「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(12)
(月刊『旅』1995年1月号 所収)
車窓から眺める関東の名山
鈍行列車乗り継ぎの「分割・日本一周」も、いよいよ、東京から北へ。
「関東・東北南部一周」への旅立ちだ。
5時00分、人影もまばらな上野駅6番ホームに、高崎線の一番列車が入線。胸の躍る瞬間。7両編成の電車だ。その、ガラガラの車内に乗り込む。ワサワサと人波があふれる、いつもの見なれた上野駅とは、ほど遠い光景だ。
上野発5時13分の高崎行きは、赤羽駅を過ぎると、夜明けの荒川を渡る。白みはじめた東の空には、まるでサーチライトで照らしているかのように、幾筋もの暁の光がさしこめている。
「一番列車に乗ってよかったなあ!」
と思うし、
「旅に出て、ほんとうによかったなあ!」
としみじみ思うし、体中に力がみなぎってくるようだし……。
これからの新潟までの旅が、すばらしいものになるような期待をいだかせてくれるのに十分な夜明けだった。
埼玉県に入り、大宮を過ぎ、鴻巣を過ぎると、朝日が車内にさしこんでくる。
右手には赤城から足尾、奥日光へとつづく山々、左手には奥武蔵から奥秩父へとつづく山々が、秋晴れの青空を背に、くっきりとした姿で連なっている。
利根川の支流、神流川の鉄橋を渡ると、今度は赤城・榛名・妙義の上毛三山が、ぐっと間近に迫ってくる。ギザギザした妙義山の向こうには、浅間山が見える。
こうして6時57分に高崎に到着。高崎線の一番列車では、車窓を流れていく関東平野、それを取り巻く山々の風景を存分に楽しむことができた。
吾妻線の“駅前温泉”
高崎は日本鉄道網の要の地。
ここから上越線と信越本線がはじまるし、吾妻線と両毛線の大半の列車は高崎始発だし、八高線の終着駅にもなっている。さらに下仁田に通じる上信電鉄も出ている。
高崎駅のホームの立ち食いうどんをすばやく食べ、名物の“だるま弁当”を買い、7時26分発の吾妻線・長野原草津口行きに乗る。
2両編成の電車が動きだすと、だるま弁当を広げて食べはじめる。
上越線で新潟県に向かう前に、吾妻線沿線の温泉を総ナメにしようと思うのだ。
渋川で上越線と分かれる吾妻線は、途中に小野上温泉、川原湯温泉と、“温泉”のつく駅が2つもある。さらに、長野原草津口は草津温泉への玄関口だし、万座・鹿沢口は万座温泉、鹿沢温泉、新鹿沢温泉への玄関口になっている。
吾妻線は温泉天国を貫く路線なのである。
吾妻線の第1湯目は、小野上温泉駅で下車する塩川温泉。うれしい駅前温泉。3軒の温泉旅館のほかに、日帰り入浴のみの「小野上村温泉センター」がある。人気の湯で、9時オープンなのだが、30分も前から何人もの人たちが並び、列ができていた。
9時になると、広い駐車場があっというまに車で埋めつくされてしまうほどの盛況だ。自動券売機で買う入浴券は、400円の2時間券、700円の4時間券、1000円の6時間券、1500円の1日券と細分化されている。設備の整った温泉センターで休憩室も完備している。1500円で1日たっぷりと温泉を楽しめるのが人気の秘密のようだ。男女別の大浴場と露天風呂がある。泉質は食塩泉。源泉が48度と、湯温もちょうどいい。
第2湯目は、群馬原町駅で下車する岩櫃温泉。中世の山城のあった岩櫃山麓の温泉だ。ところが地図を頼りに駅から10分ほど歩き、山中にはいったところには、朽ちかけた温泉宿が一軒あるだけだった。通りかかった人に聞くと、10年ほど前に廃業したという。
今回の“鈍行乗り継ぎ”で立ち寄った温泉の中で、このような廃業した温泉というのは鹿児島のラムネ温泉や熊本の戸下温泉があったが、ともに一軒宿なので、もうそれらの温泉に入ることはできなくなってしまった。それが残念だ。
ここでもいったんは岩櫃温泉を諦めかけたのだが、その人からなんともうれしい耳よりな情報を得た。渓谷をさかのぼっていくと滝があって、その近くに湯が湧き出ているという。
「やったー、それ、行けー!」
と、足取りも急に軽くなる。
胸をワクワクさせて渓谷沿いの道を歩く。教えてもらったとおり、二又の分岐を右に行き、滝へ。3段になった滝は、高さ40メートルほど。不動滝とか三段滝と呼ばれているが、なかなかの名瀑だ。滝の下には不動堂。その下に、目指す温泉はあった!
