カソリの林道紀行(39)東北編(10)
みちのく5000・番外編(東京→青森)
(『バックオフ』1997年9月号 所収)
「みちのく5000」は、まだ津軽篇、下北篇の2地域を残しているが、スペシャル篇ということで、“みちのくの狼”カソリとブルダスト瀬戸の名コンビで、「東京→青森」を走ることになった。
「東京→青森」というのは、カソリにとってはまさにゴールデン・ツーリング・コース。 今までに数えきれないほどの回数を走っている。
ルートを変えての一気走りもしている。
で、今回は「みちのく5000」のスペシャル篇ということで、当然ダート・コース狙いなのである。「東京→青森」間を何本ものダートをつないで走りきろうという趣向。
目標はダート300キロだ!
午前6時、東京渋谷のBO編集部を出発。カソリがスズキDJEBEL250XC、ブルダストがスズキDR250Rとスズキコンビだ。
首都高速→東北道→日光宇都宮道路と高速を駆け抜け、9時には奥日光に到着。
ここから奥鬼怒林道、馬坂林道、川俣桧枝岐林道、田代山林道と4本の林道を走って奥会津に入った。関東から東北に入ると、とたんに空気が変わる。
さらに七ヶ岳林道、玉川林道、ダートの残るR401と走り、神秘的な沼沢湖畔のキャンプ場に泊まったが、快調に走れたのは、この第1日目だけだった。
翌朝、沼沢湖畔のキャンプ場で目をさますと、ザーザー音をたてて雨が降っていた。この雨に、この先ズッと青森までやられるとは、そのときはまだ想像だにしなかった。
なにしろカソリは名にしおう“ハレ男”なのだ。
コンビニでおにぎりと緑茶の朝食を食べ、ラーメンと蔵の町、喜多方から五枚沢林道に入っていく。県境の峠に近づくと、大規模な山崩れ現場にさしかかる。何日か前に東北を縦断した台風にやられたのだ。
崩れた土砂の上を走る。転倒しないように、最大限の注意を払い、山崩れの現場を突破し、福島・山形県境の峠に到着。山形側に入ると、葡萄林道になる。ここも山崩れの連続。崩れた礫の山を次々に越えていく。2本の林道で24キロのダートを走り終えたときの喜びは、もう爆発状態。こうして第1の難関を越えた。
山形県小国の「小国食堂」で、うまいイワナ定食を食べ、元気をつけ、三面林道で新潟県に入る。
豪雨の様相。
カソリ&ブルダストはバイクを止めるたびに、声を掛け合った。
「神よ、我らに艱難辛苦を与えたまえ」と。
もちろん、天気がいいにこしたことはないが、これだけ降られると、かえって気持ちがさっぱりする。
「よーし、やってやろうじゃないか!」
という挑戦的な気持ちになる。
舗装化の進む朝日スーパー林道を走る。濃霧の県境を越え、ふたたび山形県に入ると、倒木が目立つようになる。きわめつけは完全の道をふさいだブナの大木。だが、そこで引き返すようなカソリ&ブルダスト瀬戸ではない。
次々に襲いかかってくる“艱難辛苦”を半ば喜び、2人で全力でバイクを押し上げ、ついに朝日スーパー林道を走りきり、第2の難関を突破した。
降りしきる雨をついて走り、鳥海山麓の八幡から鳥海山越えの奥山林道に入っていく。林道は渓流と化し、山肌を流れ落ちる膨大な水は滝になっている。
ズブ濡れになって走りつづけるカソリ&ブルダスト瀬戸は、もう怖いものなし。
ウエアを着たまま滝に打たれるといった絶妙のパフォーマンスで、
「我らに艱難辛苦を与えたまえ」
と、今回のキーワードを唱えるのだった。
ダート15キロの奥山林道を走り、秋田県側に入り、今度は手代林道を走る。鳥海山はブ厚い雨雲の中に隠れ、まったく見えない。
手代林道もダート15キロ。2本の林道の連続ダート30キロを走りきり、山麓の集落に出たときは、カソリ&ブルダスト瀬戸は、
「やったネ!!」
と、第3の難関を突破した喜びの握手をガッチリとかわすのだった。
