賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

伝説の「賀曽利隆オンライン」(16)

(2001年1月1日)

 みなさん、あけましておめでとうございます。いよいよ21世紀に突入ですね。

 昨年末の12月27日と28日、20世紀最後のツーリングに行ってきました。「いわき→新潟」の本州横断です。バイクはスズキDJEBEL250GPSバージョン。1999年には「日本一周」を走り、もう昨年のことになってしまいますが、2000年には「サハリン縦断」と「韓国一周」を走ったバイクです。

 東京からいわき市までは常磐道を走りました。抜けるような青空で雲ひとつない快晴。いわきの空も、若干、雲はありましたが晴天でした。ここから国道49号で新潟を目指しました。阿武隈山地に入っていくと強烈な寒さ。長沢峠あたりが寒さのピークでした。寒さは厳しいのですが、雪はほとんどありませんでした。

 郡山に着くと天気は変わり、いまにも雪が降りそうな曇り空でした。そこから難関の中山峠に向かっていくと、磐梯熱海あたりから雪道になりました。転倒もせずに無事、中山峠を越え、会津に入ったのです。

 夕暮れになり、気温がガクンと下がってからが地獄。あっというまに路面は凍結し、しょっぱなのアイスバーンで転倒し、2、30メートルくらい滑りました。その後、2度、転倒‥。ツルンツルンのアイスバーンに歯が立ちません。

 会津若松は雪。降りしきる雪をついて走り、会津板下へ。そこから4キロほど北に行った津尻温泉の一軒宿「滝の湯」に泊まりました。まさに生き返るようでした。

 翌日は朝から激しい雪。津尻温泉から国道49号に出るまでの4キロが死に物狂い。国道49号に出てからも堂坂峠、藤峠、車峠、鳥井峠と4つの峠越えは雪とアイスバーンとの大格闘。下手に転倒すると対向車や後続車にやられてしまうので、たえずバックミラーを見ながら走りました。といっても降りしきる雪で視界が悪いので対向車や後続車の確認がまた難しいのです。

 新潟県に入り、最後の鳥井峠を越え、津川の町の着いたときは心底ホッとしました。ここから新潟までは会津に比べるとうそのように楽でした。新潟に着くころには雪もやみ、市内に雪は見られませんでした。

 新潟から国道8号、17号と走り、三国峠を越えました。前橋から関越道で東京に戻って来ましたが、全行程は871キロ。「いわき→新潟」の本州横断でDJEBELは1年8ヵ月で8万キロを突破しました。

 新年の除夜の鐘は神奈川県伊勢原市の我が家に近い相模の三の宮、比々多神社でついてきました。さー、これから21世紀最初のツーリングに行ってきます!

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(2001年1月25日)

 寒さの厳しい毎日がつづいていますが、みなさん、お変わりございませんか。

 ぼくは年末年始も返上で、「韓国一周」の原稿を書いていました‥‥。

 元旦は相模湾の大磯海岸まで“初日の出ツーリング”に行きました。21世紀最初のミニツーリングから帰り、妻や子供たちと一緒に雑煮を食べ終わると、すぐに机に向かいました。そのかいあって、「韓国一周」の原稿を書きおえることができました。今、ホッとひと息、ついています。

 こうしてひとつの旅を原稿にまとめるのは、すごくいいことだと思っています。ぼくの持論ですが、書くことによって同じ旅を3回、楽しめるからです。

 今回の「韓国一周」でいえば、出発までは、いろいろと頭の中で想像して「韓国一周」を楽しみました。それともうひとつ、今までに行った「韓国の旅」の数々が、じつに鮮明な映像となって蘇ってくるのです。これがけっこういいものですね。記憶の上にかぶさっていたほこりが、フーッと吹き払われたかのようでした。

「韓国一周」の出発点となった釜山から実際に走りはじめると、すべてを忘れ、毎日毎日の旅に世界に没頭しました。

「このままずうっと、韓国の旅がつづいたらいい!」

 と思ったくらいです。

「韓国一周」から帰ってそれを原稿にまとめていると、実際にまわったときと変わらないくらいの密度の濃さを感じてしまいます。今度はいろいろと調べるので、実際にまわっていたときではわからなかったことが見えてきたりします。そして原稿を書きながら次回の「韓国一周」を計画したりして‥‥。2度目の「韓国一周」では「ここをまわろう、あそこにも行こう!」と次々と夢がふくらんでいきます。

 ということで、「韓国一周」の本は3月中にはJTBから出ますので、みなさん、どうぞご期待下さい。