もったいないことに、パイプから噴き出す湯は、そのままホースで渓谷に流されている。誰もいないのを幸いに、裸になって、ホースから流れ出る湯を全身で浴びた。
「クワー、たまらん!」
すこし温めだが、かぶり湯するのには十分な湯温だった。
「日本三大美人湯に入ったゾ!」
吾妻線第3湯目の松ノ湯温泉と第4湯目の川中温泉には、11時55分着の岩島駅で下車し、国道145号を歩いていった。
国道沿いのリンゴ園のリンゴの木には、枝もたわわに実っている。カキの木も多い。実が鈴なりだ。ひとつ失敬。グチョッとつぶれかかった熟柿はぼくの大好物なのである。
顔中、ベトベトにしてかぶりついた。
1時間ほど歩いたところで国道を右に折れ、山中に入っていく。
まず最初に、松ノ木温泉の一軒宿「松渓館」(入浴料200円)の石膏泉の湯に入る。温めの湯だが、湯量は豊富。
さらにその奥にある川中温泉の一軒宿「かど半旅館」(入浴料500円)の、同じく石膏泉の湯に入る。内風呂と露天風呂の両方に入ったが、温めの湯なので、長湯できる。さすがに“美人湯”だけあって、肌にやわらかなタッチの湯だった。
山陰本線篇で入った島根県の湯ノ川温泉と、今までに何度か入っている和歌山県の龍神温泉とともに、この川中温泉は“日本三美人湯”のひとつに数えられている。
「これで、日本三大美人湯の全部に入ったゾ!」
川中温泉の湯につかりながら、ヤッタネといった満足感を味わうのだった。
「3」の魔力とでもいうのだろうか、3という数字の名数尽くしには、すごく気持ちをそそられる。三山や三河、三関……のたぐいである。
温泉だと日本三古湯(有馬・白浜・草津)、日本三名泉(有馬・下呂・草津)、奥州三名湯(鳴子・秋保・飯坂)、奥州三高湯(蔵王・白布・高湯)などがあるが、それらの湯には全部入った。日本三美人湯でもそうだが、そのうちのどれかひとつに入ると、どうしても残りの湯にも入ってみたくなるものだ。
国道145号に戻ると、今度は川原湯温泉駅に向かって歩く。国道は“関東の耶馬渓”といわれる吾妻川の吾妻峡に沿っている。紅葉のはじまった渓谷美を見ながら歩き、14時25分、川原湯温泉駅に到着。14時57分発の列車に間に合うように、30分1本勝負で、急ぎ足で第5湯目の川原湯温泉へ。駅から1キロほどの共同浴場「王湯」(入浴料300円)に早業で入り、駅への帰り道は下り坂を思いっきり走るのだった。
なつかしの嬬恋温泉
15時19分、袋倉着。無人駅。ここでは、同じ列車を降りた、東京・赤羽から来た品川さんという同好の士と、吾妻線第6湯目の半出来温泉に一緒に行く。吾妻川をはさんで、駅の対岸にある温泉。半出来の集落にある温泉なのでその名がある。
一軒宿「登喜和荘」(入浴料300円)の湯に入る。“赤羽の品川さん”はフラッと鈍行列車に乗って旅に出、どこか駅近くの温泉に入るのを無上の楽しみにしている人。湯につかりながら品川さん持参の酒をご馳走になった。1合の酒をグイッとやって、あっというまに空にした。
温泉の楽しみ方は人それぞれだが、この“鈍行乗り継ぎ”と組み合わせた温泉めぐりは、じつにいい旅の方法だと、“赤羽の品川さん”に会ってよけいにそう思った。
16時21分、万座鹿沢口着。
