越えてない峠があるのだ」と気持ちを切り換えて、中央分水嶺の全峠踏破を目指そうという気になりました。

「日本の全峠を越えよう!」とはじめた「峠越え」ですが、一番、力を入れてきた「中央分水嶺の峠」ですらこの状態なので、日本の全峠踏破というのはまだまだ、相当先のことになりそうです。