賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「東海道53次・復路編」(10)藤枝宿→丸子宿

 藤枝宿から旧東海道で岡部宿に入っていく。ここには旅籠「柏屋」を公開した「大旅籠柏屋歴史資料館」がある。現在の建物は天保7年(1836年)に建てられたもの。そこには「柏屋」を紹介する「弥次さん」、「喜多さん」の案内板が立っている。

 岡部宿からは宇津谷峠を越えて丸子宿へ。

 その間には箱根峠、鈴鹿峠と並ぶ「東海道三大難所」の宇津谷峠がひかえている。

 ここはまさに峠のトンネルの展覧会場のようなところ。明治、大正、昭和、平成と時代ごとの峠のトンネルが見られる。

 明治9年に完成した明治トンネルは日本最初の有料トンネル。大正トンネルは旧国道1号のトンネル。昭和トンネルは現国道1号の上り車線、一番新しい平成トンネルは下り車線だ。さらに江戸時代の旧東海道がこの峠を越え、さらに時代をさかのぼった平安時代の官道の峠道「蔦の細道」も残されている。

 これら宇津谷峠の峠道をスズキ・アドレスV125Gで次々に走破した。

 岡部宿から国道1号に入り、まずは上り車線の昭和トンネルで峠を越え、次に下り車線の平成トンネルを抜けて岡部宿に戻った。そして旧国道1号を走り、明治トンネルを歩いて往復したあと、大正トンネルを走り抜けて丸子宿へと下っていった。

 写真は旧国道1号の岡部宿側で、右手には現在の国道1号の上下線が見えている。左側が昭和トンネル、右側が平成トンネルになる。

 丸子宿に入っていく。

 丸子で「まりこ」。古くは鞠子と書いた。

 丸子宿の町並みの入口あたりの丸子川沿いに、「とろろ汁」を名物にしている「丁字屋」がある。創業は慶長元年(1596年)というから、今から400年以上も前のことになる。昔ながらの茅葺き屋根の茶屋だ。

「梅若菜 丸子の宿の とろろ汁」

 芭蕉の句に詠まれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』にも出てくる「丸子のとろろ汁」は、東海道中では欠かせない名物だった。

 安藤広重の「東海道五十三次」でも、丸子宿では「名物とろろ汁」の看板を掲げた「丁字屋」が描かれている。

「丁字屋」の「とろろ汁」は今でも人気の名物料理で、昼前に入ったのにもかかわらず、店内は混んでいた。

 さっそく「丸子定食」(1380円)を頼む。

 すると、すぐさま名物のとろろ汁が運ばれてきた。このスピード感が命。お櫃に入った米7分麦3分という麦飯を茶碗によそい、その上に自然薯をすりおろし、だし汁でのばしたとろろ汁をかけ、薬味の刻みネギをふりかけて食べる。麦とろはいくらでも食べられる。スルスルッとのどを通り、腹にはいっていく。

「麦とろ8杯」といわれるように、麦とろはいくらでも食べられる。しかも、いくら食べても腹をこわさないし、腹にもたれない。

 これから宇津谷峠に向かっていこうとした旅人たちは、丸子宿でとろろ汁をかけこむようにして食べ、パワーをつけて峠に立ち向かっていった。宇津谷峠から下ってきた旅人たちは「峠越え」で消耗した体力をとろろ汁で回復させた。とろろ汁の自然薯も、元々は宇津谷峠周辺の山中でとれる天然のものだった。

「とろろ汁」に大満足したところで、安倍川を渡って府中宿に向かっていく。「府中」は今の静岡だ。

toukaidou2009-fukuro-010-3632

岡部宿に入っていく

toukaidou2009-fukuro-010-3633

岡部宿絵

toukaidou2009-fukuro-010-3635

岡部宿の町並み

toukaidou2009-fukuro-010-3636

岡部宿の旅籠「柏屋」

toukaidou2009-fukuro-010-3634

岡部宿・柏屋の案内板

toukaidou2009-fukuro-010-3638

宇津谷峠

toukaidou2009-fukuro-010-3639

丸子宿の「丁字屋」

toukaidou2009-fukuro-010-3640

「丁字屋」のとろろ汁

toukaidou2009-fukuro-010-3641

丸子宿周辺の案内図