駅前の国道144号を吾妻線終点の大前の方向に向かって10分ほど歩くと、第7湯目の平治温泉に着く。とはいってもよっぽど気をつけていないと、看板も何もないので見過ごしてしまう。
ぼくはさきほどの品川さんから情報を得ていたのでわかったが、国道から50メートルほど入ったところに、プレハブの湯小屋の温泉がある。入浴料の200円を料金箱に入れるようになっている。
ここでは、毎夕、長野原から車を走らせてやってくるという、年配の人と一緒に湯につかった。その人は、平治温泉の効能を強調する。
「この湯に入るようになってからというもの、それまでさんざん悩まされていた神経痛がウソのように治ったんだよ。体の調子もすっかり良くなってね」
その人の話によると、この地方の大地主、黒岩平治さんという人の地所から湧きだした温泉なので、平治温泉なのだという。
平治温泉から国道144号を歩き大前へ。
とっぷりと日の暮れたころ、大前駅前の嬬恋温泉に着く。吾妻線最後の、第8湯目の温泉だ。
一軒宿「つまごい館」に泊まる。ここの湯もいい。いかにも、体に効きそうなのだ。温めの湯で、長湯できる。重曹泉の嬬恋温泉の湯は、アトピーなどの皮膚炎によく効くと定評があるが、飲湯すると糖尿病にもいいらしい。
湯にはべとつきがなく、サラッとしている。湯量が豊富だ。夕食後、たっぷりと時間をかけて長湯する。ザーザー流れ出る湯の音を聞きながら、ぼくは初めて大前にやってきたときの、あの光景を思い浮かべた。
吾妻線の長野原―大前間が完成したのは1971年のことで、開通直後に大前にやってきた。そのころは宿もなく、ホームの目と鼻の先に、木枠で囲った無料湯の露天風呂があるだけだった。学校帰りの小学生がランドセルを湯船のわきにおいて、遊び気分で湯に入っていた。そんな子供たちと一緒に入ったのが、ぼくにとっての嬬恋温泉。出発を待つ列車を目の前で眺めながら入る湯だった。
全力疾走した大沢山温泉
大前発7時23分の一番列車で渋川に戻り、上越線に乗り換える。
残念ながら、水上周辺の温泉群はパス。清水トンネルを抜けて群馬県から新潟県に入り、10時19分、越後湯沢に到着した。
上越線の第1湯目は、川端康成の名作「雪国」の舞台で知られる越後湯沢温泉。
駅から徒歩15分の「湯元共同浴場」(入浴料200円)の湯に入る。川端康成が「雪国」を執筆したという「高半旅館」に隣あった高台にある共同浴場だ。
新潟県内の上越線はほぼ1時間に1本の列車があるので、“温泉はしご旅”はやりやすい。次の列車までの1時間で、駅周辺の温泉に入るのだ。
第2湯目は、石打で下車する上野温泉。駅から徒歩15分の上野温泉には3軒の温泉宿がある。そのうち、「湯元・名月荘」(入浴料400円)の湯に入った。宿はひっそと静まりかえっていて、自分のかぶる湯の音だけが、大きな音で響き渡った。
第3湯目の大沢山温泉は大変だ。大沢駅から片道2キロ以上ある。歩いてはもちろんのこと、ふつうに走っても次の列車に間に合わない。そこで、道端の墓の裏側にザックを隠し、タオルとカメラ、財布だけをもって空身で走る。ひんやりとした峠から吹き下ろす風もなんのその、大沢山温泉に着くころには、大汗でビッショリ。そのかわり、「美沢山荘」(入浴料500円)の木の湯船にドボーンとつかったときの気持ちよさといったらない。温泉は走って入るのにかぎる!
