賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「東海道53次・復路編」(13)蒲原宿→沼津宿

 蒲原宿を出発すると、「間の宿」の岩淵を通り、旧国道1号の富士川橋で富士川を渡る。富士川橋からは富士山がよく見えた。旧東海道で吉原宿に入っていく。

 ここでは、赤信号で止まった交差点で、たまたま自転車にのった警官にネチネチネチネチいわれた。ぼくもいけなかったのだが、止まろうか突っ切ろうか迷ってしまい、ブレーキをかけるのが遅れてしまった。そのため、横断歩道を過ぎたところでアドレスを停めてしまった。そこへ自転車に乗った警官がやってきた。

「横断歩道の手前で止まりなさい」

 いやー、ごもっとも、ごもっとも。

「信号無視で切符を切ってもいいんだよ」

 と、違反切符をちらつかせる。

「すいません、すいません」の平身低頭作戦で何とか、違反切符は切られずにすんだが、そのあとしばらくは気分がムシャクシャしてならなかった。

 国道139号を横切り、岳南鉄道吉原本町駅前を通る。このあたりがかつての吉原宿(新吉原宿)の中心。だが、東海道に遺構は何もない。今では吉原の商店街になっている。

 ここから往路編のときには立ち止まったJRの吉原駅へ。このあたり一帯がもともとの吉原宿で「元吉原」と呼ばれている。高波の被害をたびたび受け、中吉原から新吉原へと吉原宿は内陸へ、内陸へと移っていった。

 ところで、新吉原宿から元吉原宿の間には「東海道左富士」の碑が立っている。道が大きく曲がっているため、江戸から京都に向かう途中、ここからは富士山が左手に見える。東海道中、唯一の、進行方向左手に見える富士山だ。

 吉原宿からは旧東海道を行き、田子の浦を通り、原宿へ。ここは本陣1軒、旅籠23軒という小さな宿場だった。

 JR東海道線の原駅周辺の宿場町を走り抜け、沼津宿へ。沼津宿に入っていく前に千本松原に行く。松林を抜け、堤防上を走り、海岸にアドレスを停めた。対岸は伊豆半島北西端の大瀬崎。駿河湾越しに見る伊豆半島の山々は目に残った。

 沼津宿に入っていく。ここは天正10年(1582年)に武田氏が三枚城を築いて以来の城下町。だが、明治元年に廃城となった沼津城には外堀跡が残っているくらいで、今は本丸跡が中央公園になっている。

 沼津駅前に到着すると「東横イン」に泊まり、夕食は駅近くの「和華葉」で。ブリの照焼き、サバの塩焼きを食べた。

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富士川橋から見る富士山

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吉原宿の町並み

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東海道左富士」碑

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田子の浦から見る富士山

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原宿の案内図

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原宿の町並み

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千本松原の海岸

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沼津宿・JR沼津駅前に到着

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沼津宿での夕食