「東海道53次・復路編」(4)
2009年5月8日5時30分、早朝の名古屋を出発。国道1号を東へ。今にも雨の降り出しそうな天気だ。
最初の宿場、鳴海宿には東海道53次時代の面影は残っていないので、そのまま国道1号で走り過ぎていく。
東海道の宿場の面影が色濃く残る間の宿の有松を通り、桶狭間の古戦場跡を通り、「阿野一里塚」を通り、豊明で境川を渡る。気がつかないまま通り過ぎてしまうような川だが、この川が尾張と三河の国境になっている。
旧東海道で「知立不動」で知られる総持寺や「知立神社」、「知立城跡」などのある池鯉鮒宿の宿場を走り抜け、国道1号を横切り、「知立松並木」に入っていく。ここには側道がある。500メートルにわたって170本ほどの松が植えられている。その入口には「馬市跡」の碑。池鯉鮒宿では毎年4月末から5月にかけて馬市が開かれたとのことで、側道は馬をつなぐためのものだった。
池鯉鮒宿からはそのまま旧東海道を走っていく。
国道1号の1本、北側の道だ。
この橋は日吉丸(少年期の豊臣秀吉)が野伏の頭領の蜂須賀小六と出会ったという伝説の場所。橋のたもとにはその「出合之像」が建っている。
矢作橋を渡ったところで、国道1号の南側にある「八丁味噌」の工場前へ。その名前はかつての八丁村に由来している。岡崎城から東海道を西へ、ほぼ八丁(約870m)の距離に位置しているからだ。八丁村産の味噌なので、いつしか八丁味噌といわれるようになった。
そんな「八丁味噌」の工場前から旧東海道の細道を走り、岡崎宿のシンボルの岡崎城まで行った。
早朝の名古屋を出発
鳴海宿の国道1号
池鯉鮒宿の松並木
池鯉鮒宿の馬市跡の碑
岡崎宿の「八丁味噌」