ここで長湯はできない。
すぐさま湯から上がり、着替え、大沢駅へ。
「美沢山荘」のご主人は、
「えー、もう入ったのかい?」
と、驚いたような顔をしている。
そんなご主人に「いい湯でしたよ~!」といい残して、全力疾走で峠道を駆け下った。
第4湯目の六日町温泉では、六日町駅から徒歩10分の「魚とし旅館」(入浴料1000円)の展望浴場に入る。眺望抜群!
湯につかりながら、眼下に魚野川、対岸には長尾氏の山城のあった坂戸山を眺める。
第5湯目の浦佐温泉では浦佐駅から徒歩10分の「てじまや」(入浴料600円)の湯に入る。そのあと、3月3日の裸祭りで名高い浦佐毘沙門堂へ。長尾(上杉)氏の守護神でもあった毘沙門天に、越後湯沢から浦佐までの各駅周辺の温泉すべてに入ることのできたお礼の参拝をするのだった。
15時57分、小出着。駅前から栃尾又温泉の「自在館」に電話を入れる。宿泊OK。だが、そこまでは15キロある。この一連の旅では、鈍行列車プラス徒歩という旅の仕方にこだわったが、残念ながらここでは原則を崩し(そのかわり、復路は徒歩)、途中の折立温泉まではバスに乗ることにした。
越後交通のバスで25分、折立温泉では、国道352号に面した温泉旅館「長者」(入浴料600円)の湯に入る。そこから夕暮れの道を歩きはじめ、大湯温泉へ。
温泉街の中央にある共同浴場に行くと、入口には「一般の方の入浴は、固くお断りします」と、大きな字で書かれている。そこで共同浴場周辺の温泉旅館を何軒か聞いてまわったが、どこでも断られた。大湯温泉には、入浴のみをさせてくれる宿はないという。
苦しまぎれに、もう一度、共同浴場に行き、中にいる人たちに、
「あのー、温泉に入らせてもらえませんか…」
と、断られるのを覚悟で聞いてみた。
するとありがたいことに、
「どうぞ、どうぞ、入らっしゃい!」
といわれ、地元のみなさんの言葉に甘えた。
大湯温泉の共同浴場の湯から上がるころには、あたりはすっかり暗くなっていた。
夜道を15分ほど歩くと、栃尾又温泉の「自在館」に着く。さっと内湯に入って、夕食をすませると、隣り合ったクアハウス「栃尾又温泉センター」の湯に入る。
男女別に分かれているが、年配の夫婦が入ってきた。
ご主人は足の不自由な人で、奥さんが支えていた。入浴中の何人かが、すぐさま手を貸して足の不自由なその人を湯船に入れてあげる。奥さんは何度も頭を下げてお礼をいっている。胸が熱くなるような光景。夫婦の絆の強さを垣間見たが、温泉というのはこれほど大変な思いをしてまでも入らせてあげたいものなのである。
ここの湯は温めなので、いくらでも長湯できる。2時間以上入っていたが、のぼせたりはしない。それでいて体の芯がポカポカと暖まる。栃尾又温泉は昔から“子宝の湯”で知られているが、このように体を芯から暖めると、きっと子供ができやすくなるのだろう。
栃尾又温泉は養老年間(717~724年)の開湯といわれるほど歴史の古い温泉で、「自在館」の創業も、江戸初期の慶長年間にさかのぼるという。泉質はラジウム泉。日本第2のラジウム含有量を誇っている。第1位は山梨県の増富温泉か鳥取県の三朝温泉であろうが、これら3湯は、“日本三大ラジウム泉”といってよい。
温泉のニューフェイス
翌朝は6時前に栃尾又温泉を出発。小出駅までの15キロの道のりを歩く。栃尾又温泉は秋晴れで、抜けるような青空だったが、魚野川河畔の小出になると、濃い川霧がたちこめていた。
小出発9時20分の只見線・会津若松行きに乗る。2両編成の気動車。10時04分着の入広瀬で下車。徒歩10分の寿和温泉へ。といっても聞きなれない名前だが、それもそのはずで、ニューフェイスの温泉。
