賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

伝説の「賀曽利隆オンライン」(19)

(2001年4月10日)

 4月6日、7日、8日の「東京モーターサイクルショ-」は盛況でした。ぼくは3日間『ツーリングマップル』(昭文社)のブースでサイン会をおこないましたが、大勢のみなさん方との出会いはすごくうれしいものでした。

 3月22日からはじめた「島編・日本一周」ですが、その第1弾は「伊豆七島編」の前半戦。伊豆大島を皮切りに利島、新島、式根島神津島の5島をまわりました。東海汽船の「さるびあ丸」でこれらの島々をめぐったのですが、50㏄バイクのスズキSMX50をコンテナに積み込んで島から島へと渡りました。

 今週は「伊豆七島編」の後半戦。「三宅島→御蔵島八丈島青ヶ島」とまわります。 三宅島は上陸禁止のままなので、船上から眺めるだけということになります。御蔵島はこの季節、便数が週に1便なので、船が御蔵島に着いたときにちょっと桟橋に降りるだけということになります。

 青ヶ島への船はしょっちゅう欠航すると聞いているので、なんとか天気が安定し、うまく渡れますようにと祈るばかりです。

伊豆七島編」の前半戦でも新島から式根島に渡るとき、低気圧の通過で海は大荒れに荒れ、東海汽船の「さるびあ丸」が欠航ということがありました。このときは、かろうじて動いた「にしき2」という新島村営の船にバイクごと乗りましたが、大波に大揺れに揺れ、迫力満点というか、恐怖の連続で、「これが島の世界なのか‥‥」と実感させられました。

 来週は「小笠原諸島編」。「東京→父島→母島」とまわります。ここまでが「島編・日本一周」の「序章編」といったところで、「伊豆諸島」にしても、「小笠原諸島」にしても、すべて東京都の島々ということになります。

 5月には「本州東部編」、6月には「北海道編」‥‥とまわります。

「本州東部編」では東北の小島と佐渡島をめぐります。「北海道編」では北方領土国後島択捉島をまわれたら‥‥と夢みています。

(2001年4月25日)

 東京から南に1000キロ、小笠原諸島に行ってきました。

 小笠原海運の「おがさわら丸」(6679トン)で父島の二見港に渡り、そこからさらに南へ。「ははじま丸」(490トン)で母島の沖港に渡りました。母島は南北に細長い島。さっそく「島編・日本一周」のバイク、スズキSMX50を走らせ、亜熱帯の島の空気を存分に吸いながら母島北端の北港まで行きました。沖港から「北進線」を走り、二十丁峠を越え、北港までは10キロでした。

 母島には戦前までは沖村と北村の2つの村落がありました。北村には約80の戸数があり、村役場や郵便局、駐在所、小学校、旅館、クサヤやカツオ節の加工場、漁業倉庫などがあったそうです。東京から父島、母島を経由して硫黄島まで行っていた定期船の「芝園丸」も北港に寄港していたといいます。

 ところが今は、きれいさっぱりと何にもありません。ここには今は、家1軒もありません。当時の北港の姿を若干とどめているのは、石の桟橋跡だけ‥‥。それだけに、よけい寂しさが漂います。北村の小学校跡はガジュマルなどの亜熱帯樹に覆われ、思わず無常感を感じてしまいます。耳を澄ますと、半世紀以上も前にここで遊んだ子供たちの声が聞こえてくるようでした。

 沖港に戻ると、今度は「南進線」を走りました。3キロ行くと、母島南端の南崎入口に着きます。母島のバイクで走れる道というのは、この島縦断の「北進線」10キロと「南進線」3キロの合計13キロと、沖港周辺の村落内の道だけなのです。

 南島入口から細長く延びる小半島の尾根道を登り下りしながら1時間ほど歩くと、南崎の海岸に出ます。北緯26度の岬です。左手には標高86メートルの小富士。日本各地にある富士山の中でも、この小富士が一番南の富士山ということになります。澄みきった南崎の海。目の前には丸島、二子島、平島が、その向こうには姉島、妹島、姪島といった母島列島の島々が見えます。

 さらにその向こうの南の島々というと、硫黄島などの火山列島がつづき、サイパン島グアム島、トラック島などのマイリアナ諸島、カロリン諸島へとつづきます。

 こうして小笠原の島々をめぐると、もっと、もっと南に行ってみたいという強烈な思いにとらわれてきます。小さな島々をまわりながら、より大きな広い世界が見えてきます。