賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

伝説の「賀曽利隆オンライン」(17)

(2001年2月10日)

 自転車で世界一周中の阪口エミコさんから、お手紙をもらいました。それは日本から投函されたもの、さらには病院の住所の書かれたものでした。悪い予感がしましたが、封を切ってみると、なんと体調を崩し緊急帰国したとのこと。さらに病院で検査を受けると、「ガン」を告知されたというではないですか。そのときのエミコさんのショックは、はかり知れないものがあります。

 彼女はもともとはライダー。バイクを自転車に乗りかえて「世界一周」に旅立ったのですが、出発前にはエベレストを登頂した上村博道さんと一緒にわが家に来てくれました。エミコさんは「世界一周から帰ったら、カソリさん、また来ますからね!」といって、超明るい笑顔で去っていったのです。

 そんなエミコさんからは旅の途中、何度となく絵はがきをもらいました。いつも元気一杯で前へ、前へとひたすら前に進んでいくエミコさんの姿が目に浮かぶような絵はがきでした。エミコさんはいつも一生懸命な人。その一生懸命さに胸を打たれました。

 ところで1989年のことですが、40代に足を突っ込んだぼくは肺ガン検診を受けました。するとかなり大きくなった肺の腫瘍がみつかったのです。あのときは目の前が真っ暗になり、「あー、自分は肺ガンにやられた。もう、長くは生きられないな」と絶望の淵にたたき落とされたのです。それだけに「ガン」と宣告されたときのエミコさんの気持ちは痛いほどによくわかります。

 ぼくの場合は医者から逃げに逃げ、ついに逃げきれなくなって40代の最後に胸の腫瘍の摘出手術を受けました。ぼくはこれを“逃病3000日”といっているのですが、なんともラッキーなことに細胞検査の結果、腫瘍は良性のものでした。

 エミコさんのお手紙の中には、「カソリさん、それってガーン!って感じ(ジョーダン言ってる場合ではない!)」とありました。どんなときでもヘコタレナイ、エミコさんの強さの秘訣はぼくはこの底抜けの明るさだと思っているのですが、きっとこの明るさで彼女は病気を克服できると信じています。

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(2001年2月25日)

 今、「島編」の「日本一周」を計画しています。

 2年前の1999年にはスズキDJEBEL250GPSで「日本一周」をしました。そのときのことは、『日本一周 バイク旅4万キロ』(昭文社刊)の上巻(西日本編)、下巻(東日本編)の2冊の本で書きました。

 このときの「日本一周」では、日本本土の海沿いのルートをメインにし、そのメインコースから各地で内陸に入っていくというコースをとりました。今度の「島編・日本一周」ではやはり海沿いのコースがメインになるのですが、そのメインコースから外側へ、外側へと、フェリーなどで渡れる島を次々にまわろうと思っています。

 具体的には「本州編」、「北海道編」、「四国編」、「九州編」、「南西諸島編」に分けてまわろうと思っています。

 たとえば日本の多島海、瀬戸内海の場合だと、「本州編」では兵庫県岡山県広島県山口県に属する島々をまわり、「四国編」では香川県愛媛県に属する島々をまわるというやり方にしようと考えています。

 これは夢ですが、根室からは北方領土の国後や択捉、石垣からは台湾をまわれたらいいなあ!と願っています。対馬最北の岬からは、ぜひとも韓国を見てみたいものです。

 この「島編・日本一周計画」ですが、3月中に出発できたらいいのですが‥‥。

 まず、その第1弾となるのは、東京港から渡る伊豆諸島の島々です。もしそうなったら、また、みなさんとはしばらくのお別れになりますね。いやいや、日本にもインターネット・カフェがあるのかなあ‥‥。そうしたら今度は掲示板に書き込みを入れますね。