オープンしたばかりの村営露天風呂(入浴料600円)に入る。赤茶けた湯の色をしている。若干の塩味。この寿和温泉は毎分3700リッターという日本でも屈指の湧出量を誇る温泉で、それを利用しての温水プールやヘルスセンターなどの新しい施設が建設中。近いうちに駅周辺の旅館にも引湯されるという。そうなれば、新しい温泉地の誕生だ。
ここでは月刊『旅』の読者の山口長生さんに、
「あ、カソリさんですよね」
と、声をかけられた。
湯から上がり、休憩室でしばらく温泉談義をかわしたが、山口さんはなんと、この寿和温泉が861湯目の温泉になるという。たいへんな“温泉党”の人なのだ。
山口さんがたんねんにつけている温泉ノートを見せてもらった。それには、今までに入った温泉が克明に書き記されていた。
友達と一緒に車でこの近辺の温泉をめぐりをしている山口さんに、
「カソリさん、どうぞ乗って下さい」
といわれるままに、守門温泉まで乗せてもらった。
「これから湯沢に近い神立温泉に行くつもりですよ」
という山口さんとはそこで別れ、ぼくは守門温泉の「青雲館」(入浴料450円)の湯に入った。隣りにはSLランドのある温泉だ。
守門温泉からは上条駅(入広瀬駅のひとつ小出寄り)まで歩き、12時03分発の列車で小出に戻った。
蓮田の中のコンクリート風呂
小出からはふたたび上越線。12時53分発の長岡行きに乗り、小千谷で下車。徒歩20分の木津ノ湯温泉「篠田館」(入浴料350円)の湯に入る。明治元年の創業という歴史のある温泉宿だ。「篠田館」の湯には、先客がいた。小学校のもと校長先生といったタイプの人で、湯の中でいろいろと話したが、
「ぼくは今、列車に乗り継いで、日本各地の温泉に入っているんですよ」
というと、“もと小学校の校長先生風の人”は、
「それは、私が今、一番したいこと。でも、世の中のしがらみがありましてね。なかなか、できないものですよ。どうか私の分まで、いろいろな温泉に入ってください」
と、湯の中で励まされるのだった。
小千谷から長岡へ。長岡で信越本線の新潟行きに乗換え、押切で下車。地図を見ると、駅の近くに“大口温泉”と出ている。駅周辺のあちらこちらには蓮田がある。レンコン掘りをしている人に聞いてみる。
「大口温泉って、どこですかね?」
「20年くらい前までは温泉宿があったけれど、今はないなー」
という答え。
だが、蓮田の中には、今でも湯が湧き出ているという。さっそくその場所を教えてもらい、歩いていく。
舗装路を外れ、蓮田の中の畔道に入っていく。
「あった!」
コンクリートで囲った枡の中に、鉄パイプから、勢いよく湯(といっても22、3度くらいなので冷たい)が噴き出している。
「さー、温泉だ!」
と、裸になって、体ひとつでいっぱいになるようなコンクリートの枡の湯につかった。
サラッとした肌ざわりの湯。いや、水だ。だが、肌ざわりが、ふつうの水とは違うのがよくわかる。コンクリート風呂(枡)から上がったあとは、いつまでも気持ちがよかった。体の芯がホカホカしてくるような感じなのだ。
この温泉は天然ガスを掘削中に噴き出したものだという。今は流しっぱなし。もったいない‥。国道8号がすぐ近くを通っているので、温泉センターでもつくればいいのに…とも思ったりするが、それほどの湯量でないのかもしれない。
それはともかく、吾妻線の岩櫃温泉といい、この信越本線の大口温泉といい、何か、自分だけの温泉を見つけたような満足感を味わうのだった。
最後は田上駅で下車する湯田上温泉。新潟平野に沈むまっ赤な夕日を眺めながら20分ほど歩く。ここでは「旅館初音」(入浴料600円)の湯に入った。湯田上温泉は、吾妻線の塩川温泉から数えて第21湯目の温泉。湯から上がると、ふたたび駅への道を歩き、田上発17時55分の列車で、新潟に向かうのだった。