「旧満州走破行2004」(27)
9月30日(木)晴 漠河→塔河(その1) 第9日目
夜明けとともに起き、早朝の漠河の町を歩く。快晴で空の青さが際立っている。まだ9月だというのに、真冬のような寒さ。気温は氷点下10度。はく息は真っ白だ。
町の中心には「中国共産党漠河県委員会」の建物。そこには「漠河県人民政府」も入っている。「中国共産党」の前は広場になっている。北京・天安門広場のミニ版のようなもの。そこにはスローガンの大看板が建っている。びっくりするような大きさだ。
大通りから裏通りに入っていく。レンガ造りの、同じような造りの建物が、幅広直線路の両側に建ち並んでいる。町営住宅といった感じの建物群。その道を荷物を満載にした馬車が通り抜けていく。
「漠河賓館」に戻ると、バイキング形式の朝食を食べ出発。日が昇り、日が高くなるとやっと暖かくなる。それでもスズキQS110で切る風は、身を切り裂かれるような冷たさだ。
大興安嶺山脈のゆるやかな山並みを行く。その中に一筋の道がはてしなく延びている。2車線の舗装路だが、交通量はきわめて少ない。
このあたりは全長1300キロの大興安嶺山脈の北端になる。
繰り返しになるが、大興安嶺山脈は日本最長の山脈、奥羽山脈の倍近い長さがある。
北は黒龍江を越えてロシアのスタノボイ山脈(全長700キロ)に、南は中国の内蒙古自治区を東西に横断する陰山山脈(全長500キロ)につづいている。それらをすべてあわせれば、全長2500キロという長さの大山脈だ。
漠河では「大興安嶺5・6火災記念館」を見学したが、この一帯の大興安嶺山脈は1987年5月6日に発生し、28日間燃えつづけた中国建国以来最大の森林火災で焼き尽くされ、山々の樹木はまばらだ。中国はそれでも一生懸命になって大興安嶺山脈の植林をつづけている。
漠河から塔河へとつづく大興安嶺山脈の山中にはいくつかの町が点在しているが、そのうちのひとつ、盤古に到着。ここで昼食だ。
「漠河賓館」
「中国共産党」の建物
「中国共産党」前の広場
スローガンの大看板
漠河の裏通りを歩く
大興安嶺山脈を行く列車
大興安嶺山脈を南下する
盤古の町に到着