鳥海山麓の、日本100名瀑のひとつ、法体滝からダート7キロのふるさと林道を走り、湯ノ沢温泉の「ホテル真坂」に泊まったが、一日中、雨に降られっぱなしだったので、温泉のありがたさがひときわ身にしみた。
雨中走行地獄のあとの温泉天国。
湯上がりのビールでの乾杯が一段と盛り上がるのだった。
「東京→青森」の第3日目も、徹底的に雨にやられた。
土砂降りの中、湯ノ沢温泉を出発したのだが、ブルダスト瀬戸と、
「こんなに、すさまじく降られるなんて、そうないことだよ。オー、ラッキー。この雨を逆手にとって、青森まで走ろう」
なんていって、なぐさめ合う。
ツーリングをおもしろくするも、つまらなくするも、すべてが本人の気持ちの持ち方ひとつにかかってくる。
やせ我慢に聞こえるかもしれないが、雨もまた楽し、なのである。
さすがに「世界一周」を成しとげたブルダスト瀬戸だけのことはあって、平気な顔して雨の中を一緒に走ってくれるのがうれしい。
日本海に面した本荘から秋田空港経由の道でR13の河辺に行き、東北有数のロングダートの河北林道に入っていく。
雨はいよいよ激しさを増し、豪雨の様相となる。
ゴーグルが全く使えなくなり裸眼で走ったが、雨滴が目に突き刺さる。
痛くて痛くて、どうしようもないほど。
まるでガラスが目に突き刺さるかのような痛みだ。
まさに艱難辛苦の連続なのだが、どこか、その辛さを心の片すみで楽しんでいるようなところがあった。
峠に近づくと、林道は完全に渓流と化す。川の中をザバザバ、バイクで走っていくようなもの。それだけに、峠を越えたときはホッと安堵の胸をなでおろした。
ダート34キロの河北林道を走りきり、打当温泉の湯に入り、“またたびラーメン”を食べ、さらなる困難に立ち向かっていった。
「東京→青森」も、いよいよ大詰め。R7の田代町に出、田代相馬林道で白神山地を越える。秋田県側の早口ダムを過ぎたところでは、路面が大陥没し、あやうく谷底へとジャンプするところだった。まったく油断も隙もあったものではない。気を抜けないのだ。山際をスリ抜け、その大陥没現場を突破した。
県境の長慶峠に近づいたところで、不覚にも支線の長慶沢林道に迷い込んだ。
2、3キロ行ったところで大規模な山崩れ‥‥。完全に行く手をはばまれた。
「あー、とうとう、ダメだったか‥‥」
と、ガックリと肩を落とした。
白神山地の長慶沢林道をスゴスゴと引き返したが、分岐点まで戻ったとき、単に道を間違えただけだったことがわかった!
恥ずかしながらカソリ、そのときは、飛び上がりたくなるほどにうれしかった。
ブルダスト瀬戸に迷惑をかけた詫びをいい、県境の長慶峠へ。峠を越えて青森県側に入ったときは、
「もう、これで大丈夫!」
と、「東京→青森」の完走、ダート300キロ走破を確信するのだった。
ダート39キロの田代相馬林道を走り、最後のダートの弘西林道(青森県道28号岩崎西目屋弘前線)に入っていく。
最後の最後まで雨‥‥。
雨の津軽峠、天狗峠、一ツ木峠と越え、45キロのダートを走り終えたときは、すでに日は暮れていた。
舗装路に出たところで、DRのフロントタイヤがバースト。路面にころがっていた尖った岩をヒットしたのが原因だ。チューブを取り出すと、穴が2ヵ所であいていた。
ブルダスト瀬戸はエライのだが、エアポンプとパンク修理道具一式をもってきていた。DJEBELのライトで照らしながらの、雨中のパンク修理を終え、また走り出せたときは、ブルダスト瀬戸と手をとって喜び合った。
これは後でわかったことだが、ポンプやパンク修理道具は、すべて瀬戸夫人の静香さんのもの。我ら“木賊軍団”のマドンナ、静香さんのおかげで、「東京→青森」最後の大ピンチを脱することができたのだ。
深浦町の食堂「たけむら」で遅い夕食を食べ、強烈な睡魔と闘いながら走りつづけ、ついに東京から1260キロ走って青森駅前にゴールした。
ダート距離の合計は300キロを超え、308キロになった。