賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「伝説の賀曽利隆オンライン」(39)

(2003年1月1日)

 みなさん、あけましておめでとうございます。

 昨年は「島めぐり日本一周」を終えたあと、「ユ-ラシア大陸横断」1万5000キロ、「東北周遊」1万3000キロ‥と、日本を世界をバイクで駆けめぐりましたが、今年もカソリ、「やるゾ!」と新年早々、決意を新たにしています。

 昨年の史上空前のバイクツアー「ユ-ラシア大陸横断」にひきつづいて、今年の「道祖神」主催の「カソリと走ろう!」シリーズのバイクツアーでは、夏、冬、2度に分けての南北アメリカ大陸ツーリングを計画しています。

 まず夏は「アラスカ縦断編」。

 アンカレッジを出発点にし、アラスカハイウェイの終点のフェアーバンクスから北極海に面したプルドベイを目指します。フェアーバンクスからプルドベイまでは700キロあまりのロングダート。

 ぼくはアラスカといえば、1973年にカナダのドーソンクリークからアラスカハイウェイ終点のフェアーバンクスまで走ったことがありますが、それ以来、30年ぶりのアラスカということになります。あのアラスカの広大な大自然の中をバイクで突っ走ると思うと、胸がワクワクしてきます。

 次に冬ですが(といっても現地では夏になりますが)、チリのサンチャゴを出発点にして世界最南の町、フェゴ島のウシュワイアを目指します。

 アンデス山脈の峠を越え、アルゼンチン側のパタゴニアを南下し、マゼラン海峡を渡ってフェゴ島に入ります。そしてビーグル海峡に面した南緯55度の世界最南の町、ウシュワイアを目指すのです。

 ぼくにとって南米は1984年から85年にかけての「南米一周」以来のことなので、無性になつかしさを感じます。そのときの「南米一周」では、

マゼラン海峡を見たい!」

マゼラン海峡を渡りたい!」

 というのが旅の大きな動機だっただけに、ぼくのマゼラン海峡に対する想いにはひとしおのものがあります。

 みなさん、今年もカソリ、世界を駆けめぐります。

(2003年1月15日)

 2003年の初ツーリング、みなさんはどこに行きましたか。

 ぼくは伊豆半島でした。

 1月4日、5日と西伊豆の「西伊豆オートキャンプ場」で世界最長ダート、オーストラリアのキャニングストックルートを一緒に走った仲間、「キャニング軍団」の集まりがあり、愛車のスズキDJEBELE250GPSバージョンを走らせ、それに行ってきました。

 いやー、寒かった…。

 途中、峠道でのアイスバーンを心配したのですが、国道136号の土肥峠は幸い、凍っていませんでした。ラッキー!

 西伊豆の仁科峠下にある「西伊豆オートキャンプ場」はなかなかいいところで、温泉つきなのです。民家風の家、1軒を借り、そこが我らの宴会場になりました。

 まさやん、まのちゃん、ももちゃん、かんちゃん、松ちゃんというなつかしい顔ぶれ。 ももちゃんは大金をはたいて、鹿児島から飛行機でかけつけてきてくれたのです。

 信州のまさやんは恐怖のアイスバーンの峠越えをしてきてくれました。

 唯一、信州の黒ちゃんに会えなかったのが残念。

 我ら「キャニング軍団」のメンバーのほかには倉本さん夫妻、谷内さん夫妻が参加してくれました。倉本夫人、谷内夫人と2人の奥さんともに魅力的な女性なので、いやはやいやはや、その場の盛り上がったこと。ビール、ワイン、ウィスキー、日本酒、焼酎の、何でもありありでチャンポンで飲んだものだから、新年早々、ひどい悪酔いをしてしまいました。でも、それがまた、なんともいえずに楽しかったのです。

 翌日はかんちゃんと大鍋林道を走り、河津浜の無料湯の露天風呂に入りました。

 大鍋林道は今年の第1本目の林道、河津浜温泉は今年の第1湯目の温泉ということになります。

「さー、今年も林道をガンガン走り、温泉に入りまくるゾー!」

 と、伊豆で叫ぶカソリでした。

(2003年1月30日)

 昨年の暮れ、自分の部屋を大掃除していると、ほこりにまみれたB4サイズの紙袋が棚のすみから出てきました。その中には1973年から翌74年にかけて、「六大陸周遊」と名づけてまわった1年半の旅を書いた原稿が入っていました。残念ながらそれは未完の原稿で、書き上げることができずに、途中で放り投げたものでした。

 すっかり忘れていましたが、その未完の原稿を読んでみると、今からちょうど30年前の自分の姿が鮮やかによみがえてくるのでした。未完の原稿を全部、読んでみたのですが、その結果、

「よーし、今、完成させてやろう!」

 という気になりました。

「今ならできる!」

 と思ったのです。

「六大陸周遊」の旅というのは、タイのバンコクを出発点にしました。

 列車でマレー半島に入り、ペナン島からマラッカ海峡対岸のスマトラ島のメダンに渡り、インドネシアの島々を東へ。

 ティモール島からオーストラリアに渡りました。

 オーストラリアをバイクとヒッチハイクで2周し、そのあとアフリカ→ヨーロッパ→北アメリカ→南アメリカという順番で各大陸をまわりました。

 ほんとうは2年がかりの旅になるはずだったのですが、最後の大陸、南米で持ち物すべてを盗まれ、ガックリきて「南米一周」を断念…。それで1年半で日本に帰ってきたわけです。

 原稿同様、旅も未完で終わった「六大陸周遊」ですが、バイクで「南米一周」したのはそれから10年後の1984年から翌85年にかけてのことでした。

 この「30年目の六大陸周遊記」をメルマガの「カソリング」で連載します。

 2月1日配信の号からの連載開始となります。長期の連載になりますが、みなさん、今から30年前の世界、ありあまるほどの体力とエネルギーを誇った20代半ばのカソリ、それらをぜひともお読みになって下さい。

 この「六大陸周遊」は、今までの自分の一連の旅の中でも、最も「世界を駆けるゾ!」にふさわしいものだと思っています。ただひたすらに、世界を駆けめぐりつづけました。その意味では、我が「世界を駆けるゾ!」の原点といっていいかもしれません。